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山小屋にようやく入り夏至暮るる
◇光
夏至の日の昼寝は少し長くなり
山小屋にようやく入り夏至暮るる
⇒昼間が長い日の昼寝だから少し長めだった。それとも少し長い昼寝から目覚めて今日は夏至だから日暮れにはまだ間があると思ったのだろうか。
日の長い夏至の日暮れにやっと小屋に入った。日暮れが早い山とはいえかなり遅い到着ですね。
三四郎さんより指摘がある。
光さんのこの句に引っ掛かるものがあったのですが原因がわかりました。最後の「暮るる」は連体形ですね。連体形で終わるのはおかしい。「夏至夕べ」とか「夏至の暮」ならどうですか。
三四郎
光の返信。
了解しました。ご指摘ありがとうございます。
何かの拍子に一茶の
みそさざいちつというても日の暮るる
を見ていつか暮るるを使ってみたいと思い使ってしまいました。
勝山さん選。
山小屋にようやく入り夏至暮るる
一日良く歩き、山小屋に遅い到着。「夏至暮るる」にほっとした気持ちを感じる。
◇長月
昼寝する木陰の猫の夏至の刻
夏至の日の水辺近くで騒ぐ子等
⇒涼しい木陰で猫が昼寝をしている。猫は夏至は認識していないだろうけど動物だから日が長いことはわかっているのだろう。
夏日が多い夏至の日、水遊びが気持ちいい。「の」「で」で散文のように続いています。切れを意識して下さい。
遊介さん選。
夏至の日の水辺近くで騒ぐ子等
→ 戸外でなにしろたっぷり遊びたい。季語を一層強く推すのが川遊びする子供の声です。
赤西蠣太
ツーリスト
情婦
妻の留守納豆探す冷蔵庫
◇光
ぴつぴ鳴り慌てて閉める冷蔵庫
妻の留守納豆探す冷蔵庫
⇒夢路さんの句と同じ状況ですね。ということは類句になりやすい状況ということかな。
納豆ということは朝ごはんですか。奥さんは泊りがけでおでかけ? 男にはどこに何が入っているかすぐにはわからないものです。
蒼月さん選。
妻の留守納豆探す冷蔵庫
⇒朝食と夕食はいつもは妻が用意するのであろう。しかし昼食となるとさすがに妻が用意するとは限らない。三度三度食事の支度をするのは疲れる。だから、今日はなにか適当に食べてね、とか言って妻は出かけてしまった。残された夫は、冷蔵庫になにがあるかなど全く知らないので(まあせいぜいビールのありかぐらいか)、いざ納豆を食べようとするとどこにあるのか、さらには、あるのかないのかさえわからないのである。
:Sさんがいないと冷蔵庫を開けてお何がどこにあるかさっぱりわからない。納豆はいつも食べるので前にあると思ったら奥にあった。Sさんに私より長く生きてもらわないと生きて言えない。
◇長月
水菓子が場所をとってる冷蔵庫
コロナ禍にぎっちり積んで冷蔵庫
⇒好物の果物がいっぱい入っている。今だったらトマト、それとも大きな西瓜か瓜かな。
コロナで家籠りだから買い込んでという句が多いですね。これも類句が多そう。
俳句では促音(っ)や拗音(ゃゅょ)は古文を踏襲して大文字で書くのが普通です(とつてる、ぎつちり)。ただし私は現代仮名遣いで書くという人は自由ですが。
庭のポンテテリア。
アマリリス。
ああ!三連敗!!!
