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2019-11

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道後温泉

いよいよ松山小旅行の最終日、道後温泉。
全日空ホテルをチェックインして荷物を預ける。なかなか良かったので、他でも全日空ホテルを利用しようかとSさんと話す。
坊ちゃん電車に良くお目にかかる。(クリックすると拡大)
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道後温泉駅に到着。
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坊ちゃんからくり時計。
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子規記念博物館に向かう途中に句碑有。
ふゆ枯や鏡にうつる雲の影  正岡子規
半鐘と並んで高き冬木哉   夏目漱石
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足なへの病いゆとふ伊豫の湯に飛びても行かな鷺にあらませば  正岡子規
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子規記念博物館に入る。
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入り口。生け花の教室があるらしくて花が置いてある。
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旅立つ子規。
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子規の句めくりカレンダー。年間人気投票結果。
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句会の特選。
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小学中学高校のグランプリ。
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投句が出来る。
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「正岡子規の故郷で、子規と語り合いませんか。 当館には6万点近くの子規関係の収蔵資料があります。近代俳句、近代短歌をはじめ近代文学を紐解く貴重な資料の数々です。たとえば、幻と呼ばれた子規自筆の選句集「なじみ集」、歌稿「竹乃里歌」、随筆原稿「病牀六尺」の一部などがあります。また、常設展示場には、子規と親友の夏目漱石が50日余りを共に暮らした愚陀佛庵の1階部分を復元しており、その座敷に座って子規や漱石に思いを馳せていただくことができます。・・・ 子規が、漱石の愚陀佛庵に寄寓したのは明治28年の秋でした。そこで、病身を癒しながら俳句革新の原稿「俳諧大要」を書き続けた子規。後に小説「坊っちやん」のモデルにしたともいわれる松山暮らしをしていた漱石。二人は、道後温泉界隈を巡り、散策し、俳句を作っています。・・・」
3時間近くじっくりと鑑賞。資料と映像の紹介があり、飽きることがない。人となりに接したような気持ちになる。
「1.むかしの松山
*伝承の愛比売(えひめ):ずっと昔の神話の時代に、愛媛県は「エヒメ」(美しい女神)・・・と呼ばれていました。
*伊予の湯(道後温泉)の始まりには、サギが足の傷を治しに来た湯、スクナヒコノミコト神を生き返らせた湯と言う二つの話があります。・・・天皇や「万葉集」の歌人たちが来ました。
*松山藩の藩政のもとに:松山藩をおさめていた松平家の殿様の中には、俳諧や書道、絵画や能楽など、文芸を大切にした人がたくさんいました。
2-1・松山での子規
*子規のおいたち:慶応3年(1867年10月14日)に、松山で生まれました。・・・小学生時代の子規は、本を読んだり絵を描いたりするのがすきな大人しい性格でした。
2-2.子規、東京へ出る
*松山中学に通っていた子規は、15歳の頃から「東京に出て政治家になりたい」と強く思うようになりました。・・・東京にいるおじの加藤拓川に「東京で勉強させてくだい」とたのむ・・・松山中学校を退学して、東京へ出発しました。
*22歳の頃:子規は寄席が大好きでした。大学で同級生だった夏目漱石も寄席が大好きでした。それがきっかけで、二人は話をするようになりました。子規が書いた文章を読んでその才能にびっくりした漱石は「自分も書いてみよう」と考えました。書き上げた作品を子規に見せたところ、漱石の才能に指揮もおどろいたのです。
*19歳から23歳の頃:ベースボールは、アメリカから日本に伝わったばかりでした。子規はこの新しいスポーツに夢中になり、キャッチャーとして活躍しました。・・・ベースボールの俳句や短歌もたくさん作りました。・・・のちに新聞記者になった子規は、新聞でベースボールのルールを紹介し、試合で使う言葉を訳しました。
3-1.ペンネーム子規の秘密
*21歳の時、子規は突然喀血しました。・・・この時から「子規」と言うペンネームを使い始めました。「子規」は「ホトトギス」とも読みます。ホトトギスは口の仲が赤いので、鳴くと血を吐いてるように見えます。・・・
3-2.俳句に熱中した子規
