Latest Entries
一柿会
肩が相変わらず痛むので接骨医に行く。
行く途中の、シャコバサボテン。

シクラメン。

鶏頭。

家に戻って名古屋に行く準備をする。
庭の万両。

ピラカンサ。

新幹線の中でまどろむ。だいぶ、時差ボケは抜けてきたが、年とともに抜けるのに時間がかかる。
一柿の会。名古屋藤が丘”嘉門”に13人集まる。
幹事はYnさん。大先輩をよくまとめている。
最長老のKrさんが、ぎっくり腰ながら、飲み会には参加してくれ、感激。私のブログでアケビと紹介していたのが、間違いでムベ(郁子)だと訂正してくれた。

久しぶりに鬼丸さんに会い、話が弾んだ。Dmさんに盛んに感謝するので、今度会った時に伝えるようにと言う。
Igさんには米国会社で苦労を掛けてしまったので、いまだに頭が上がらない。
Ndさんは今月誕生月。大先輩だが、髪黒々と若々しい。
Tmさんは相変わらず声が大きくて、Ynさんとのやり取りが年季が入ってる。
Ynさんから何故、クロアチアかと聞かれ、すかさずTmさんがクロアチアは美しいんだよと言ってくれた。
Msさんとも久しぶり。書をたしなむ。
山梨から来たTrさん、Mnさん、Hrさん、Ngさんには良く会ってる。
楽しく談笑して散会。
明日はゴルフだ。
スポンサーサイト
日曜午後のコンサート
Kwさんの日曜午後のコンサートがあるので、代官山に出かける。なかなかKwさんの演奏を聞きに行けないので、今日は願ってもないチャンス。
代官山で、ヒルサイドテラスC棟に行くのに迷ってしまい、会場に着いたのがぎりぎり。会場はほぼ満員。まずいなあと思ったら、案内の男性が一番前が空いてますと言う。一番前でピアノのすぐ側なので躊躇したら、案内の女性まで、ピアノ奏者の指の動きが良く見えますよと勧める。
あきらめて、前の席に座る。これでは時差ボケの居眠りもできそうもない。
Kwさん登場。
■ドビュッシー アラベスク第1番
■グリーグ 抒情小曲集より 「夜想曲」作品54-4
■ショパン 夜想曲 作品48-1
練習曲 作品10-3 「別れの曲」
幻想曲 作品49
こんなに側でピアノを弾いてるのは初めての経験なので、ただただ驚きと感動を受ける。指の動きがダイナミックで凄い。あたりまえだが、曲に指が踊ってるようだ。時差ボケでこっくりどころでなく、瞳孔が開いて、体全体で聴こえてきた。
ピアノは、シュベスターピアノだそうで、国産。シュベスターピアノの技術者の方が来ていて、説明されたのも全く門外漢の私には面白かった。

演奏が終わって、酔ったみたいになったがKwさんに挨拶をして帰る。
次に水曜会テナーのパート練習に西葛西に向かう。清新町コミュニティ会館。以前、Is先生の発声練習に通ったところ。
今回は、特にオペラ合唱曲の・CAVALLERIA RUSTICANAのセカンドが怪しいのでそこと、・CHORUS OF CIGARETTE_GIRLSのフランス語の発音をIs先生に指導してもらう。
パートリーダーのKkさんの計画で実現。テナーは全員8名参加。アルトのYmさんがHtさんの紹介で参加。
Is先生がお見えになる前に、準備体操と発声練習。Kkさんの指導で・CAVALLERIA RUSTICANAのセカンドの音取り。
Is先生がお見えになって・CAVALLERIA RUSTICANA。セカンドを徹底的に指導してもらったので、何とかタイミングが合うようになってきた。
これを徹底的に行ったので、2時間があっという間に過ぎてしまい・CHORUS OF CIGARETTE_GIRLSのフランス語の練習は少ししかできなかった。Kkリーダーはフランス語のためにもう一度別途計画すると言う。テナーは熱心で圧倒される。今日の練習はセカンドにとって恵みの雨だった。
終わって飲み会に参加。Is先生も参加されて盛り上がる。先生がSさんの写真を見てお美しいですねと言うので、だんだん綺麗になってきましたと答えたら、Htさんにぬけぬけとよく言うよと言われた。
日本酒が美味くて少し飲みすぎた。(クリックすると拡大)

焼酎もいける。

気分良く帰宅。SさんにKwさんのピアノを側で見れて素晴らしかったよと報告。良いこと良いことと言われた。
ミュンヘン
旅行9日目。最後の観光地ミュンヘンに向かう。
雪のザルツブルグ。(クリックすると拡大)

ザルツブルグの最後のショッピング。買い物はいつもSさんは塩、私はピンバッジとカレンダーだから安上がり。

約148km3時間半でミュンヘン到着。
マリエン広場に向かう。バイエルン州立図書館を通過。

馬に関する施設らしいが説明を聞きそこなった。


マリエン広場に到着。バイエルン国立歌劇場。


何といっても新市庁舎が目を引く。

1867~1908年にかけて建設されたネオゴシック様式の建物で、3つの建物からなる。

広場の中央にはマリアと聖三位一体コラム。

旧市庁舎。1345年に由来する。15世紀に改修される。現在は戦災を受け修復したもの。

新市庁舎の裏も見ごたえがある。

右側の建物。

凝ってる。

面白い。

皆はミュンヘン一揆のビアホールに向かったが、Sさんは無論行かない。ミュンヘン一揆、わかってるのかしらとぶつぶつ。
新市庁舎のグロッケンシュピール(仕掛け時計)の仕掛けが動く時間まで待つ。

寒いがお上りさんが周りに一杯。

動き出したよ。



面白いが寒いので途中で切り上げる。

聖母教会(フラウエン教会)に入る。

「それまでマリア礼拝堂があった場所に、1468年に建設が始まり、約20年かかって完成した。」

ステンドグラスが美しい。

「ヴィッテルスバッハ家出身の神聖ローマ皇帝「 ルートヴィッヒ4世」の墓碑」が入り口にある。

聖母教会の写真を撮るのに良いアングルがなくてSさんにぐるぐる探してもらう。何とか見つけてパチリ。

再びマリオン広場に戻る。

ここからミュンヘン空港までバスで移動。優しい運転手と別れる。
空路日本へ。ルフトハンザ航空で11時間半の旅。
Sさんはよく眠ったが、私は興奮したのか眠れず、「アントマン」「ミッションインポシブル」「007スカイフォール」を見てしまった。
ザルツブルグ
世界遺産ザルツブルグに到着。以前、スキーでオーストリアに来たときに寄ったことがあるが、ほとんど記憶がない。
学生時代、ザルツブルグの塩の結晶と憧れた。
まず、ミラブル宮殿に向かう。「1595年から1606年にかけて、当時のザルツブルク大司教ヴォルフ・ディートリヒ・フォン・ライテナウによってルネサンス様式で建てられた。」(クリックすると拡大)

美しい庭園である。

遠方にホーエンザルツブルク城と大聖堂が見える。


花の綺麗な時期だともっと素晴らしいんだろう。

「ペガサスの噴水」(1661年設置)のまわりは、映画『サウンド・オブ・ミュージック』でジュリー・アンドリュース演じるマリア先生が子どもたちと一緒に「ドレミの歌」を歌い、踊ったところである。

ドレミの階段もある。写真を撮るからおじさんどいてと言ったが通じないのかどいてくれなかった。

神話と伝説を題材にしている。

宮殿は、現在、市長をはじめとする行政オフィスとして使用されている。贅沢だなあ。

ギリシャ神話の神の間に、ホーエンザルツブルク城塞が見える。

モーツアルトの住居を通過。「1773 年から 1780 年まで住み、この邸宅で交響曲、ディヴェルティメント (嬉遊曲)、セレナーデ、ピアノ協奏曲、バイオリン協奏曲、ファゴット協奏曲、アリア、ミサ曲、その他の宗教音楽作品を書いている。」

