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仙台二日目(その三)
(続)
松島海岸から、Mrさんに先導されて円通院に向かう。

ここから今回のメインイベントの一つ数珠作りに向かう。
各人がそれぞれ数珠を作る。
「珠の配置:一番大きな「親珠」を中心にして左右に5つずつの「主珠」を置き、それより小さな「二天」の下に残り17個の「主珠」を配置します。好みで「主珠」にアクセントをつけるのもよいでしょう。「二天」は数に含めず、28珠並べます。」
私は青を主体として、あとはてんでんばらばら気持ち良く選ぶ。
「珠に紐を通す:先に細い針金のついた紐を、珠に通します。通していると、心が静かになってきます。通し終わったら紐の両端を結びます。」
それぞれの石にどのような御利益があるのか説明を受ける。
私は明るくて人づきあいが良いと言うのが親珠だった。あってるなあ。後はいろいろ説明があったが、抜けてしまった。
Sさんはきれいな配置で美しく作った。さすがとんぼ玉や首飾りを作ることだけある。
作った後は、気持ち良く庭を散策。(クリックすると拡大)

苔庭が美しい。

庭にはカタクリの花。

水芭蕉の花が咲いてる。珍しい。

ショウジョウバカマ。

ヒマラヤユキノシタ。

石庭。時間があったら、ゆっくりしたかった。

円通院の後は隣の国宝の瑞巌寺に向かう。本堂は修復中ということで、青龍殿(宝物館)に向かう。

ちょっと足早に過ぎてしまった。


「政宗公が文禄2年(1593)朝鮮出兵の折、鉢植にして持ち帰り、慶長14年(1609)、当寺落慶の際、五葉松と共に本堂正面に手植えされた梅。本堂に向かって、右が紅梅、左が白梅である。地面を這うような姿と八重咲で7,8個かたまって実をつける事から、「臥龍八房」の異称がある。」

今回は特別に見ることのできる陽徳院(政宗公正室愛姫)御霊屋を拝観。プロのカメラマンが撮影してる。
「陽徳院:伊達政宗公の正室陽徳院田村氏愛姫(1568~1653)の墓堂で、 平成18年から3年をかけ創建当初の豪華絢爛な姿に復元されています。」


帰りは松島海岸の駅から電車で、榴岡駅で降りる。
駅は野球観戦が終わった楽天のユニフォームを着た人でごった返している。
榴岡公園は仙台の桜の名所。

花見客でごった返す。

夜桜見物の人が多い。

今回は丁度桜の時期とぶつかって良かった。

枝垂れ桜を満喫。

良い花見が出来た。

最後のイベント牛タンの「利休」に行く。

美味い美味い実に美味い。
また秋にと言う話をしてMrさんと別れ、仙台より帰路に着く。
素晴らしい旅行だった。これもMrさんの素晴らしい計画と実行によるものと感謝する。同行した4人は実に気持ちの良い若者たち。これが旅を楽しくさせた根源。
Sさんも喜んでくれたので大満足。
松島海岸から、Mrさんに先導されて円通院に向かう。

ここから今回のメインイベントの一つ数珠作りに向かう。
各人がそれぞれ数珠を作る。
「珠の配置:一番大きな「親珠」を中心にして左右に5つずつの「主珠」を置き、それより小さな「二天」の下に残り17個の「主珠」を配置します。好みで「主珠」にアクセントをつけるのもよいでしょう。「二天」は数に含めず、28珠並べます。」
私は青を主体として、あとはてんでんばらばら気持ち良く選ぶ。
「珠に紐を通す:先に細い針金のついた紐を、珠に通します。通していると、心が静かになってきます。通し終わったら紐の両端を結びます。」
それぞれの石にどのような御利益があるのか説明を受ける。
私は明るくて人づきあいが良いと言うのが親珠だった。あってるなあ。後はいろいろ説明があったが、抜けてしまった。
Sさんはきれいな配置で美しく作った。さすがとんぼ玉や首飾りを作ることだけある。
作った後は、気持ち良く庭を散策。(クリックすると拡大)