*子規が俳句に興味を持ったのは、18歳の頃からです。たまたま借りた俳句の本を読んで、その面白さを知り、自分でも作るようになったのです。
*松尾芭蕉などの昔の人たちが作った俳句の分類に力を入れました。俳句を季語や俳人ごとに分ける作業です。何千、何万という気が遠くなるような量の俳句を、子規は一つ一つ手作業で整理していきました。
*子規は旅が好きでした。・・・26歳の頃、子規は東北地方へ旅に出ました。松尾芭蕉の「奥の細道」に影響を受けたのです。・・・
4.ジャーナリスト子規
*25歳の時、日本新聞社に入りました。・・・俳句や短歌を募集したり、小説や紀行文などを書いたりしました。
*28歳の時、「自分の目で戦争(日清戦争)の様子を取材したい」と考え、肺結核を心配する家族や友人の反対を押し切って従軍記者になり、清へ向かいました。しかし、子規が清に着いた時、戦争は終わろうとしていました。・・・軍の医者で、小説「舞姫」などで有名な作家・森鴎外と出会う事が出来ました。・・・
5-1.子規と漱石
*明治28年(1895年)8月、子規は松山に帰ってきました。松山では、子規の親友夏目漱石が中学校で英語の先生をしていました。漱石の下宿「愚陀仏庵」で52日間一緒に暮らしました。・・・子規に俳句を教えて貰おうと、たくさんの人がやってきました。「松風会」の人たちです。・・・その内、漱石もいっしょに俳句を作るようになりました。漱石は俳句を作る時に「愚陀仏」というペンネームを使っていたので、この家は「愚陀仏庵」と呼ばれたのです。
*松山から東京へ戻る旅が、子規にとって最後の旅となりました。
5-2.あたらしい俳句
*子規は、「俳句は文学」と考え、「作った人の気持ちや、その時の様子が想像できる俳句を作ろう」と呼びかけました。世の中の出来事や旅で見た風景などを、分かりやすい俳句にして、新聞や雑誌などに発表しました。写生の俳句を作ろうと、俳句の革新に取り組んだのです。
*明治30年(1897年)、子規たちは・・・俳句の雑誌「ほととぎす」を作りました。・・・松山で発行したほととぎすは柳原極堂が編集長をしました。・・・東京で発行するようになり、編集長は高浜虚子が担当しました。
6-1.あたらしい短歌
*31歳の時、新聞「日本」に、短歌についての考えを書いた「歌よみに与ふる書」を発表したのです。・・・「古今和歌集のまねばかりしているのではくだらない。もっと日常的にある題材を探し、自分の見たこと、感じたことを自由な言葉で作ろう。」とここでも写生を説きました。
6-2.新しい文章
7-1.子規の随筆
*33歳のころから、子規の病気は悪くなり、ほとんど寝たきりになってしまいました。それでも子規はくじけず、「墨汁一滴」「病床六尺」などの随筆を書き続けました。
7-2.子規の絵
*子規は起き上がることが出来ないので、寝たままで描いていました。くだものや草花など、小さくてきれいなものを探しては、それを枕元に置いて写生しました。
8-1.絶筆三句
*明治35年9月19日に、東京の子規庵で亡くなりました。35歳でした。
*絶筆三句は、亡くなる数時間前に書いたものです。
糸瓜咲て痰のつまりし仏かな
痰一斗糸瓜の水も間にあはず
をととひのへちまの水も取らざりき
「へちま三句」と呼ばれています。このことから、子規の命日を「へちま忌」と言います。
8-2子規を継いだ人々
①写生文
夏目漱石
②俳句
河東碧悟桐
高浜虚子
③短歌
伊藤左千夫
長塚節」

愚陀仏庵。
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子規は頻繁に句会を開き、大きな声で話すので、漱石はうるさくて本も読めない。やむなく句会に参加したとある。
筆まめで日記をつけている。食べ物の話が多い。
子規はお山の大将でないと気が済まず、病床に臥せってからも、皆を回りに呼び寄せてお山の大将ぶりを発揮した。
大食漢でカリエスになっても鰻や刺身をモリモリ食べたそうだ。そのおかげでカリエスになってから7年も命を長らえた。妹と母親が面倒を見たが、子規に栄養のあるものを食べさせて二人は粗食に耐えた。
「子規が、35年という短い生涯に詠んだ俳句の数は、2万3千6百余りといわれ、満35歳で亡くなる直前まで、俳句を作り続けた。そして、子規は、古き形式の文学に飽き足らず、常に新しきを求め、文学の改革にあくなき情熱を燃やし、広い分野に亘る文章文学の革新に、一生を捧げたのである。」
子規記念博物館を出て、道後公園を散策。
「道後公園の地形は、直径約350mのほぼ円形状で、中央部は30m程度の高さの丘陵地となっています。公園全域が、中世伊予の守護河野氏の居城として、14世紀前半から16世紀後半にかけての250年間存続した城跡であり、堀や土塁など城の地割が当時の姿のままよく残っています。外周は湯築城の外堀で囲まれ、丘陵部を取り巻くように内堀が巡っています。」
お堀。
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「石造りの湯釜。直径が166.7cm、高さが157.6cmという円筒形で、かつては湯口として使われていました。天平勝宝年間(749~757)に作られ、正応元年(1288)、一遍上人の書で「南無阿弥陀仏」と彫られてあります。また、周りの文字は亨禄4年(1531)に河野通直が天徳寺徳応禅師の温泉記を彫らせたものといいます。この湯釜は現在の下から湯が出るものと違い、てっぺんの球の部分から湯が吹き出るようになっています。これは当時は湯が自然に吹き出ていたためだそうです。」
