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石垣の続く旧家の花苺
◇光
石垣の続く旧家の花苺
一面に苺の花の揺れる白
⇒「旧家」という言葉から連想するとこの石垣は苺を栽培するためのものではなく塀としての石垣ですか。そうすると苺はどこに?
苺の花は白い小さな五弁の花ですね。でもぽつぽつと咲いている感じで一面というほどではないのでは。
遊介さん選。
石垣の続く旧家の花苺
→ 旧家だから朽ちかけた石垣なのでしょう。そこからちょこんと顔だす花苺。新しさと古さ、石の色と花苺の色のコントラストが見えます。
:母の実家が旧家で石垣に庭が囲まれていた。石垣の上に登ってよく遊んだが、苺が石垣の間にぽつぽつと植えられていた。
苺畑を春に見に行ったことがある。私の印象では白い花が一面に咲いていたという印象だった。頭の中では一面に咲いていた記憶だが、調べてみたら咲いてる間隔があいていた。
◇長月
石垣の葉陰に揺れる苺花
苺花日本平に輝きぬ
⇒石垣いちごですね。葉に隠れるように花が風に揺れている。
日本平の近くには有名な久能石垣いちごの産地がありますが海よりですよね。日本平にもいちご園があるのでしょうか。
苺の花を縮めていう時は花苺で花が前にきます。苺花とは言いません。杏の花→花杏、林檎の花→花林檎、木瓜の花→花木瓜、菜の花→花菜、どれも花が前に来ます。
部屋のシャコバサボテン。
胡蝶蘭。花が咲き終わったら植え替えしよう。
クリスマスローズ。
ハナカイドウ。
紫蘭が咲きだした。
ムベの花。この時期やたらと葉が落ちるとSさんが掃除が大変とぶつぶつ。
コロナ
皮膚科
夕凪に津軽三味線雁供養
兼題ははなさんの出題で
「雁風呂」。青森の外が浜の伝承です。
◇光
夕凪に津軽三味線雁供養
雁風呂の細き木の枝燃え尽きて
⇒津軽の海を目の前に津軽三味線のばち音が響く。その音を背景に雁供養。ドキュメンタリー番組のよう。
なるほど。雁がつかんで飛ぶのだから木の枝は細いはず。すぐに燃え尽きてしまうほど。
勝山さん選。
夕凪に津軽三味線雁供養
⇒太棹の音が日暮れの浜に響く。これも津軽人の雁供養だ。ドラマを感ずる。
蒼月さん選。
夕凪に津軽三味線雁供養
⇒雁風呂を焚くのは夕刻なんだろう。あたりが少し暗くなってくるころに、海岸に腰かけて津軽三味線を奏でる。雁風呂を焚いたその人が雁供養のために三味線を奏でているのだ。津軽三味線の悲しい音色が海岸に響き渡り、ドラマティックな光景が目に浮かぶ。
雁風呂の細き木の枝燃え尽きて
⇒雁供養というのだから、くべる枝は細いに違いない。細いのですぐに燃え尽きてしまう。燃え尽きる前に新しい木の枝を足していく。雁供養はこのようにして営まれる。間違っても薪をくべたりはしないだろう。
:鴈風呂とは難しかった。津軽三味線と鴈供養が合うと思った。目に光景が浮かんだ。
鴈が運ぶのだから細いだろうという発想。
◇長月
雁風呂や浜辺に木々を集めたり
雁風呂や津軽海峡はるかなり
⇒雁風呂はそもそも浜辺の木々を集めて風呂を沸かすものですからそのまますぎましたね。
雁風呂の伝承がある津軽の外が浜からは津軽海峡は目の前ですよ。はるかなりというなら雁が渡っていったカムチャッカ半島やシベリアを言ったほうがよかった。
:Sさんも難しいとぼやいていた。
恩田川の桜
初恋のきた道
慶応病院
せせらぎを聞いて二度寝の春障子
兼題は三四郎さんから
「春暁」 枕草子でお馴染みの春の曙。
「涅槃会」涅槃図、寝釈迦。釈迦入滅の日とされる陰暦2月15日の法会。
「春障子」 単に障子といえば冬の季語。
「鳥雲に入る」 日本で越冬した冬鳥が雲間に消えてゆく。
「木の芽」 春に芽吹く木々の芽の総称。
せせらぎを聞いて二度寝の春障子 光
さら ◎温泉宿にでも来ているのだろうか。ふと目覚めると気持ちのよいせせらぎの音。どれもうひと眠りしようと。
あかね○旅館でのんびりしてるのでしょう。休暇の楽しみのような感じで気持ちがよいです。そうだ今日は寝ていて良かったと思える日は嬉しいです。
夢路 ○目覚めが早くなった私にとって、この様な素敵な状況で二度寝を出来たらさぞ良い夢の世界に行けるのではないかと思う。羨ましいです。
あゆか○渓谷近くの旅館でしょうか旅先の春のものうい感じが出ています。
野里子△なんともうらやましい。これが贅沢とも言えそう。
三四郎△障子を通してせせらぎの音が聞こえるというシチュエーションがいいですね。
:温泉宿でせせらぎを聞きながらもう一度寝ようとした極楽の日々。
水盤に雀は群れて鳥雲に 光
さら ○水盤に雀が群れて水浴びをしている。ふと見上げると北に帰る鳥達が・・。近景と遠景の対比が見事です。
馬空 ○日常の一風景ですね。留鳥の雀と渡り鳥の取り合わせが良いですね。空間の広がりを感じさせられるのも魅力です。