苔庭が美しい。

庭にはカタクリの花。

水芭蕉の花が咲いてる。珍しい。

ショウジョウバカマ。

ヒマラヤユキノシタ。

石庭。時間があったら、ゆっくりしたかった。

円通院の後は隣の国宝の瑞巌寺に向かう。本堂は修復中ということで、青龍殿(宝物館)に向かう。

ちょっと足早に過ぎてしまった。


「政宗公が文禄2年(1593)朝鮮出兵の折、鉢植にして持ち帰り、慶長14年(1609)、当寺落慶の際、五葉松と共に本堂正面に手植えされた梅。本堂に向かって、右が紅梅、左が白梅である。地面を這うような姿と八重咲で7,8個かたまって実をつける事から、「臥龍八房」の異称がある。」

今回は特別に見ることのできる陽徳院(政宗公正室愛姫)御霊屋を拝観。プロのカメラマンが撮影してる。
「陽徳院:伊達政宗公の正室陽徳院田村氏愛姫(1568~1653)の墓堂で、 平成18年から3年をかけ創建当初の豪華絢爛な姿に復元されています。」


帰りは松島海岸の駅から電車で、榴岡駅で降りる。
駅は野球観戦が終わった楽天のユニフォームを着た人でごった返している。
榴岡公園は仙台の桜の名所。

花見客でごった返す。

夜桜見物の人が多い。

今回は丁度桜の時期とぶつかって良かった。

枝垂れ桜を満喫。

良い花見が出来た。

最後のイベント牛タンの「利休」に行く。

美味い美味い実に美味い。
また秋にと言う話をしてMrさんと別れ、仙台より帰路に着く。
素晴らしい旅行だった。これもMrさんの素晴らしい計画と実行によるものと感謝する。同行した4人は実に気持ちの良い若者たち。これが旅を楽しくさせた根源。
Sさんも喜んでくれたので大満足。
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仙台二日目(その二)松島
(続)
昼食後は塩釜マリンゲートから遊覧船に乗る。(クリックすると拡大)

第三芭蕉丸に乗船。

松島遊覧。Sさんと石川さんは船内に残ったが4人はデッキに向かう。
海上保安庁の巡視船。

最初はカモメの写真を撮るのに夢中になる。餌付けは禁止されたらしい。

なかなか難しい。

外人が良いカメラで写真を撮りまくってる。
牡蠣の養殖か。

「松島は、松島湾内外にある大小260余りの諸島のこと。または、それら諸島と湾周囲を囲む松島丘陵も含めた修景地区のことである。日本三景の1つに数えられている。」

仏像が見える。

船の行き来は多い。

「仁王島。松島を象徴する島のひとつ。仁王像が葉巻をくわえて座っているように見える。」


「この地域の大部分の地層は第三紀層の凝灰岩、砂岩、礫岩など侵食に非常に脆い岩質で出来ており、特に波に洗われる部分は容易に侵食される。そのため多くの小島は上部に松などが植生し、海面に近い基部は白から灰白色の岩肌を見せている。さらに、海水面近くが波に洗われて鋭角に抉られており、ややキノコに似た形になっているものもある。」

「鐘島。4つの洞門に打ち寄せる波が鐘の音のように聞こえたことが名の由来。」

島の松には鵜が巣をつくり、その糞で枯れているところもある。

周り中、島で、全て名前がついてる。放送で島の説明があるが、カメラを向けるのが精一杯。

ここも牡蠣の養殖所。東日本大地震の被害は甚大。
カキの養殖が始まったのは、およそ300年前。

よろい島。

小藻根島。長命穴はこの島の南端にあった。東日本大震災で無くなる。

これも変わった島。

カモメ。

「松島は、仙台平野を南北に分ける松島丘陵の東端が海にまで達し、それが沈水して出来たリアス式海岸がさらに進んだ沈降地形で、溺れ谷に海水が入り込み山頂が島として残った多島海である。全体として松島湾(広義)を形成し、湾内の水深は10メートル以内である。これは、この一帯が過去から大きな地震のたびに地盤が少しずつ沈下してできた地形であることを物語っている。」

「 船上からカモメ(主にウミネコ)に餌やりをするのが名物になっていたが、 糞害により松が枯れ始めた事から2014年4月1日より湾内での餌やりは禁止となった。」

これも変わった島。「侵食、風化作用を受けやすい地層の上に松島は成り立っているため、長い間に風景も少しずつ変化してきたと考えられ、過去の文献に記載されたものと現在のものとの間には微妙な違いがあると考えられている。」