カラヤンの生家にカラヤンの像が立ってる。

ザルツァッハ川を渡る。恋人たちの鍵が橋に一杯ついてる。


クリスマスモードに入りつつある街を歩く。

現地ガイドに連れられて高台に登る。

世界遺産の旧市街が良く見える。

ホーエンザルツブルク城壁。「1077年・・・メンヒスブルク山山頂に建設した防衛施設。」と言うから、相当に古い。

ザルツブルク大聖堂。最初のドーム は774年に建てられ、現在の大聖堂は1628年に建て直されたもの。

1553とある。

見学コースが終了したので、モーツアルトの生家の記念館に入る。

1756 年 1 月 27 日にヴォルフガング・アマデウス・モーツァルトがここで誕生。

写真撮影はできないが、モー ツァルトが使用していた子供用バイオリン、コンサート用バイオリン、ピアノ、モーツァルト家の肖像画と書簡、楽譜など興味津々に眺めた。

その後、クリスマスムードの街を散策。大聖堂が浮かび上がる。

Sさんと腕を組んで恋人気取り。

楽しいな。

次第に冷え込んでくる。

クリスマスツリーもいいけど寒い。

寒い寒い。

レストランであったまり食事をして落ち着く。

皆寒いので集まってきた。常連客が日本人かと喜んで大歓迎される。歌を歌って陽気に騒ぐ。
ホテル ザルツブルグ ウェストに入って、シャワーを浴び、バタンキュー。
オーストリアの山々
旅行8日目。いよいよ旅の終わりが近づく。
ホテル グランド ボナヴィアを出発。(クリックすると拡大)

リエカの街。

クロアチアに別れてザルツブルグに向かう。約392km
途中、ハンググライダーが飛んでいる。

オーストリアに入ると景色が一変してアルプスの山々が見えてくる。
途中で止まったレストラン。

奥に歩いたら、素晴らしい景色が待っていた。

アルプスの外れ何だろうか。

時間をとってもらい、山々に魅入られる。

見てる間に雲が動いて山がくっきり見えてくる。

枯花のオブジェ。

良いなあ。

戻って来てと言われるまで粘る。
昼食。



レストランのオーナーはマリリンモンローが好き。

次第にザルツブルグが近づく。また休んだところでの山がいい。

晴れてついてた。

雪崩の跡みたいなのも良く見える。

休憩所のスーパー。

オレンジを買う。

更にザルツブルグに向かう。(続く)
シベニク
昼食後、シベニクに向かう。約71km1時間。
「シベニクが初めて今の名前で登場するのは、1066年のクロアチア王、ペトロ・ウラジミール4世の時代に於いてである。 」アドリア海東岸のクロアチアの都市では最古の町である。

クロアチアの旗、シベニクの旗、ユーロの旗がはためく。

大砲。

世界遺産「聖ヤコブ大聖堂」。中世の世界。

「教会の建造は1402年に始まったが、建設計画はシベニクが市になった1298年からあった。1431年には当時の教会を現存する教会にする工事が始まり、数多くのヴェネツィアとこの地の職人たちがゴシック様式のものを建立した。」

レンガや木の補助を全く使わず建てられた石造建築の教会としては、世界で一番大きい。

てっぺんには天使と悪魔の像。

大聖堂の造営に携わったジョルジョ・オルシーニの像がある。

72人の頭部の彫刻。当時のシべリスクの有力者たちか。

市庁舎。

側にある聖バルバラ教会。15世紀に建てられたゴシック様式の教会。

散策を少し楽しむ。

犬の水飲み場がある。

城壁を使った図書館の壁に埋め込まれた昔の彫刻。シベニクの印章。

リエカに移動。約340km、5時間。
バスの中から雪山が見る。

夕日が山にあたって赤く染まる。Sさんに今よ今よとせかされる。バスの中から撮るのは難しい。

夕焼け。

雪が降ってきた。

変わった山。

おお寒い。

リエカのホテル グランド ボナヴィアに到着。

夕食にありついて一息つく。



今日も長い一日だった。疲れたが楽しかった。
スプリット旧市街
ドロギールから世界遺産スプリット旧市街に向かう。約27km45分。
港に着く。(クリックすると拡大)

「キリスト教徒を迫害したことで知られるディオクレティアヌス帝の居城。295年-305年、ディオクレティアヌス宮殿を造営したことが都市の起源。」
雨の中、城壁に沿って歩く。

南門(銅の門)から中へ入る。

中に入ると巨大な空間。
井戸がある。

水は、ディナルアルプス山中から水道路にてヤドロ水源から持って来たと説明がある。

「ここは中世には倉庫やワインやオリーブオイルを作るための作業場として使用されていたが、…地下スペースをゴミ集積場所として利用するようになった。ゴミ溜めとなったこの場所には中に人が入ることはなく、遺跡が破壊されることもなかった。」奥にある穴は塵を投げ入れるためのもの。

ディオクレティアヌス宮殿の復元図がある。「皇帝は海がある南側に住み、北側には兵士や使用人が住んでいたと考えられる。できるだけ海に近い位置に宮殿を建てたいと考えたため、なだらかに海に向かって下る南の部分は数層に分けて高くし、北の建物との高さを合わせていた。」

保存状態が良いのは、塵で一杯だったので崩れなかった。

柱は太くしっかりとした石造りとなっている。

地下蔵の天井。

天井までゴミ用の穴。

ディオクレティアヌス胸像がある。

往時から水洗トイレになっており、石で造られた管が置かれている。

途中にヤギの糞で作った卍がある。ナチスを揶揄してる。

隣の部屋ではインターが流れていた。Sさんがまだ社会主義を信奉してる人がいるのと言うので、多分違うと思うよと答える。ヤギの糞の隣だもの。
車輪かな。

広い空間の中には土産物屋さんもある。

階段を上がるとペリスティル(列柱広場)に出る。

聖ドムニウス大聖堂。「4世紀前半にディオクレティアヌス帝の霊廟として建てられたが、後にキリスト教を迫害した皇帝としてキリスト教徒らの怒りを買い、彼らの手により7世紀中頃に破壊されて霊廟は大聖堂へと姿を変えた。」

ディオクレティアヌス宮殿のペリスティル。かつては宮殿の中庭で、今は宮殿跡広場となっている。

皇帝がエジプトから持ってきたスフィンクス。


前庭で男声合唱のクラバ(アカペラのコーラス)を聞く。

遺跡と住民の生活が同居してる。

地元では有名なバラ。

生活の息吹。
グルグール司教の巨大な像。 左足の親指を触ると幸せになれると言われているので触ろうとしたら、若い女性二人がかわるがわる写真を撮ってなかなか終わらないので、辛抱強く待つ。

北の門(金の門)でここで自由行動になる。

Sさんは現地ガイドにインターが流れていたが、あれは何かと聞いたら、揶揄してるんだと言う。評判は良くないらしい。
ローマ時代の遺跡を見ながら散策。

変わった装飾。

路地を縫って歩く。Sさんに手を引っ張られて引きずられるようにしてついていく。
Sさんが小さな博物館を見つけて見よう見ようと中に入る。

それほど古いものはないがなかなか面白い。






かっての城壁。中世に書かれたのだろうがあまり変わってない。

ディオクレティアヌス宮殿の中庭。

ディオクレティアヌス宮殿の復元図がある。

さっき絵でみたばかりのディオクレティアヌス宮殿の中庭。

奥は銀の門。

海岸の待ち合わせ場所に戻る。

バスに乗ってレストランへ。

タコの飾り。

イカのグリル。

(続く)
トロギール
旅行7日目。世界遺産のトロギールの観光に向かう。「トロギルは2300年に亘って続く植民都市としての伝統で、豊かな文化は古代ギリシャ、古代ローマ、ヴェネツィア共和国の影響から生み出された物である。トロギルには小さな島の中に宮殿、教会、塔が多数、そして要塞もある。」
あいにくの雨。(クリックすると拡大)