蒼月 ○雀はいわゆる渡り鳥と違って留鳥(とどめどり)である。人家の近くに一年中生息している。一茶が雀の子そこのけそこのけ御馬が通ると詠んだように、日本人は雀に親しみを感じてきた。これに対して渡り鳥はいつも見ることはできない。春ともなると繁殖のために北に戻ってしまう。鳥雲に入るという季語はわたしにはどうしても一抹の寂しさを感じてしまう。だから、その対比で雀の群れている様子から春が来た嬉しさをいっそう感じることができるのだ。
あかね○渡り鳥と雀の違いみたいな所に目を向けて面白いです。雀は賑やかに集まり渡り鳥の事など関係なさそうです。
遊介 △雀は居座り渡り鳥は帰ってゆく。自然の摂理が読み取れる一句だと思います。
:庭の水盤につぐみが毎日水浴びに来ていた。ある日突然来なくなって北に帰っていったの
だろう。雀が我が物顔で水盤を独占してる。
退院後庭を眺めし涅槃の日 光
あゆか○しみじみと我が家の温かさを感じられる日ですね。
:退院して一息つくと涅槃のような穏やかな気持ちになる。
一斉に目覚めし森の木の芽雨 光
蒼月 △木の芽雨は作者の造語か、もしくは木の芽に降る雨のことか。一斉に目覚めるという表現が春の躍動感と森の生命力をうまく表現した。
:森の木の芽は一斉に芽吹く。雨が降ると目覚めるようだ。
春暁やスマホ立ち上げ孫の声 光
:つい孫の句を詠んでしまった。
坪庭の木影うつして春障子 長月
馬空 ○写生句として上手いですね。坪庭と春障子の取り合わせも春を感じさせられます。
あゆか○京都のしっとりとした佇まいが見えてきます。
三四郎○料亭の座敷だろうか。障子に庭の木の影が映っている。中には代官と越後屋。「おぬしも悪よの」「お代官さまこそ」。突然障子には暴れん坊将軍の影が。失礼。遊びすぎました。
蒼月 △坪庭には何が植えられているのだろうか。梅かもしれない。枝に日差しが当たって障子にその影が映っている。影絵のような美しさだ。ただし、木影と木陰が紛らわしいので木の影うつし、としてはどうだろう。
バンコクの寝釈迦大きくこがね色 長月
あゆか○「童子」の桃子先生流ですと「バンコクのきんきらきんの寝釈迦像」なんてね。
朝日差し木の芽の先に白綿毛 長月
光 ○木の芽の先の白綿毛とよく観察してる。
日差し弱く鳥雲に入り遠く鳴く 長月
蒼月 △鳥雲にという季語はむずかしい。実際に鳥が雲に入る様というより、鳥帰ると同義の季語、つまり渡り鳥が北方に帰って行く情景との解説があった。で、掲句はどちらかというと、実際に鳥が雲に入って見えなくなった情景を詠んでいる。日差し弱くと上五に置いて曇った春の日の情景を詠んだ。
あゆか*「動詞」が多すぎですね。
春暁や野鳥の声の響く朝 長月
あゆか△「春暁」が朝ですから響く朝を省き「野鳥の声に誘われて」でも。
短期間に長月さんの進歩が著しい。もっと勉強したら追い抜かれるなあ。
庭のキンレンカ。
ムスカリ。
クリスマスローズ。
ヒメツルニチニチソウ。
慶応日吉記念館
下田神社
矢上川
退院後初散歩
新宿の霞に沈むビルの群れ
◇光
仙人の降りて来そうな春霞
新宿の霞に沈むビルの群れ
⇒ぼうっと霞をながめているとまるで仙人が降りてきそうな気配がした。確かに現実からはなれた浮遊感がありますね。
新宿の高層ビル群です。どれもかなりの高さのビルですが霞に沈んで見えるということは相当深い霞なんでしょう。この中は勝った負けたのビジネスの世界。
野里子さん選。
新宿の霞に沈むビルの群れ
→都庁の近くの24階で勤務したことがありましたが、まさしくこの情景を目にしました。
時は止まったかのよう。
:霞を食う仙人がいるという。そこから連想した。
以前、新宿に仕事に行ったときに幻想的な風景に出会ってひと時、仕事の厳しさを忘れた。
◇長月
雲流れネパールの峰朝霞
朝霞富士を横目にゴミ置き場
⇒ヒマラヤトレッキングでしょう。3~4月は暖かくなって霞が多いそうですね。裾に霞がたなびく上に白く雪をいだいたヒマラヤの峰々が見える。ただ、「霞」「雲」と天文現象を一句にふたつ入れると焦点が分散する。俳句はあれもこれもではなくあれかこれかです。絞って下さい。
ごみ置場から富士山が見える場所なんでしょう。近所は霞んでいるが富士山はくっきりと。ごみ置場とは卑近なものを持ってきましたが俳句は俗を嫌うものではなのでいいですよ。
蒼月さん選。
朝霞富士を横目にゴミ置き場
⇒朝ゴミ出しをする。春なのでいつもの富士が霞んで見える。冬であれば遠くの白く美しい富士山がくっきり見え、近くのゴミ置き場は 澄んだ空気の中で、 いかにもゴミという存在が露わになる。春はその富士山もゴミもオブラートに包まれて、少しぼんやりした景色になっているのだ。
Sさんが庭のフキノトウを採ってきた。味噌和えで美味しくいただいた。
部屋のシンビジューム。