ヨットが二隻帆をはらんでる。気持ちいいだろう。

千貫島。「昔、伊達政宗公が湾内を御遊覧なされたときに、この島の形の良さに感銘され、この島を代の館に運ぶものあらば銭千貫をつかわすともうされた島です。」

双子島。「静かな波間に浮かぶ可愛い二つの島、この島を双子島といい、散策コースの雄島よりの眺めは実に美しく松島湾内随一をほこる。」

松島海岸に到着。

(続く)
昼食後は塩釜マリンゲートから遊覧船に乗る。(クリックすると拡大)

第三芭蕉丸に乗船。

松島遊覧。Sさんと石川さんは船内に残ったが4人はデッキに向かう。
海上保安庁の巡視船。

最初はカモメの写真を撮るのに夢中になる。餌付けは禁止されたらしい。

なかなか難しい。

外人が良いカメラで写真を撮りまくってる。
牡蠣の養殖か。

「松島は、松島湾内外にある大小260余りの諸島のこと。または、それら諸島と湾周囲を囲む松島丘陵も含めた修景地区のことである。日本三景の1つに数えられている。」

仏像が見える。

船の行き来は多い。

「仁王島。松島を象徴する島のひとつ。仁王像が葉巻をくわえて座っているように見える。」


「この地域の大部分の地層は第三紀層の凝灰岩、砂岩、礫岩など侵食に非常に脆い岩質で出来ており、特に波に洗われる部分は容易に侵食される。そのため多くの小島は上部に松などが植生し、海面に近い基部は白から灰白色の岩肌を見せている。さらに、海水面近くが波に洗われて鋭角に抉られており、ややキノコに似た形になっているものもある。」

「鐘島。4つの洞門に打ち寄せる波が鐘の音のように聞こえたことが名の由来。」

島の松には鵜が巣をつくり、その糞で枯れているところもある。

周り中、島で、全て名前がついてる。放送で島の説明があるが、カメラを向けるのが精一杯。

ここも牡蠣の養殖所。東日本大地震の被害は甚大。
カキの養殖が始まったのは、およそ300年前。

よろい島。

小藻根島。長命穴はこの島の南端にあった。東日本大震災で無くなる。

これも変わった島。

カモメ。

「松島は、仙台平野を南北に分ける松島丘陵の東端が海にまで達し、それが沈水して出来たリアス式海岸がさらに進んだ沈降地形で、溺れ谷に海水が入り込み山頂が島として残った多島海である。全体として松島湾(広義)を形成し、湾内の水深は10メートル以内である。これは、この一帯が過去から大きな地震のたびに地盤が少しずつ沈下してできた地形であることを物語っている。」

「 船上からカモメ(主にウミネコ)に餌やりをするのが名物になっていたが、 糞害により松が枯れ始めた事から2014年4月1日より湾内での餌やりは禁止となった。」

これも変わった島。「侵食、風化作用を受けやすい地層の上に松島は成り立っているため、長い間に風景も少しずつ変化してきたと考えられ、過去の文献に記載されたものと現在のものとの間には微妙な違いがあると考えられている。」

ヨットが二隻帆をはらんでる。気持ちいいだろう。

千貫島。「昔、伊達政宗公が湾内を御遊覧なされたときに、この島の形の良さに感銘され、この島を代の館に運ぶものあらば銭千貫をつかわすともうされた島です。」

双子島。「静かな波間に浮かぶ可愛い二つの島、この島を双子島といい、散策コースの雄島よりの眺めは実に美しく松島湾内随一をほこる。」

松島海岸に到着。

(続く)
仙台二日目(その一)塩竈神社
仙台二日目。1日ピーカン、素晴らしい。日頃の皆さんの行いが良い。
昨晩はウイスキーが無くなる1時30分まで宴会。参った。
それでも7時前に起きて朝の露天風呂を目指す。Jbさんは既に起きて出かけてる。Nzさんはお疲れで休んでる。
昨夜Mrさんが今朝の男湯の露天風呂は良いよと推奨していた。
まず一番奥の立湯に入る。立って首までつかる。温まって心地良い。
清流の湯。渓流がながめられて気分最高。お子さん連れのお父さんが子供と楽しそうに話してる。
河原の湯。河原が良く見える。Jbさんも入ってる。
遅れてNzさんがやって来る。
眺望の湯。眺めが実に良い。ずっと入っていたい。昨夜の飲み疲れが抜けて行く。
よもぎ蒸し風呂。枯れたよもぎが置いてある。かすかに臭う。Jbさんが説明書きを読んだところによると、5月以降は緑のよもぎを置くそうだ。
最後に丸子の湯に入り髭を剃る。もっとゆっくりしたかった。
朝食後にチェックアウト。Sさんご推薦だけあって、一の坊は温泉も料理も雰囲気も良かった。
一の坊よさようなら。(クリックすると拡大)