「紀元前3世紀、ヴィス島からやってきたギリシャ人植民者により植民地トラグリオンがつくられ、大きな港として発展していったが、それは古代ローマ時代までであった。」

港からトロギール旧市街に向かう。狭い路地を通っていく。

「1123年、サラセン人によって町全域が征服されほぼ完全に破壊された。しかし、トロギルは短期間で被害から回復し、12世紀と13世紀には力強い経済繁栄を見せた。」
世界遺産の聖ロヴロ大聖堂。13世紀初頭から17世紀までかかって建築。

巨匠ラドヴァンによって造られたロマネスク美術の傑作。左右にライオン。ライオンはヴェネチアのシンボル。その上にはアダムとイブの彫像。

「1420年、長く続くヴェネツィア共和国支配時代が始まった。」
説明を聞いたが忘れてしまった。

公開裁判所だった聖セバスチャン教会の時計塔。

壁には公正な裁判を象徴する天秤を持った聖母のレリーフ。

「中央部分に何もないのは、かつてはヴェネチア共和国を象徴するライオンのレリーフがあったが、第二次世界大戦中に町がイタリア軍に占領された際に、イタリアを憎んだ住民たちによって破壊された。」

トロギル市出身のベリスラヴィッチ総督の騎馬像。祖国のためにオスマン・トルコ軍と戦って1520年に戦死したが、町では英雄として讃えられている。

天井には紋章。

市庁舎の中に入る。かっての宮殿。13世紀から14世紀にかけて作られた。

中庭に入る。

井戸もゴシック様式で当時の姿のまま。

港には帆船が止まってる。

南門(海の門)に出る。

現存するトロギールの城壁は、15世紀頃に造られたもの。

路地を伝って元に戻る。

この路地は石畳で中世の世界。

北門(正門) 17世紀頃に造られた。

榮さんはお店で買い物。また塩かな。

また路地を通る。榮さんと一緒でなければ絶対に迷子。

港に着く。

次は世界遺産、スプリットに移動。(続く)
ボスニアヘルツェゴビナのモスタル旧市街
旅の6日目。
ホテル、リクソス リベルクスのベランダからの朝日が美しい。

日が昇ってきた。(クリックすると拡大)

なかなか良いホテル。

食事前にホテルの外の海岸線にSさんと行ってみる。

アドリア海の波は荒い。

波打ち際まで行ったが、ちょっと危ないので引き返す。

冬のアドリア海は日本での印象とは違う。

ドブロニクから、ボスニアヘルツェゴビナの世界遺産モスタル旧市街に向かう。
ドブロニクよさようなら。

美しい海岸線ともお別れ。

雪をかぶった山々。

ボスニアヘルツェゴビナは、内戦時最後まで戦いが続いたので銃弾跡が残ってる。

破壊された建物もまだ残ってる。「1991年に勃発した旧ユーゴスラビア内戦。「民族紛争」とも呼ばれるこの内戦では、領土内に住むクロアチア系住民、イスラム系住民、セルビア系住民により血を血で洗う抗争が繰り広げられた。」

カソリックの尖塔。

今は平和の象徴になってるスターリ・モストに向かう。

ここでお金を払うと橋からネレトヴァ川飛び込むと言う若者が現れ、お金を払ってもらい飛び込んでもらった。

一瞬であるが寒い中頑張ってる。

イスラム圏であり、モスクが多い。

カラジョズ・ベゴヴァ・モスク。1557年に建てられた。

バザールを覗いて歩く。

スターリ・モストは「1557年にスレイマン1世が当時あった不安定な木製の吊り橋に替えて作るよう命じたものである。」

「町の象徴となっていたこの橋は、ボスニア・ヘルツェゴビナ紛争中にあたる1993年11月9日午前3時にクロアチア系のカトリック民兵によって破壊されたが、その後復興計画が持ち上がり、2004年6月23日に復興工事が完了した。」

食事までお店を覗く。

レストランに入る。

昼食はチュバブチェチェ。

午後から自由散策。ちょっと裏に回ったら破壊された建物が残っている。

イスラム寺院コスキ・メフメット・パシナ・ジャーミヤのモスク。
祈りの前に手足を清める場所(泉)のシャドルヴァン。

水が湧き出てる。

中に入らず外で目礼。

再びお店を覗く。

猫がやたらと多い。

大きなドームがある。何だろう。

ここにも破壊の跡。

カラジョズ・ベゴヴァ・モスクの側を通る。

路地を歩く。

スターリ・モストを渡る。

石畳。結構、歩きにくい。

ネレトバ川を挟んで激しい戦闘が行われた。

レストランの民族衣装のマネキン。

ネレトバ川の河岸に降りる。スターリ・モストを下から見上げる。

Sさんがこっちが面白そうと言うので行ったら、クリヴァ・チュプリヤ(曲がった橋)に出会う。

美しいとSさんが感動。

1558年に架けられており、スタリ・モストより数年早い建設。ここも世界遺産。

観光は終了し、バスでクロアチアのトロギールに向かう。約157km、3時間。
バスからの夜景が綺麗。

今夜のホテル、メデナは社会主義的と言われている。

今朝までの五つ星ホテルとは大違いだった。見た目はまあまあだが。これも面白い。

添乗員から散々聞かされたので、覚悟をしたので無機質がそれほど気にならなかった。
モンテネグロのコトル
(続き)
城壁一周が終わってから、レストランで食事。(クリックすると拡大)




クロアチアのドブロヴニクからモンテネグロのコトルに向かう。バスで海岸線を走るので美しい。

ドブロヴニクが遠ざかっていく。

糸杉が多い。

何か養殖してる。

モンテネグロに入る。コトル湾のぺラストの町と裏山。

聖母島が浮かんでる。

コトルに入る。コトルはアドリア海沿岸でも中世の古い町並みが良く保存された世界遺産。

川に沿って城壁が続き、それが山の上まで続いてる。

城壁はヴェネツィア共和国によって築城されたもの。

4世紀にわたって支配したヴェネチアのライオンの紋章。

海の門をくぐる。

武器の広場に出る。

武器の広場に建つ、1602年建設の時計塔。

四角錐の柱は「恥の柱」と呼ばれる罪人の晒し台。イケメンの現地ガイドが説明する。

ピマ宮殿。1667年の大地震のあとに建設されたルネッサンス・バロック様式の建築物。良く残ってると感心する。

見上げると頂上の聖ジョバンニの要塞が見える。

コトル市の中心に位置する美術館広場。

聖トリフォン大聖堂。1166年に建てられたロマネスク様式の教会。塔以外は建てられた当時のままと言うから驚き。

山の城壁の中腹にある教会が見える。あそこまで登りたいが時間が次第に足りなくなってくる。

大砲が飾られてる。

公共の井戸カランパーナ。17世紀末につくられたままの姿を残している。

聖ニコラス教会。

聖ルカ教会。1195年に建設された。支配者がくるくる変わる中、良く残ってる。

路地が多く石畳が美しい。

見学が終わったので山の城壁に向かう。暗くなってきてしまい上までは行けそうもない。狭い街並みを抜ける。

急な階段を上る。

Sさんは途中で待ってると脱落。

城壁の幅は2~15m、高さは最大20m、長さは4.5kmもあり、数百年を要して作られた。

門を通過。行けるところまで行こう。

中腹の教会まではまだある。

下を見下ろすとコトルの街が美しい。

中腹の教会が近づいてきた。

中腹の塔までは行きたかったが暗くなり、あきらめる。

一組の夫婦が最後まで一緒で奥さんは行きたがったが、ご主人は暗いから無理と言う。

コトルの街が良く見える。美しい。

戻って、Sさんと一緒になる。途中、ピンバッジを買ったりしていたら、急に雨に降られる。バスに駆け込む。
帰りはカーフェリーに乗ってバイパス。

ドブロヴニクに着く。城壁がライトアップされている。

帰りのドブロヴニクの夜景。

食事は途中で仕入れた食料をおしゃべりしながら楽しく部屋で食べる。

今日も長い一日だった。風呂に入って爆睡。
ドブロヴニク(その2)
世界遺産ドブロヴニクの城壁巡りを時間をかけてたっぷり行う。[
ドブロヴニク城壁は周囲約1,900mあり、厚さ5メートル、高さ20メートルの堅牢な市壁。最初に造られたのは7世紀とされるが今日見られる主要な部分は12世紀から17世紀にかけて造られている。
いきなりアドリア海の真珠の世界。

「紅の豚」だ!