ストーリー・オブ・マイライフ
夏草に埋もれし無縁仏あり
6月19日。
雨降り。
大門通信句会の選評を見る。
兼題は「短夜」「黒南風」「夏の川」「蠅叩」「夏草」「蛇」「さくらんぼ」 。
夏草に埋もれし無縁仏あり 光
蒼月 ○多摩丘陵あたりを歩いていると、時に墓石が倒れて雑草に覆われた墓地に行き当たることがある。夏草が墓石の高さまで生い茂って、植物の生命力を感じさせるとともに過去に生きていた人間の無常も感じる。芭蕉の「夏草や兵どもが夢の跡」を思い出した。
遊介 ○うっそうとした夏草と朽ちた無縁仏を想像します。芭蕉の一句「夏草や兵どもの夢の跡」へ景を連想させます。
はな △無縁仏も跡かたなくだんだんと自然に帰ってしまうのですね。
馬空 △最後にありとした為に散文的になっている気がします。無縁仏かなとかな止めにすると俳句らしくなると思いますが。
糸 △生い茂った夏草の中の無縁仏、古いもののお顔は柔らかでにこやかです。
:昔からの墓所に無縁仏があり、誰も訪れることなく夏草に埋まっていた。
突然の妻の叫びの先に蛇 光
遊介 ○蛇が怖い奥様。でも蛇だって叫ばれたら怖いかも知れません。それでこの時夫は何をしたかを知りたいです。
蒼月 △意外性はあまりないが、ありふれた光景を素直に詠んだ。夫は泰然自若として妻のうろたえる姿を楽しんでいるのかもしれない。
:Sさんは大の蛇嫌い。青大将など見かけると大声をお上げて脱兎のごとくに逃げる。
つり橋の途中でながむ夏の川 光
糸 △吊り橋なのでちょっと怖いが、川風のなんと気持ちのいいこと!
遊介 △揺れるつり橋の真ん中で川から上がってくる風を身体一杯に受ける。いい気持ちだがちょっと怖い。揺らさないでください!
三四郎*「ながむ」は下二段活用なので正しくは「ながむる」。
:山に行ったときにつり橋からの眺めは素晴らしく止まって眺めたものだ。
黒南風や亀はすいすい泳ぎおり 光
遊介 △湿った黒南風が吹いているにも拘わらず、亀は首出してお気楽に泳いでいる。「私は亀になりたい」と作者は思ったのだろうか?。
糸 △下界は鬱陶しくとも、水の中は心地良し。
:ついこの前、亀が泳ぐのを見たので詠んでみた。
短夜のネットサーフィン夜も白む 光
遊介 *辞書で「ネットサーフィン」が既に定着しているのを知りました。上五と下五が重なっているのではありませんか?。
:短夜と夜も白むは重なっていた。
石段に横たわる蛇掃きだして 長月
はな ○よく出てくるのでしょうか、驚きもせず淡々と日々の仕事をしているようである。
三四郎○掃き出すという何気なさがいいですね。日常茶飯の感じ。
:蛇苦手のSさんはミミズくらいの蛇なら掃きだせる。
裏庭の雨後の夏草むせかえり 長月
あかね○まさに夏草の様子で生命力のある夏草が雨後のあとむせかえるであの青臭い香を感じます。
遊介 △「雨後の庭」の方がむせかえる夏草の全景が見えると思います。
蒼月 △雨後の竹の子という言葉があるが、雨後の夏草とは言いえて妙である。確かに、雨が降ったあとの草(とくに雑草)は見るたびにその丈を伸ばして、生命力を見せつけられる。繁茂している様子はむっとして匂いがするようである。
蠅叩ごきぶり用に代わりけり 長月
蒼月 △こどものころは蝿が大量に発生して、ハエ取り紙を吊るしていたり、ハエ叩きでパシッと打ったりしていた。最近ハエをあまり見かけなくなってきたのは生ごみ回収の効果だろうか。ただし、漁村にはまだハエが生息しているイメージはある。最近漁村に行っていないのでなんとも言えないが。というわけで、ハエ叩きは最近はゴキブリ退治に活躍するというわけだ。
石垣を登る蛇あり雨上がり 長月
駅前のさくらんぼの木実もたわわ 長月
長月解説:山形新幹線東根さくらんぼ駅前の景です。
庭のアマリリスのつぼみが膨らんできた。
アジサイ。
