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日吉神社
1月2日。
朝早く日吉神社にお参りに行く。早ければお参りに来る人も少ないだろうとSさんが言う。
日吉神社に到着。
予想どうりお参りの人はいない。
神主さんがいて昨年の破魔矢の破棄場所を指示してくれた。
日吉神社にお参り。
「創立年代は不詳ですが、古くから武蔵國橘樹郡矢上村総鎮守として、同村北方に位置する通称「お伊勢原」と呼ばれる丘の上に鎮座し、「神明社」と称しました。新編武蔵風土記稿には「矢上村古くは谷上と書きけり、村の北丘の上に神明社あり、入り口に鳥居二基あり、社頭に古松樹生茂りたれば古き宮居なることしらる」と記されています。
旧社殿は天明5(1758)年の修造と伝えられます。昭和11年、神明造りの本殿、幣殿、拝殿を改築。同14年にこの地が横浜市に編入させられたのを機に新町名に因み、社号を「日吉神社」と改めました。」
旧社殿は天明5(1758)年の修造と伝えられます。昭和11年、神明造りの本殿、幣殿、拝殿を改築。同14年にこの地が横浜市に編入させられたのを機に新町名に因み、社号を「日吉神社」と改めました。」
境内にある矢上天神神社にお参り。
学問の神様・菅原道真公を祭っている。
「道真公は、平安時代の承和12年(845)乙丑(きのとうし)6月25日に御誕生されました。御生誕の年が丑年でありますことも意義深きものですが、生涯を通じて牛を愛されていたことや、無実の罪で大宰府へ左遷される道中、藤原時平が差し向けた追手に囲まれ、窮地の事態に陥った時に白牛がやってきて刺客を退け、道真公を救ったとの伝承も残っています。
大宰府での道真公は、衣食住に事欠く苦しい生活を送られながらも、常に皇室の弥栄と天下安泰を祈られ、2年後の延喜3年(903)梅花が咲き誇る初春2月25日にその清明なる御生涯を閉じられました。道真公の御遺骸を牛車に奉載し、丑寅(北東)へ歩みを進めたところ、牛がとある地点で歩みを止め臥して動かないため、この地が道真公の思し召しの地であろうと御墓所を建立しました。その御墓所こそが太宰府天満宮の創始であり、天神信仰の原点となっています。」富士山。
小杉のビル群。
慶応の校舎。
帰り道のキンカン。
駅前の花壇。
コンビニで追加の年賀はがきを買う。
サルビア。
何の実かな。
変わった花ねと言うが名前わからず。
7766歩。
新年のお参りが出来て気持ちが良い。
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