スルジ山が見える。ロープウェイは強風で動いていない。

ドミニコ会修道院。「修道院は 13 世紀初期に設立されたが、建物の完成には 1 世紀以上を要した。1667 年の大地震の後で大規模な修復が行われた。」

内戦時に破壊された跡が残ってる。「1991年10月1日にドゥブロヴニクへユーゴスラビア人民軍が攻撃を開始し、その後ドゥブロヴニク包囲が7ヶ月間続いた。」

赤い屋根が続く。「魔女の宅急便」の世界。

ミンチェタ要塞に向かって進む。

フランシスコ会修道院。「特筆すべき建造物は、1360年、クロアチアの地元の建築家、ミホイエ・ブラィコヴによって設計されたルネッサンス様式の中庭である。」

向こうにロヴリイェナツ要塞が見える。

スルジ山。風が強い。帽子が飛ばされそう。

1925mの城壁をゆっくり一周する。すっかり魅入られてしまった。

ミンチェタ要塞に着く。

無論私は登ったが、高所恐怖症のSさんは、下で待つ。

アドリア海が輝いてる。

旧市街の全貌が見える。

降りたら丁度、何時も食事のとき、同席する仲の良いご夫婦と出会う。お互いに写真を撮る。
お二人は登っていく。

こんなところにコートがある。

振り返るとミンチェタ要塞。

ここにも内戦の破壊の跡。

果樹園?

オノフリオの大噴水が上から見れる。

先ほど歩いたフランシスコ会修道院とプラツァ通りが見える。

ロヴリイェナツ要塞。

ここにも破壊の跡が。

海面から37mの岩山に立ち、海と陸の両方から街の治安を守っていた。

実に美しい。

途中修理してる板で囲ったところがあり、先に行っていたSさんが高所恐怖症から動けなくなってしまう。向こうから来た人が心配して声をかける。写真を撮るのをやめてあわてて追いつき、手を引っ張る。揺れて怖いようと言うのを、大丈夫と引っ張る。可愛いもんだ。

大砲が置いてある。

下に降りれるところがあるが、Sさんの事を考え、あきらめる。

急な階段。

登り始めたところが近づいてくる。ヌーディストの島。

アドリア海の冬。

下に降りてみたいなあ。

大砲があちこちにある。

旧港に戻ってきた。

時計塔。

スタート地点。一周した。

再び「紅の豚」の場面。ああ美しかった。

(続く)
ドブロヴニク(その1)
クロアチア旅行5日目。
ホテルの部屋のベランダからのアドリア海。

波が結構荒い。(クリックすると拡大)

今回の旅行の一つの山場の世界遺産ドブロヴニク観光に出かける。
最初にバスで見晴らしの良いところに行く。通行止めみたいだったが、休みだったので運転手が通行止めを除いて登る。
赤い屋根の旧市街が良く見える。

1979年に世界遺産に登録された旧市街は「アドリア海の真珠」とも謳われる美しい町並みを誇る。

向こうに見える島の裏側はヌーディストのビーチとか。今は寒いからいないだろう。

バスで虹だ虹だと騒ぐ。

バスを降りて旧市街に入る。城壁に囲まれてる。

ピレ門から入る。「ピレ門が造られたのは16世紀で深い堀にかけられた橋は、木製の跳び橋だった。」

古い砲弾かな?

内戦時に1991年から1992年にかけて砲撃があった。弾痕跡が記録されてる。

オノフリオの大噴水。「1438年に造った大きな噴水で、12km離れた源泉から水を引いて市内の2か所に設けられおり、 16面の顔のレプリカの口から、水が噴き出していて飲料水となっている。」

14世紀に建てられたフランシスコ会修道院。

「併設するマラ・ブラーチャ薬局は1317年に開業しクロアチアで最も古く、現在も営業している薬局の中では世界で3番目に古い。」

狭い脇道も魅力的。


ピレ門の入り口から中心部ルジャ広場まで約200m続くドブロヴニクの目抜き通りのプラツァ通りを行く。中世の世界に迷い込んだよう。

ルジャ広場に着く。

時計塔の上部にある鐘は1444年に建造され、毎正時になると鐘つき男の像が鐘を叩くそうだが、それまで待ってられない。

聖ヴラホ教会。右はオルランドの柱で1418年に造られており、この像の肘の長さが取引の際の物を計る単位となっていた。

1516年に建造のスポンザ宮殿で、商業、貿易の場に使われた。

大噴水と同じ時期に作られた小噴水。Sさんはここで手を洗う。

右手の優美なアーチがが連なる建物は、ドブロヴニクがかつてラグーサ共和国として栄えた時代、総督邸として15世紀初めに建てられた。
正面奥の建物はスポンザ宮殿で、16世紀に建てられた頃は税関の様な役割をしていた。
奥はスルジ山。

聖母被昇天大聖堂の側面。

大聖堂。十字軍に参加した英国のリチャード王がドブロヴニクの沖合で遭難し救助されたお礼にこの大聖堂を建造したと伝えられているが、1667年の大地震で倒壊、バロック様式で1713年年に現在の建物が再建。

クロアチアはネクタイの発祥地。「クロアチアの軍装は、美しいスカーフを首に巻く伝統的なスタイルで、このオシャレなクロアチア・スタイルが・・・ファッションに敏感なフランスのルイ14世の目にとまり、お抱えのテーラーに同じものを最高級で作らせた。・・・ネクタイ専門店「クロアタ」(CROATA)というブランド名でネクタイやスカーフを販売。」

旧港。「紅の豚」の舞台。

聖イヴァン要塞。


城壁とスルジ山。

まさに紅の豚の世界。

スルジ山に登るロープウェイは強風で止まってる。希望者はタクシーで出かけたが、Sさんは城壁巡りに時間をかけようと言う。これが大当たりだった。城壁巡りの入り口。

(続く)
プリトヴィッツェ湖畔国立公園(その2)
(続き)
下流の湖群は一渡り見切ったので、今度は船に乗って上流の湖畔に行く。上流の湖畔は行く人はあまりいないと言う。
この時、雨が小やみになったのでいいかなと思う。(クリックすると拡大)

自称お天気おばさん一人が、ここでやめてホテルで待機。そのせいか雨がすごく降ってきた。
コジャック湖は園内最大の湖で 全長2.3㎞、深さ最大46mあり、もともと異なる2つの湖が時を経て1つになったそうだ。
雨にけぶるコジャック湖。

鵜が休んでる。

景色は良い。

雨が降って、木道が滑りやすいので下を向いて黙々と歩く。

象の鼻と紹介されたが、ふーんて感じ。

もう写真を撮ってる人はいなくなったが、私は頑張って撮った。

ブルゲッティは小さく浅い湖が集中したエリアであり、石灰華の堰堤があちらこちらで見える。

滝のすぐそばを通過したりして、下流の時よりは迫力があるのだが、落ち着いて眺められない。皆は下を向いてほとんど滝を見ていない。

滝のすぐ側を通過。雨か滝しぶきか判別つかない。

カメラのレンズをふきふきパチリ。

倒木が石化してる。誰もきにとめない。

ようやく帰りの船着き場に着いたときは、ほっとした。歩いてる人には出会わなかったが、船には乗ってる観光客がいた。
年取った人も多かったが、旅慣れている人が多く、大変だと言う声はあったが、苦情を言う人はいなかった。靴の中までぐしょぐしょ、ズボンはびっしょり、シャツは汗と雨でべったんこ。
レストランの食事で一息つく。