専用バスで作並駅に戻り、こけしに出迎えられる。

そこから本塩釜まで電車で向かう。仙台駅で乗り換えるのだが、野球の楽天の試合があるようで、球場に向かう人々が一杯。
本塩釜駅から塩竈神社に向かう。
途中、Mrさんが『志ほがま』の紹介。「 銘菓『志ほがま』で知られる「丹六園」だ。創業は享保5年(1720年)、現在の主人で11代目という塩竈の中でも老舗中の老舗で、代々受け継がれた昔ながらの製法で塩竈の古き良き味を守り続けている。」

Ikさんがお土産で購入。Ikさんは帰りに渡してくれるとかで荷物を預かって貰う。Sさんも若い頃仙台に住んでいたのでこのお菓子の事は良く知っている。

途中、塩竈にかんする歌碑が並ぶ。

後鳥羽院の和歌がある。

和泉式部。

紀貫之。

伊勢物語の塩竈に関する記述。

3.11東日本大地震の津波がここまで来たと言う案内板がある。随分遡ったんだ。

塩竈神社。

202段の階段を上がる。最後に急になりへばった。

Sさんはへばったらしく、Nzさんが大変ですよと教えてくれたが、本来は私より体力があるはず。

見上げると桜が満開。

塩竈神社に参拝。「当社は古くから東北鎮護・陸奥国一之宮として、朝廷を始め庶民の崇敬を集めて今日に至りました。
当神社創建の年代は詳らかではありませんが、平安時代初期、嵯峨天皇の御代に編纂された「弘仁式」に「鹽竈神を祭る料壱万束」と記され、厚い祭祀料を授かっていたことが知られます。つまり、奈良時代国府と鎮守府を兼ねた多賀城が当神社の西南5km余の小高い丘(現在の多賀城市市川)に設けられ、その精神的支えとなって信仰されたと考えられます。」「 特に伊達氏の崇敬が厚く、歴代藩主は大神主として務めてまいりました。現在の社殿は伊達家四代綱村公から五代吉村公に亘り9年の歳月をかけ宝永元年(1704)竣工されたものです。」

桜が丁度満開。

Mrさんもこんな満開を見るのは初めてと言う。

枝垂れ桜が多い。

参拝客でにぎわってる。晴れて良かった。

しばし見とれてしまう枝垂れ桜。最高の時に来た。

はるか松島の海が眺望できる。この眺めは良い。Sさんも気に入ってる。

ここに一日居ても良いくらい。


Mrさんにそろそろ良いですかと言われて、塩竈神社を後にする。
大正ロマンを感じる亀井亭の標識につられて入る。

「亀井商店「現、総合商社カメイ㈱」の初代社長の亀井文平氏が大正13年に建てた塩釜港の繁栄と亀井商店の隆盛を象徴する建物です。亀井邸は建築史的に見ると「和洋併置式住宅」と呼ばれる様式の建物です。この様式は、明治時代、上流階級(皇族、華族階級)の大邸宅に用いれられた「和洋二館住宅」を庶民(といっても相当な上層階級)にも手が届くようにしたもので、伝統的な和館(日本建築)に洋館(西洋建築)を併置して建てられています。」

