FC2ブログ

2014-10

Latest Entries

日光東照宮





朝一番の温泉に入る。男風呂はあっと言う間に混んでくる。昨夜仲居さんが珍しく男湯が混んでるみたいと言っていた。
バイキング形式の朝食は混んでる。何とか済ませて、出発。
日光東照宮に出かける。ふれあい橋からの鬼怒川。(クリックすると拡大)
IMG_4105qew (640x480)
階段の登りはきつい。
IMG_4109aaa (640x480)
普通に乗って東武日光駅に到着。
IMG_4111fdgf (640x480)
皆、のんびり歩くので何時も歩くのが遅いとSさんに言われてる私が皆を引き離してしまった。神橋で待つ。
「奈良時代の末に、神秘的な伝承によって架けられたこの橋は神聖な橋として尊ばれ、寛永13年に現在のような神橋に造り替えられてから、もっぱら神事・将軍社参・勅使・幣帛供進使などが参向のときのみ使用され、一般の通行は下流に仮橋(日光橋)を架けて通行することとなりました。」
IMG_4120yuuy (640x480)
東照宮表参道を登る。
IMG_4121dfsfds (480x640)
参道を上り詰めたところに日光山の開祖、勝道上人の銅像が岩の上に立っている。
「勝道上人は日光の男体山を中心とする霊地を観音の浄土である補陀洛山とし、その山頂を極めようと32歳で入山。天平神護2(766)年、霊地日光山の発祥となる四本竜寺を建立した。以来15年間、弟子たちと男体山に挑んでは数々の困難に遭遇し、挫折を繰り返したが、天応2(782)年についに頂上を極めることができた。中禅寺湖は、その登頂に成功したときに発見され、山麓の湖畔に二荒山神宮寺(中禅寺)が創建された。」
IMG_4125asd (480x640)
日光山輪王寺は修理中。「輪王寺の本堂は日光山随一、東日本では最も大きな木造の建物で、平安時代に創建された、全国でも数少ない天台密教形式のお堂です。現在の建物は、正保2(1645)年、徳川三代将軍「家光」公によって建て替えられました。」
IMG_4126kllkj (640x480)
護摩堂。
IMG_4128wer (640x480)
東照宮に向かう。「日光東照宮は、元和(げんな)3年(1617)徳川初代将軍徳川家康公を御祭神におまつりした神社です。」
IMG_4130hjh (640x480)
石鳥居。「ご鎮座翌年の元和4年(1618)、九州筑前(福岡県)藩主黒田長政公によって奉納されました。石材は、まず九州から船で小山まで運ばれ、その後陸路人力でこの日光まで運ばれました。」
IMG_4131dsads (640x480)
五重塔。「慶安3年(1648)若狭の国(福井県)小浜藩主酒井忠勝公によって奉納されました。文化12年火災にあいましたが、その後文政元年(1818)に同藩主酒井忠進公によって再建されました。」
IMG_4133sdfsd (480x640)
表門を通り過ぎる。「表門は正面左右に「阿吽」の仁王像(身長4メートル)を安置しているので、昔は仁王門と呼ばれていた。仁王は仏教の守り神。」
IMG_4135hkj (640x480)
三神庫。「上神庫・中神庫・下神庫を総称して三神庫と言い、この中には春秋渡御祭「百物揃千人武者行列」で使用される馬具や装束類が収められています。」
IMG_4137ghjghj (640x480)
子供たちが一杯。三神庫の想像上の象の説明を聞いてる。「上神庫の妻(側面)に2頭の大きな象の彫刻があるが、耳の付き方や尻尾の形が実際とは異なる。東照宮建立時のいわばアート・ディ レクターのチーフだった狩野探幽が、実物を知らずに想像で彫刻の下絵を描いたことから、「想像の象」と呼ばれている。」
IMG_4138iopiop (640x480)
「神厩舎は、ご神馬をつなぐ厩です。昔から猿が馬を守るとされているところから、長押上には猿の彫刻が8面あり、人間の一生が風刺されています。中でも「見ざる・言わざる・聞かざる」の三猿の彫刻が有名です。」
IMG_4140trt (640x480)
「見ざる・言わざる・聞かざる」には外人観光客が一杯写真を撮ってる。
IMG_4142rtyy (640x480)
Skさんと二人でゆっくり見てる3人にいらつく。人間がまだ出来てない。混雑の中、ようやく合流。
IMG_4144etret (640x480)
陽明門の左右に延びる 廻廊の彫刻の美しさに見とれる。
IMG_4147sfdsd (640x480)