ドブロニクへの移動のバスの中で、乾かした。約443km、7時間。
ホテルは五つ星ホテルで素晴らしく助かった。連泊なので助かる。
部屋で着替えてほっとする。
食事の前にスーパーに行こうとSさんが言い出かける。
また趣味の塩の収集。

結婚式が行われており、にぎやか。

陽気な花嫁さんがやってきた。Sさんが写真撮ってあげなさいと言うのでパチリ。背が高くてモデルさんのような綺麗な人だった。花嫁花婿に幸あれ。

体があったまったら食欲が出てきた。何時も一緒のご夫婦と大変でしたねえと話し合う。


時差ボケも抜けてバタンキュー。
プリトヴィッツェ湖畔国立公園(その1)
ホテルマコーラの動物たち。(クリックすると拡大)


ホテルを出発し世界遺産「プリトヴィッツェ湖畔国立公園」へ移動。
遊歩道をハイキング。あいにくの天候で雨が降ったりやんだりしてる。
現地のガイドさんと添乗員のNjさんにリードされて出発。

いきなり凄い滝が目の前に広がる。

一番大きな滝は下流のプリトヴィツェ川が流れ込んでできた大滝(78m)プリトヴィッツェ滝で、 湖群の最下流にある湖からコラナ川に流れ出す。

「プリトヴィツェ湖群国立公園は、ディナル・アルプス山脈の山間に点在するカルスト地形のひとつ。16の湖は、山間から流れ出てくる水が標高636mから503mまで、およそ8kmにわたって南北方向に流れる中で形成されている。」

「湖群は紺碧、紺青、灰色など、目を見張るような色合いをもつ。水の色はミネラルや有機物の量、あるいは日照の角度などによって絶え間なく変化する。」

湖に沿ってひかれている木道を歩く。

水量は豊富。雨が降ったりやんだり。

「92ヶ所もの滝を持つ国立公園。この滝が“世界一美しい!”と評価され、世界遺産にも登録された。」

雨が降ってきたのでカメラのレンズを拭きつつシャッターを切る。

滝の一つ一つが美しい。

「湖群は紺碧、紺青、灰色など、目を見張るような色合いをもつ。水の色はミネラルや有機物の量、あるいは日照の角度などによって絶え間なく変化する。」

魚がいる。

雨交じりなのに心が澄んでくる。

クロアチア出身のソプラノ歌手、ミルカトルニナがコンサートを開き演奏料を寄贈した。

名前がついてる。ミルカ・トルニナ滝。

石灰化されてる倒木。

下流湖畔の最後の滝。

下流の湖群は一渡り見切ったので、今度は船に乗って上流の湖畔に行こうとNjさんが言う。上流の湖畔は行く人はあまりいないと言う。
(続く)
ポストイナ鍾乳洞
リュブリャナからポストイナ鍾乳洞へ向かう。約53km、1時間。
欧州最大の鍾乳洞で、世界でも第3位の規模を誇る。
(クリックすると拡大)

全長約21キロのこのポストイナ鍾乳洞は、観光コースは約5kmある。内部の温度は年間を通じ8~10℃。

最初の3.2キロをトロッコで移動をする。このトロッコのせいで世界遺産への登録ができないそうだ。

「この電車の軌道は1872年に単軌道で敷設されたもので、当初は人力で2人乗りの客車を動かしていた。1924年に蒸気機関車の運行が開始され、1957年に電化。1964年に二線軌道化された。現在の全線が開通したのは1968年であった。」

高さ32メートル、幅40メートルの「スカイスクレーパー」と呼ばれる巨大空間からスタート。高さ7メートルの「ザ・ジャイアント」。

フラッシュをたかなければ写真撮影は可と説明があるので喜んで撮る。

ガイドをイヤホーンで聞きながら、周りの光景に驚愕。

鍾乳石が1mm成長するのには、10年から30年がかかるといわれる。

鍾乳石は上から地面に向かって成長するのに対して、石筍は地面から上方に成長する。そして、この2つがつがなると石柱になる。


大きい山という地下の山からロシア橋を渡る。この橋は、第一次世界大戦の間、ロシア捕虜によって建設されたものである。

次々と素晴らしい光景が現れて、見とれてるうちにメンバの最後尾になってしまう。

イヤホーンで聞く説明とずれが出てくる。

まあ感動すればいいや。

天井から無数の鍾乳石が垂れ下がっている。

「美しい洞窟」。

人では作り出せない芸術作品。

白い石柱。

水が溜まってる。

縞模を描いた幕状鍾乳石。

鍾乳石にはいろんな名前がついてるが、これは見方によっては、スターウォーズの怪物みたい。

天井から無数の極細鍾乳石が垂れ下がっている「スパゲッティ・ホール」。

大きな石柱に出会うとつい立ち止まる。人は次々とやってくるので、メンバーからは離れてしまう。

白い石柱は不純物が少ない。

倒れている石柱がある。

見飽きることはない。もっとゆっくり見たい。

どこかの遺跡のよう。

水で輝いてる。

生きてるようだ。

鍾乳石が林立する林の中を進む。


ローマの遺跡みたい。



ポストイナ鍾乳洞の地下水には1ℓあたり200mgの炭酸カルシウムが溶解しているとか。

このうちの半分位が鍾乳石として沈殿するのだとか。

カーテンみたい。



「ブリリアント」と呼ばれる石筍が近づいてきた。

最も白い鍾乳石は、「ブリリアント」(Brilliant)と呼ばれ、ポストイナ鍾乳洞のシンボルになっている。

そろそろ見学コースは終わりが近づいてきた。

まだまだ鍾乳洞は続く。

だんごのよう。

最後のころに洞窟生物のプロメテウスのいる水槽がある。プロテウスはイモリの仲間で、体長は20センチ。洞窟生物の中で最も大きい生物と言われている。寿命は100年を超え、6年間餌を食べずに生きたという例もあるという。写真撮影はできず、眼は見えないが人がいるのはわかるようで交代で水槽に入れないとストレスを感じてしまうそうだ。
1万人を収容できるコンサート・ホールで終了。

1万人を収容できるこの巨大な空間では、実際にクラッシックのコンサートが開かれている。
これが18世紀から続いてると聞いてくらくらした。
素晴らしい別世界だった。
リュブリャナ
ホテル「エム」を出てリュブリャナ観光。(クリックすると拡大)

リュブリャナはスロベニアの首都。「リュブリャナはスラヴ世界と共にゲルマンやラテン文化など様々な要素が歴史を通じて影響を与えている。」
リュブリャナ城に上がるケーブルが見える。城は1144年に建設された。

龍の橋。リュブリャナのシンボルである。

しゃれたお店が並んでる。

リュブリャナ 肉屋の橋の鍵。恋人たちがつけてる。恋が破れた時、女性は鍵を外すが、男は未練たらしく残すそうだ。

スロベニア人彫刻家ヤコヴ・ブルダルの作品。ちょっと理解できない。

リュブリャニツァ川沿いの建物は美しい。

三本橋。1280年からこの位置に木製の橋が架けられていた。1929年にスロベニア人の建築家ヨジェ・プレチュニックが歩行者専用の橋を両側に付け加える設計をした。この設計では中央と両側、計3本の橋があるので三本橋と呼ばれるようになった。