県立四季の森
めまい
コリーニ事件
WEB飲み会
江川せせらぎの遊歩道
矢上川から鶴見川合流まで
父の日のテレビ電話の孫の声
◇光
父の日のテレビ電話の孫の声
霊前にその内行くと父の日に
⇒テレビ電話を孫がかけてきてくれた。父の日の何よりの贈り物だ。
父の日に霊前に語りかけるのだから亡くなられた人は作者の父ととれる。そのうち行くということは作者もかなりの年だということか。
遊介さん選。
父の日のテレビ電話の孫の声
→ テレワークではなく孫ちゃんとのおじゃべり。テレビ電話を裏で操作する息子さんからの父への感謝が読み取れます。幸福感いっぱいの一句です。
蒼月さん選。
父の日のテレビ電話の孫の声
⇒テレビ電話を孫がかけてきてくれた。父の日の何よりの贈り物だ。(三四郎)
⇒この解釈には少し異論がある。父の日なのでテレビ電話をかけてきたのは子どもだろう。子どもが孫の顔をみせるためにテレビ電話をかけてきた。コロナの影響で会いに行くことができないのでテレビ電話となった。やはり孫の顔を見るのは楽しみである。子の気遣いが嬉しい。
:お孫ちゃんとのTV電話でのおしゃべりは父の日の最高の贈り物です。
父は80歳で亡くなった。私はその年までにあと2年。会える日も近くなってきた。
◇長月
父の日に嫁の選びしプレゼント
父の日は遺品整理に明け暮れて
⇒父の日にプレゼントをもらったがこれは息子ではなく嫁さんが選んでくれたものだそうだ。さすがにセンスがいい。
父の日だけど祝う父はもういない。今年は遺品の整理の日になってしまった。
蒼月さん選。
父の日に嫁の選びしプレゼント
⇒姑が詠んでいる。夫へのプレゼントを息子ではなくその嫁が選んでいるというのが微妙。少し嫉妬があるかもしれない。なかなかセンスのいいものを選んでいるが、そうとは認めたくない。母の日には息子がプレゼントを選んだのだろうか。気の利いた嫁なら、自分が選んでも息子が選んだように装うだろう。
庭の水盤に雀が来た。
シジュウカラがキンモクセイの枝で羽づくろい。
シジュウカラの水浴び。気持ち良さそう。
弔問
慶応病院皮膚科
江川散策
老いるほど優しき妻と花菖蒲
◇光
首伸ばし亀甲羅干す菖蒲園
老いるほど優しき妻と花菖蒲
⇒亀が水から上がって甲羅を干している。菖蒲園はいろんな生物が暮らすビオトープなんですね。
優しい妻と菖蒲狩りです。楽しいひととき。「老いるほど」が私が老いるほどなのか妻が老いるほどなのかわかりにくい。
蒼月さん選。
老いるほど優しき妻と花菖蒲
⇒作者の意図はそうではないと思うが、なぜか上皇夫妻を想像してしまった。夫婦で腕を組んで、ゆっくり歩きながら花菖蒲を見ている。夫がなにか花の解説をしているのかもしれない。休むことなく働いてきたあとの安らかな時間である。
:亀の甲羅干しは矢上川でよく見かける。以前、菖蒲園で見た景を思い出して詠んでみた。
蒼月さんの選評は、そう詠んでいただいたのは恐れ多い。喜寿を過ぎて難病になってから特に長月さんは優しくなってきた。花菖蒲のように。
◇長月
コロナ禍に咲き終わりてか花菖蒲
紫にすつくと立ちて花菖蒲
⇒花菖蒲が萎れてきた。これもコロナ禍のせい? ちょっと無理がありますね。
あの紫はあざやかで凛としていますね。しかもいろんな色合いの紫がある。
蒼月さん選。
紫にすつくと立ちて花菖蒲
⇒堀切の花菖蒲という歌川広重の見事な版画がある。紫の花菖蒲がまさしくすっくと立って眼前に広がり、遠景は極端に小さく下のほうに配置されている。一瞬で見るものを魅了する広重の浮世絵は十七音で短く描写する俳句とどこか通じるものがある。
庭の水盤に雀が群れている。
メジロが羽繕い。
シジュウカラ。
百合。
アマリリス。
ツツジ。
アメリカンブルー。
オオムラサキツユクサ。
キンレンカ。
アジサイがようやく咲きだした。