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展望台から松山城が見える。
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堀に亀が一杯いる。
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道後温泉本館に向かう。
「道後温泉は古名を「にきたつ」(煮える湯の津の意)といい、万葉集巻一に見える。なおかつてはこの周辺が温泉郡(湯郡)と呼ばれていたが、これはこの温泉にちなむ地名である。伊予国(いよのくに)という名前も湯国(ゆのくに)が転じたものという説がある。」
「道後温泉のシンボル、道後温泉本館は、明治27年に建築された三層楼のどっしりしたもので、近代的なホテルや商店街の中にあってひときわ風格ある姿を誇っています 浴場は二種類あり、1階の大浴場を神の湯、小さい方を霊の湯といい、浴槽は花崗岩でできています。 泉質は、アルカリ性単純泉で、日本人の肌に合うなめらかなお湯。湯治や美容に、多くの人々から親しまれ、明治以来の伝統として暖かい落ち着いた感じを保持しています。」
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神の湯2階席を借りて、着替える。早速お風呂に入る。ゆったりして落ち着く。それ程長く入ってたわけではないが汗がどっと出てくる。2階に戻ったら、Sさんがもう戻っていた。少しお茶を飲んだりして過ごす。汗がどんどん出てくる。もう少しのんびりできると良いのだが、1時間制限はちょっと短い。
坊ちゃん映画がいろいろ飾ってある。
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道後麦酒館に入る。
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ここの鯛めしは実に美味かった。料理に厳しいSさんも絶賛。
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坊ちゃん人形が休憩所にあった。
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「聖徳太子道後温泉碑」。
「「聖徳太子が596年に道後温泉を訪れ道後温泉の素晴らしさを文章にして湯岡の傍らに建てた。」と、伊予国風土記にある。これが「湯岡の碑文」といわれるものである。しかし、この碑文は未だに発見されていないのだと言う。」
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「松山・道後温泉の商店街から西にのびる「にきたつの道」は小川が流れ、道沿いには「水口酒造」や「にきたつ庵」、「にきたつ蔵部」が軒を連ねる。「にきたつの道」の名前の由来は、額田王がこの道後で詠んだといわれる有名な「熟田津に舟乗りせむと月待てば潮もかなひぬ今は漕ぎ出でな」にちなんでのこととある。」
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お目当てのセキ美術館は休館日だった。
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俳句の道を探すがなかなか見つからず。地元の人に聞いたが要領を得ない。
やっと見つける。
伊予と申す国あたゝかに温泉わく  森盲天外
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湯上りを暫く冬の扇かな  内藤鳴雪
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湯の町の見えて石手へ遍路道  柳原極堂
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いろいろの歴史道後の湯はつきず  前田伍健
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やっと子規の句を見つける。
馬しかる新酒の酔や頬冠  正岡子規
籾ほすやにわとり遊ふ門の内  正岡子規
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永き日やあくびうつして分れ行く  夏目漱石
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俳句の道。
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直筆の句碑が並ぶ「俳句の道」をもう少しPRしても良いのにと思う。
帰路に着く。
Sさんがお土産を買ってるお店。
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さあ松山とお別れだ。
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ホテルに寄って、荷物を取って空港に向かう。飛行機の中で少しうつらうつら。
帰宅。心配していた花々は無事だった。Sさんがプランターにセットしておいた水遣り当番は有効だ。
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