クリスマスの飾りつけの準備みたい。

詩人プレシェーレンと彼が愛したムーサの像。

少し離れたところにのレリーフがある。彼女はプレシェーレンが嫌いで別の人と結婚したそうだ。

三本橋の中央の橋から、奥に市庁舎が見える。その奥の丘の上にリュブリャーナ城。

17世紀に建てられたフランシスコ教会。

リュブリャーナ城が良く見える。

これらはプレシェーレン広場に面してる。


市庁舎に入る。

井戸があった。

地図が刻まれてる。

ハプスブルグ家の双頭の鷲。

市庁舎の前の噴水。

こんなところにも双頭の鷲が。

リュブリャナ大聖堂の扉には彫像が浮き彫りにされている。1996年に著名なスロベニアの彫刻家によって彫られたものだそうで、1250年間におよぶスロベニアのキリスト教の歴史を表しているという。

大聖堂の中に入る。

Sさんに倣ってお参り。

市場がある。果物が新鮮。

Sさんはポルチーニを買う。

次はポイストナ鍾乳洞へ。(続)
ブレッド湖観光
ザルツブルグ9時出発。
バスでスロベニアのブレッドまで移動。約239Km、3時間半。
ドイツからスロベニアに入る。
ブレッドへの移動途中の山々や城は美しい。

Sさんがあれあれと言うのでカメラを向ける。


雪をかぶってる山も見える。

このバスにずっとお世話になる。(クリックすると拡大)

ブレッド到着。レストランに入る。

何のスープかな。

マスのグリルは美味い。

ブレッド湖観光に出かける。アルプスの瞳と称されるそうだけあって美しい。
中世のブレッド城が見える。

魚がいる。

手漕ぎボートに乗ってブレッド島に向かう。手漕ぎは世襲制だそうだ。

ブレッド島はスロベニアの唯一の自然の島。

ブレッド島には15世紀にたてられた聖マリア教会がある。
99段の階段がある。

結婚式の際には花婿さんが花嫁さんを抱っこして階段の下から上まで登れるかというのをよく試されるそうだ。これはかなりきつい。

52mの塔がある。

中に入る。

「望みの鐘」と呼ばれる鐘があり、祭壇の前の天井から下がっている「ロープ」を引っ張ると「鐘」が鳴って「願いが叶う」と言われている。早速、Sさんも私も引っ張って鳴らした。
急な階段で塔の上に登る。途中に時計の重りがある。

上は時計の機械。窓に格子がついており、見晴らしは期待ほどではない。
お名残り惜しいが、手漕ぎボートで帰路に就く。

ブレッド城も聖マリア教会もおとぎ話の世界のよう。

教会はバロック様式建築。

元チトー大統領の別荘を外から眺める。今はホテル。

魅力的なブレッド湖。

ブレッド市庁舎。市長が偶然、通りかかり地元のガイドが挨拶してる。

ウィンドウショッピング。

ブレッド城をまた振り返る。

雁の群れ。

リュブリャーナへバスで移動。約53km。1時間。
Sさんとスーパーに行く。Sさんは趣味の塩を買う。

夕食は、ご夫婦と一緒の席。楽しく談笑。
部屋に戻ってバタンキュー。
クロアチアへの旅に出発
11月18日から27日までクロアチア、スロベニア、ボスニアヘツエゴビナ、モンテネグロ、オーストリア、ドイツの旅に出かける。18日は羽田からルフトハンザ航空でミュンヘンまで飛ぶ。Sさんと10日間一緒なので楽しい。
宅急便で送った荷物を羽田で受け取り、阪急の受付に行く。添乗員はNjさん。37名の一行。
昼食をとる。江戸の街並みみたい。(クリックすれば拡大)

イルミネーション。

ラウンジでのんびり。
12時50分出発。ルフトハンザ航空。
ずっとエコノミーだったが、年には勝てず、疲れるので、今回初めてプレミアム・エコノミーを使う。席が広くて非常に楽。Sさんは早々とぐっすり眠ってる。
私はマッドマックス怒りのデス・ロード、ジュラシックワールド、ピクセルを見たり、うつらうつらしたりした。
ミュンヘン17時到着。(時差8時間)
車でザルツブルグへ向かう。約148km、3時間半。運転手はクロアチア人。旅はずっと一緒。
ホテル、ドレッドミッテに到着。
いよいよ旅の始まりだ。
スキー宿足一杯の炬燵かな
宿の朝焼け。

バブル時代の建物かやたらとでかい。(クリックすると拡大)

朝食後、再会を期して散会。Ibさん、Tgさんは愛知に帰る。Myさんは車で帰還。Wbさんは途中まで一緒で千葉へ。
帰って、昨夜の大門句会の結果を見る。私は欠席投句。拙速で出来は良くなかった。
兼題は
「炬燵」 今日などは寒くて炬燵がありがたい。
「北窓塞ぐ」 現代の家ではこんな必要はないでしょうが想像力を働かして作って下さい。
「ラグビー」 急に人気が出てきたスポーツです。ラガー。
「凩」 初冬に吹く強い北風。木枯らし。
「紅葉散る」 散紅葉
スキー宿足一杯の炬燵かな 光
馬空さん選。
:昔の民宿ではありふれた風景だった。
円形の赤い絨毯紅葉散る 光
夢路さん選。
:長野のTr邸の紅葉が見事で円形に紅葉が散っていたのを詠んだ。
泥んこで湯気出しているラガーシャツ 光
:日吉の慶応のグランドで時々見かける。
凩や腕組む妻の髪乱れ 光
:何時もSさんと腕組んでる。
別荘の北窓塞ぎ薪を積む 光
:先日、望月の別荘にSさんと行って、水抜きをしてきた。
体調不良で休んでいた野里子さんが参加していたので良かった。
特選句、人気句。
宿帳に少しうそ書く炬燵の間 三四郎
はなさん、勝山さん、夢路さん、遊介さん、野里子さん、馬空さん選。
凩や亡き犬の息聞こえたる 勝山
三四郎さん特選、遊介さん選。
あれそれと祖父の指図や北塞ぐ 野里子
さらさん、勝山さん、はなさん、遊介さん選。
丸顔の家族揃ひし炬燵かな さら
三四郎さん特選、夢路さん、野里子さん、馬空さん選。
歌の練習をして、水曜会に出かける。
「オペラの合唱曲」
・NABUCCO
何度も歌ってるので、これだけは何とかなる。
・BRIDAL CHORUS
ドイツ語。先生が発音し、それをなぞって練習。
発音記号に従って歌うが、発音記号を一瞬?と思うと遅れる。
・CHORUS OF CIGARETTE_GIRLS
フランス語。これは全くダメ。テナーが見せ場だが、これではカルメンが振り向いてくれないよ。
・CAVALLERIA RUSTICANA
セカンドのタイミングがいまだに合わない。先生からパート練習するんでしょと言われる。
休憩。
テナーは全員参加。熱意だけは他のパートに負けない。
「木下牧子セレクション」
・夢みたものは・・・・
・ローラ・ビーチ
結構難しい曲だが、オペラの後では、ほっとする。
飲み会はパスして帰る。
明日からクロマチア旅行だ。
Σ39N会
同期のΣ39N会、熱海で忘年会。
熱海駅に到着。(クリックすると拡大)

駅で宿の送迎者を待っている間に愛知から来たIbさん、Tgさんに会う。Wbさんも早々とついたそうでやってくる。
Ibさん、Tgさんとは久しぶりである。
宿は大野屋。幹事のMyさんはすでに到着していた。
部屋からの眺め。