塩釜港や鉄道の模型が楽しい。

四方に行ける階段と踊り場。

再び丹六園に戻り、Ikさんが預けた荷物を受け取ってる。

昼食はMrさんお勧めのマグロ丼。店内は混雑。

次の遊覧船に乗るには20分位で食べなければならない。美味しかったが、山葵をつけすぎて咳き込んでしまった。

(続く)
昨晩はウイスキーが無くなる1時30分まで宴会。参った。
それでも7時前に起きて朝の露天風呂を目指す。Jbさんは既に起きて出かけてる。Nzさんはお疲れで休んでる。
昨夜Mrさんが今朝の男湯の露天風呂は良いよと推奨していた。
まず一番奥の立湯に入る。立って首までつかる。温まって心地良い。
清流の湯。渓流がながめられて気分最高。お子さん連れのお父さんが子供と楽しそうに話してる。
河原の湯。河原が良く見える。Jbさんも入ってる。
遅れてNzさんがやって来る。
眺望の湯。眺めが実に良い。ずっと入っていたい。昨夜の飲み疲れが抜けて行く。
よもぎ蒸し風呂。枯れたよもぎが置いてある。かすかに臭う。Jbさんが説明書きを読んだところによると、5月以降は緑のよもぎを置くそうだ。
最後に丸子の湯に入り髭を剃る。もっとゆっくりしたかった。
朝食後にチェックアウト。Sさんご推薦だけあって、一の坊は温泉も料理も雰囲気も良かった。
一の坊よさようなら。(クリックすると拡大)


専用バスで作並駅に戻り、こけしに出迎えられる。

そこから本塩釜まで電車で向かう。仙台駅で乗り換えるのだが、野球の楽天の試合があるようで、球場に向かう人々が一杯。
本塩釜駅から塩竈神社に向かう。
途中、Mrさんが『志ほがま』の紹介。「 銘菓『志ほがま』で知られる「丹六園」だ。創業は享保5年(1720年)、現在の主人で11代目という塩竈の中でも老舗中の老舗で、代々受け継がれた昔ながらの製法で塩竈の古き良き味を守り続けている。」

Ikさんがお土産で購入。Ikさんは帰りに渡してくれるとかで荷物を預かって貰う。Sさんも若い頃仙台に住んでいたのでこのお菓子の事は良く知っている。

途中、塩竈にかんする歌碑が並ぶ。

後鳥羽院の和歌がある。

和泉式部。

紀貫之。

伊勢物語の塩竈に関する記述。

3.11東日本大地震の津波がここまで来たと言う案内板がある。随分遡ったんだ。

塩竈神社。

202段の階段を上がる。最後に急になりへばった。

Sさんはへばったらしく、Nzさんが大変ですよと教えてくれたが、本来は私より体力があるはず。

見上げると桜が満開。

塩竈神社に参拝。「当社は古くから東北鎮護・陸奥国一之宮として、朝廷を始め庶民の崇敬を集めて今日に至りました。
当神社創建の年代は詳らかではありませんが、平安時代初期、嵯峨天皇の御代に編纂された「弘仁式」に「鹽竈神を祭る料壱万束」と記され、厚い祭祀料を授かっていたことが知られます。つまり、奈良時代国府と鎮守府を兼ねた多賀城が当神社の西南5km余の小高い丘(現在の多賀城市市川)に設けられ、その精神的支えとなって信仰されたと考えられます。」「 特に伊達氏の崇敬が厚く、歴代藩主は大神主として務めてまいりました。現在の社殿は伊達家四代綱村公から五代吉村公に亘り9年の歳月をかけ宝永元年(1704)竣工されたものです。」

桜が丁度満開。

Mrさんもこんな満開を見るのは初めてと言う。

枝垂れ桜が多い。

参拝客でにぎわってる。晴れて良かった。

しばし見とれてしまう枝垂れ桜。最高の時に来た。

はるか松島の海が眺望できる。この眺めは良い。Sさんも気に入ってる。

ここに一日居ても良いくらい。


Mrさんにそろそろ良いですかと言われて、塩竈神社を後にする。
大正ロマンを感じる亀井亭の標識につられて入る。

「亀井商店「現、総合商社カメイ㈱」の初代社長の亀井文平氏が大正13年に建てた塩釜港の繁栄と亀井商店の隆盛を象徴する建物です。亀井邸は建築史的に見ると「和洋併置式住宅」と呼ばれる様式の建物です。この様式は、明治時代、上流階級(皇族、華族階級)の大邸宅に用いれられた「和洋二館住宅」を庶民(といっても相当な上層階級)にも手が届くようにしたもので、伝統的な和館(日本建築)に洋館(西洋建築)を併置して建てられています。」

塩釜港や鉄道の模型が楽しい。

四方に行ける階段と踊り場。

再び丹六園に戻り、Ikさんが預けた荷物を受け取ってる。

昼食はMrさんお勧めのマグロ丼。店内は混雑。

次の遊覧船に乗るには20分位で食べなければならない。美味しかったが、山葵をつけすぎて咳き込んでしまった。

(続く)