「陽明門の左右に延びる建物で、外壁には我が国最大級の花鳥の彫刻が飾られています。いずれも一枚板の透かし彫りには、極彩色がほどこされています。」
IMG_4149hgfgh (640x480)
陽明門は修理中。Sさんと以前来た時は、修理以前だった。
「陽明門の名称は、宮中(現・京都御所)十二門のうちの東の正門が陽明門で、その名をいただいたと伝えられる。江戸時代初期の彫刻・錺金具・彩色といった工芸・装飾技術のすべてが陽明門に集約され、その出来栄えは一日中ながめていてもあきないので日暮らし門-ひぐらしもん-とも呼ばれる。」
IMG_4150utyut (640x480)
唐門はSさんと以前来た時の印象のまま美しい。
IMG_4177yiyi (640x480)
「間口3メートル、奥行き2メートルの小さな門だが、東照宮で最も重要な本社の正門。江戸時代には「御目見得」(将軍に拝謁-はいえつ-できる身分)以上の幕臣や大名だけが使えた。今でも唐門は、正月や大祭などの祭典のときと、国賓に相当する参拝者だけしか使えない。」
IMG_4174dgfgd (640x480)
「全体が胡粉で白く塗られ、「許由と巣父」や「舜帝朝見の儀」など細かい彫刻がほどこされています。」
IMG_4153ghjjgjh (640x480)
「門柱に紫檀や黒檀などで寄せ木細工された昇竜・降竜がいる。」
IMG_4152asd (480x640)
眠り猫。Skさんがなんだこんなに小さいのかと言う。
IMG_4155gjhj (640x480)
小さくても「左甚五郎作と伝えられ、牡丹の花に囲まれ日の光を浴び、うたたねをしているところから「日光」に因んで彫られたとも言われてる。」
IMG_4156hkhk (640x480)
200段位の階段を上がって奥宮へ。SkさんとAdさんは疲れてパス。FkさんとStさんは頑張って登る。
IMG_4160yuy (480x640)
IMG_4166rtyyt (480x640)
家康の遺骨はおそらく宝塔下に埋葬されてると言われてる。「宝塔に納められているのは家康公の神柩。建立以来、一度も開けられたことがない。 宝塔は最初は木造、後に石造りになり、さらに天和3(1683)年の大地震で破損したものを5代将軍綱吉公が現在の唐銅製に造り替えた。」
IMG_4164dfgdg (640x480)
子供たちが階段を走り抜ける。ふっとオーラが通り過ぎる。
IMG_4168klfsdfd (640x480)
祈祷殿。
IMG_4173iuuiyu (640x480)
神輿舎。神輿が祭られてるお堂の天井に天女が舞う。
IMG_4182yiyui (640x480)
たびたび彫刻に引き寄せられる。
IMG_4185hjkk (640x480)
「本地堂(薬師堂)の内陣天井に描かれているのが、有名な鳴竜。竜の頭の下で拍子木を打つと、天井と床が共鳴して鈴のような鳴き声に聞こえる。」以前、来た時は場所が悪かったのか良く聞こえなかったが、今回は鈴のような鳴き声が聞こえた。
IMG_4189trtry (640x480)
「8角形の回転燈籠。三葉葵の紋が逆さまについている。」
IMG_4191jkll (640x480)
本地堂と神輿舎。
IMG_4193fghh (640x480)
一通り見たのと帰りの電車の事を考えて引き上げる。
IMG_4196rtert (640x480)
世界遺産日光東照宮にお別れ。
IMG_4198ghjjh (640x480)
たっぷり時間があったのだが、三人はパン屋とか羊羹屋に引っかかってなかなか来ない。またSkさんと二人でぼやきながら待つ。
ようやく合流して日光を後にする。
帰りに途中まで乗った普通電車が気に入ったのかStさんが東京まで普通で行きたいと言う。普通で行ったらまた一泊しなければならなよと名古屋まで帰るSkさんが言う。
帰りの電車で、麦酒を飲んで更に残った日本酒を飲んだらすっかり出来上がって、青春時代に戻ってしまった。また来秋の再会を誓って散会。
スポンサーサイト



«  | ホーム |  »

プロフィール

Y・K

Author:Y・K
FC2ブログへようこそ!
スキー、山、コーラス、俳句、仲間との団欒が大好きです。無論Sさんが一番好き。 Y・K
201103200159095c1[1]

 

最新記事

最新コメント

最新トラックバック

月別アーカイブ

カテゴリ

検索フォーム

 

 

RSSリンクの表示

リンク

ブロとも申請フォーム

QRコード

 

QR