Wbさん、Myさんの呼びかけ。愛知からIbさん、Tgさんが参加して、5名。
Σ39N会は、愛知の事業所に関連する同期生の集まり。かってメンバは10名以上いて、Ibさん幹事でゴルフと懇親会をしていた。亡くなったり、体調崩したり、音信不通になったりしてメンバが減ってしまい、Σ39N会は幕引きとなった。
今回久しぶりに集まったので、お互いに老けたなあと思ったが、会が盛り上がるにつれて、青年に戻ってしまった。
最初は病気の話など出て、年寄臭いなあと思ったが、Myさんが奇跡的に糖尿病から復活して医者も驚くほど、元気いっぱいになった言う話から、盛り上がってきた。
部屋に戻って二次会。酒は一杯あったが、皆酒量は落ちている。
Wbさんが持ち込んだ珍味に舌鼓を打つ。アンコウの肝を煮て圧縮したものでWbさんのお手製。

一時は声も小さくなり、糖尿などで元気を失っていたMyさんがガンガン飲んで大いに語る。野球の選手だったので清沢とか懐かしい名前がポンポン出てくる。おじいさんの会津の彫像を見に行きたいと言う。
IbさんはΣ39N会の戦歴記録を披露。長い歴史がある。私も優勝していた。一組になるまで続けてと頼んでいたが一組になる直前に終わりになった。体調を崩したが体重を減らして元気に復活。
Wbさんは、母校のスキー部の歴史をまとめて披露。凄い内容。写真や記事をこつこつ足で稼いで作成した歴史的な書物。後輩に託して残すべきと進言。来年の計画を今立てているところだと言う。こういうところはちっとも変わらない。
Tgさんはパソコン教室の先生。学校の先生を長くやっていたので、手慣れたもの。学校の先生時代は、若い女性に囲まれて皆の羨望の的だったが、今は爺婆相手とか。
仙台旅行の疲れが出たのか、眠くなり、先に休む。爆睡。
仙台旅行2日目
仙台旅行二日目。
ちょっと面白いことがあって、NzさんとJbさんと朝から大笑い。
宿を出発。(クリックすると拡大)

Ikさんが春に作った数珠を失くし、再度数珠作りに円通院に向かう。
行く途中で銀杏木が黄葉。(クリックすると拡大)

紅葉がそこら中にある。

円通院に入る。

数珠つくりの間、紅葉を楽しむ。

昨夜の紅葉も素晴らしかったが、雨に濡れて鮮やかになった紅葉もまた素晴らしい。

昨夜通ったところが違った景色になる。

伊達政宗の嫡孫光宗の霊廟として、正保4年(1647)瑞巌寺第100世洞水和尚により三慧殿が建立。

伊達宗高並殉死者の供養塔とある。

墓が並ぶ。

ひときわ鮮やか。

この紅の色の美しさよ。

感動の連続。

自然の美しさ。

数珠の体験。Ikさんも終わったみたい。

名残惜しい。

観瀾亭に向かう。途中に松尾芭蕉翁旅宿月見之館。

観瀾亭に着く。「禄年中に豊臣秀吉から伊達政宗が拝領した伏見桃山城の一棟で江戸品川の藩邸に移築したものを二代藩主忠宗が一木一石変えずこの地に移したものと伝えられる。」

あいにく眺めは雨でけむってる。

松島博物館に入る。阿吽の龍。

松島図屏風。

伊達政宗の直筆の書状が飾ってあった。

伊達政宗。

メタセコイヤの化石もある。

すかし橋を渡って五大堂に向かう。

「五大堂は、大同2年(807)坂上田村麻呂が東征のとき、毘沙門堂を建立し、天長5年(828)慈覚大師円仁が延福寺(現在の瑞巌寺)を開基の際、「大聖不動明王」を中心に、「東方降三世」、「西方大威徳」、 「南方軍荼利」、「北方金剛夜叉」の五大明王像を安置したことから、五大堂と呼ばれる。現在の建物は、 伊達政宗が慶長9年(1604)に創建したもの。」

先ほど訪れた観瀾亭が見える。

カモメが群れ飛ぶ。

福浦橋を渡って福浦島を訪れる。

カモメが橋にとまって人が近づいても逃げない。

福浦島が近づいてきた。

島めぐり一周を楽しむ。
弁天堂でお参り。

鴨が人の気配で逃げ出した。

焼島などが見える。

ここでも紅葉が美しい。

こんなに次々と紅葉狩りができて嬉しい。

ヤブコウジの群生。

春に松島島めぐりをした。

昼食の牡蠣小屋に向かう。


牡蠣殻の山。

これはびっくり。スコップで牡蠣を放り込む。

鉄板の上で牡蠣を蒸す。

蒸された牡蠣をほおばる。開かない牡蠣はナイフを入れて開けるが、コツがあり難しい。

夢中になって食べていたら、お腹が一杯になってしまった。
Nzさん、Jbさんが最後まで頑張ってほぼ食べてしまったのは若さだなあ。
仙台駅に移動して、るーぷる仙台に乗って、瑞鳳殿に向かう。

階段をえっちら登る。

ここでも紅葉が見ごろ。良い時に来た。

仙台藩初代藩主・伊達政宗を祀る瑞鳳殿。



二代忠宗公の感仙殿。

三代綱宗公の善応殿。

仙台に来たら行かなくちゃと言われて仙台城跡に向かう。
石垣。

高台に伊達政宗の銅像がある。

夕暮れの仙台を一望。

路線バスに乗り、仙台駅に戻る。
Mrさんお勧めの寿司屋に入る。

これは美味かった。

新鮮。

お酒も美味い。

お腹いっぱい。

まだ手を伸ばしてしまう。

Mrさんのおかげで、楽しい旅行を良き仲間と楽しめた。Sさんも大喜びで、またご一緒しましょうと言ってる。
Mrさんありがとう。
仙台旅行初日
仙台旅行に出発。春に続いてMrさんの企画で実現。
メンバーは春と同じで、Mrさん、Ikさん、Nzさん、Jbさん、Sさんと私。気心が知れていて気楽で楽しい。
東京駅8時20分発のはやぶさ5号。Nzさんと東京で合流。大宮でIkさん、Jbさんと合流。皆、寝坊せずに間に合う。
若者組は、はや電車で酒盛り。
9時50分に仙台に到着。Mrさんに出迎えてもらう。あいにくの雨で風も強いが、今日は室内が多いので大丈夫。
多賀城駅で降り、そこからシャトルバスでキリンビール仙台工場に向かう。(クリックすると拡大)

麦酒の材料をちょっと食べてみる。

製造工程を説明を受けながら見学。


缶詰めのラインはちょっと見ごたえがある。

缶の蓋を締める機械。ここで一つ作って貯金箱。じゃんけんで一人だけ当たるが、40人くらいいたと思うが、Ikさんが見事勝ち抜いた。勝負強い。

見学を終え、試飲タイム。三杯を飲む。実に美味い。
昼食は同じ敷地内のレストラン。Mrさんがきっちり予約してくれてる。
Ikさんが教わったばかりの注ぎ方で注いでくれる。
麦酒しゃぶしゃぶと言うのを頼む。

豚肉が柔らかくてこれまた美味。皆大満足。こんな贅沢していいんだろうか。

次はオープンして間もない水族館に向かう。仙台うみの杜水族館。

垂直にたらされたたくさんのロープにぎっしりと付着したマボヤ。ホヤ大好きのSさんと私は喜ぶ。

幅13m・高さ6.5mという、仕切りのない巨大な水槽。

鰯の大群に圧倒される。

凄い凄い。

随分長く目を奪われる。

寒流と暖流が出会う潮目であり、たくさんの生きものたちが集まる世界三大漁場、三陸の海。

命のきらめき。

シュモクザメ。

ホヤとイソギンチャク。

タカアシガニ。

暖かい海の海藻と、冷たい海の海藻が生息する三陸独自の環境。

イカが美しい。

マンボウ。子供が指さすと近づいてくる。

文字通り穴子。

深海のオオグソクムシ。

ペンギン。

熱帯魚の群れ。

怖いウツボ。

アザラシ。

シベリアチョウザメ。

何だろう。

電気鰻?

古代魚?

ウミガメ。

穴からにょきにょきチンアナゴ。

エイ。

逆さクラゲ。

ミズクラゲ。

ペンギン。

一日かけてゆっくり見てもいいぐらいだ。
水族館後は松島海岸駅まで電車で移動。本日の宿ホテル大松荘に到着。
夕食の時間まで同室のNzさん、Jbさんは眠ってる。
夕食は豪華で食べきれない。夕食後に円通院の紅葉の一大イベントがあるのでお酒は帰ってから。

春に数珠を作った円通院に向かう。

あいにくの雨。

これが意外に風情があって良い。

ライトアップされている紅葉を堪能する。

雨が降ってなければ凄い人出だそうだ。

三慧殿のライトアップ。

幽玄の美をSさんと楽しむ。

怪しい美しさ。



宿に戻って温泉にゆっくり入り、飲み会が始まる。
Ikさんが持ってきた赤ワイン、その名も円周率のπ。ボトルに円周率。
Jbさんが円周率を結構覚えているというので、言ってもらう100桁近くまで言えて、皆が驚く。小学校の時に覚えたと言う。
凄い凄い。

わいわい楽しみながら宴会はほどほどに終わる。Sさんが大変喜んでくれて嬉しい。
赤羽CC
赤羽GCで高校時代の仲間とプレー。
Mkさんの車に乗せてもらう。忙しいようだが、元気一杯。
Mkさん地主で幹事。6名参加。一緒にTnさん、Mkさんと回る。
河川敷なのでフラット。一人用のカートを引っ張る。

柳が多い。

スタートはいつも通り、さえない。何時も絶好調のTnさんが、あまり良くない。Mkさんとは一打を争う。
スルーで回ったので、後半調子が少し出てきた。
池ポチャもしたが、まずまず。

上がってみれば、スコアが悪いが、ハンディに救われて準優勝。二週連続だと喜ぶ。優勝は実力者Itさん。
Akさんとは何時もせってるが、前半、大きく引き離され、Akさんも勝ったと思ったらしいが、後半乱れて、かろうじて勝つことができた。
Szさんが次のゴルフの計画を話してくれたが、もうスキーシーズンで当分無理。
高校時代の仲間は良いなあ。久しく会っていないKcさんに普通部の集まりであったとTnさんが言い、皆が興味を持つ。私を山に誘ってくれた友。今も社長業で忙しいようで、久しく会っていない。
Itさんは早く終わったので、これから仕事に行こうかと言ってる。
また春にやろうと言って別れる。
帰りもMkさんの車に乗せてもらう。久しく奥さんにも会ってないので4人で食事しようよと誘う。
帰って、楽しかったよとSさんに報告。
明日からの仙台旅行の準備をあわただしく行う。
水曜会欠席
庭のダイモンドリリー。虫に食われて一輪しか残らなかったが、長く咲いて楽しませてくれる。

キンレンカ(金蓮花)がまた咲きだした。旅行中に一時は枯れかかったが、Sさんの努力で復活。

コバノランタナは元気。

Sさんに言われて一緒にインフルエンザの予防接種に出かける。
日吉公園の王様ダリア。

元住吉のブレーメン通り。(クリックすると拡大)

インフルエンザの予防接種をする先生は喉が痛くなった時に最初に診てもらった。紹介状を書いてもらったので、どうでしたかと聞かれた。何も見つからずに、治ってしまったと言ったら、そうですか、昨年もそうでしたねと言う。
普通にしていいですが、あまりお酒を飲んではしゃいだりしないようにと言われた。
帰りにちょっと買い物をする。
近所のマンデビラ。

トケイソウ。
菊。

バラ。

菊。

帰って、歌の練習をしていたら、調子が悪くなってきた。予防接種のせいかと思ったが、だるくて風邪みたいな症状。
Sさんは何ともないので、疲れが出たのかもしれない。
これから、仙台旅行とクロマチヤ旅行が控えてるので大事を取って水曜会の練習を休む。残念。

キンレンカ(金蓮花)がまた咲きだした。旅行中に一時は枯れかかったが、Sさんの努力で復活。

コバノランタナは元気。

Sさんに言われて一緒にインフルエンザの予防接種に出かける。
日吉公園の王様ダリア。

元住吉のブレーメン通り。(クリックすると拡大)

インフルエンザの予防接種をする先生は喉が痛くなった時に最初に診てもらった。紹介状を書いてもらったので、どうでしたかと聞かれた。何も見つからずに、治ってしまったと言ったら、そうですか、昨年もそうでしたねと言う。
普通にしていいですが、あまりお酒を飲んではしゃいだりしないようにと言われた。
帰りにちょっと買い物をする。
近所のマンデビラ。

トケイソウ。
菊。

バラ。

菊。

帰って、歌の練習をしていたら、調子が悪くなってきた。予防接種のせいかと思ったが、だるくて風邪みたいな症状。
Sさんは何ともないので、疲れが出たのかもしれない。
これから、仙台旅行とクロマチヤ旅行が控えてるので大事を取って水曜会の練習を休む。残念。
小淵沢の紅葉
FANY'S小淵沢二日目。
宿までTrさんに迎えに来てもらう。
八ヶ岳いずみ荘の紅葉は綺麗。

まきば公園、八ヶ岳牧場。

Skさんは腰が痛み、15分しか歩けないということだったが、ここに来て、長く歩けて喜んでる。自然に接すると良くなるようだ。

南アルプスに雲がかかってる。(クリックすると拡大)

ポニー。

羊。

寒いのにソフトアイスを食べる。

清泉寮で一休み。

八ヶ岳牧場をどんどん歩く。ところどころ紅葉が綺麗。

落ち葉の芸術。


心が洗われる。

清里聖アンデレ教会。

十字架の道行をたどる。


長く歩いたが、Skさんはじめ皆元気。Fmさんは骨折してボルトが入ってるがゆっくり歩く。
黄色い橋のところからの紅葉が綺麗。

カメラを構えてる人が一杯。

スマホも多い。

見飽きない。

最後にまたTr邸に立ち寄ってお昼をごちそうになる。Tr夫妻には世話になりっぱなし。

FANY'Sの久しぶりの楽しい集いであった。
最初、FmさんがSkさんが15歩しか歩けないと言うのでびっくりしたが、15分の間違い。おまけにすごく長く歩いたが、だんだん元気になってきた。FmさんはこれならまだFANY'Sで集まれそうだと言う。良かった良かった。
FANY'S
FANY'Sで小淵沢に出かける。Fmさん幹事で、Stさんと愛知からSkさんが来る。Adさん、Ntさんは欠席。
早めに小淵沢の駅に着いたので、駅周辺を散策。
ニシキギが綺麗。(クリックすると拡大)

平田家住宅に立ち寄る。お休みだった。

平田家は武田信玄家臣の山田但馬守の後裔と伝わる旧家で村向村の名主を務めた上級農家、現在の建物は17世紀後半に建てられたものです。

南アルプスが遠望出来た。

ピラカンサの実。

Trさんに車で迎えに来てもらう。皆がそろって出発。まずはTrさんお勧めの蕎麦屋。

美味い美味いと皆が喜ぶ。

次にリゾナーレ八ヶ岳。

蔦の紅葉。

実が美しい。

もう一か所行く。

ドウダンツツジ。

霧が出てきて幻想的。

冬景色。

Tr邸にお邪魔。夫人に迎えられる。お世話になりっぱなし。
紅葉が一番きれいと自慢するだけあって美しい。

赤が美しい。

干し柿がつるしてある。ガラスに紅葉が写ってる。

Trさんの作品を見る。Stさんが感激してる。

夫人の作品を見せてもらう。

国展に入選した作品もある。

Sさんがいつも感心してるが素晴らしい。

夫人お手製の夕食を振舞われる。美味しい。
八ヶ岳いずみ荘で宿泊。

FANY'Sもだんだん、衰えてきて、これが最後かとFmさんが言うが出てきたメンバは元気。