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栂池自然園
6時過ぎから、目が覚めていたが、起きたのは7時過ぎ。
カメラの電池を充電器に入れたまま来てしまった。止む無くSzさんにカメラを借りる。快く貸してくれた。良い仲間ばかり。
Szさんの別荘。(クリックすると拡大)

天候は曇り。雨は降ってない。どうやら午前中は持ちそうだ。
Szシェフが朝食の準備。Ogさんが手伝う。なかなかいける。
山は危ないが、散策は出来そう。Ogさんは、戸隠の蕎麦屋に行きたそうだったが、栂池自然園に行くことになる。
Iw車で出かける。
栂池自然園に向かうゴンドラ、ロープウェイを乗り継ぐ。台風が近づいてたのでお客が少ない。

ロープウェイは霧の中。

栂池山荘。

栂池自然園に入る。霧がかかってる。山の方は雲がかかって見えない。

「小谷村栂池自然園は、中部山岳国立公園で標高1900Mに位置する日本有数の高層湿原です。総面積100ヘクタール、一周約5.5キロの遊歩道が設けられ、気軽に楽しめるトレッキングコースです。」

ヤチトリカブト(谷地鳥兜) 。

サラシナショウマ(晒菜升麻) 。

ダイニチアザミ(大日薊) 。

水芭蕉湿原に到着。大きな葉の水芭蕉が一杯。

こんなに花々が一杯とは予想してなかった。感動する。
ミヤマシシウド(深山猪独活)。

ウメバチソウ(梅鉢草)。

オニシオガマ(鬼塩竃)。

イワショウブ(岩菖蒲)。

イワショウブ(岩菖蒲)の花は白から赤に変わる。

ナナカマド(七竈)の実。

Ogさんが変わってると言うので見たら、ツルニンジン(蔓人参)。

タケシマランの実。

なにこれと言うので覗いたらエンレイソウの実。

オヤマリンドウ(御山竜胆)。

こんなに花が一杯なんて幸せ。
Ogさんがこれ何と言うのと盛んに聞くがわからない。帰ってブログで名前が載ってるのを期待すると言われてしまった。
(帰ってから時間をかけて調べたが)何の実かわからない。

サンカヨウ(山荷葉)の実。至る所にある。

歩く傍から霧が消えて行く。普段の行いが良いから晴れると言いあう。

楠川。ここで食事してる人が多い。昼弁当を持ってこなかったのは失敗。

カラマツソウ(落葉松草)。

コバイケイソウ(小梅蕙草)はもう終わりかかってる。

オオレイジンソウ(大伶人草)。

老夫婦の奥さんが素敵と歓声を上げる。ね、素晴らしいでしょうと私にも話しかける。ご主人はニコニコしてる。こちらもニコニコする。
タケシマランの実。

浮島湿原。
イブキトラノオ(伊吹虎の尾) 。

Iwさん、Szさんはサッサかと歩き、Ogさんと私は花を楽しみながら歩く。
Szさんは途中で、待っていて、ここから先に行くかと聞く。無論行くよと答える。
再び、二人はサッサかと歩く。Ogさんとお腹が空いてるからせかせかしてるのよと悪口を言って笑う。
サラシナショウマ(晒菜升麻) とヤチトリカブト(谷地鳥兜)。

ミソガワソウ(味噌川草) 。

コケモモ。

銀名水に立ち寄る。二人は立ち寄らなかったようだ。飲めるようなのでOgさんが飲んで美味しいわよと言う。私も飲んだら、冷たくて美味しい。足場が不安定でひっくり返りそうなので一口しか飲めなかった。
もうせん池のミヤマホタルイ(深山蛍藺)。


チングルマ(稚児車) の実。

展望湿原でSzさん、Iwさんが待ってる。雲がかかって何も見えない。

しばらく休んでたら、雲間に白馬大雪渓が見える。あんな高い所にあるんだと大騒ぎ。

また隠れてまた現れる。行いが良いからと言いあう。凄い。天気が良かったらあそこを歩いたんだろうか。

堪能した。
またIwさん、Szさんはせかせかと前を行く。よっぽどお腹が空いてるんだと笑いあう。
途中も雪渓が見える。その度に止まって眺める。大満足。



ヒオウギアヤメ(檜扇文目) 。ほとんど終わってるがわずかに残る。

浮島湿原。

オオシラビソ(大白檜曽)の松ぼっくり。

ハクサンフウロ(白山風露)はほぼ終わり。

イワショウブ(岩菖蒲) が池に写る。

風穴。どこに続いてるんだろう。

もうそろそろ終わり。お腹すいた。13時34分。

ナナカマドの紅葉。

自然園を出たところでOgさんが今年一度もソフトクリームを食べてないと言うので付き合ってブルーベリーとバニラのミックスを食べる。ロープウェイに乗るまでに食べようとしたので忙しい。なかなか美味いのでゆっくり味わいたかった。Ogさんは食べ終わるまで改札口で止まってる。ロープウェイの時間に間に合う。美しい女性なので待っていてくれたかもしれないが。
降りたところの姥百合。

白酔会の時にいつも昼食をとるラビスタで昼食。冬とは景色がガラッと変わってる。少々物寂しい。

馴染の親父さんと話す。
たっぷり食べて満足。
帰りにベルハートのTkさんのところに挨拶。息子の結婚をお祝いしてくれた。東京に出てきたときにOgさん、Mnさん、Wtさんと一緒に逢ってる。お茶を出してくれそうだったので、お風呂に入りたいのでよろしいですと断ってしまった。じゃあと言ってワインをお土産にくれたので恐縮。また白酔会で来ますと別れる。
栂池スキー場。夏だと景色が変わってしまう。

温泉に入る。気持ち良い事この上なし。露天風呂もゆっくり。
男は全員出てしまい、Ogさんを待つ。意外に早く出てきたので驚く。
帰りは、食料品を仕入れる。Szシェフの独壇場。Ogさんが葡萄が安いと一箱買う。これが大当たり。
帰ってから、Szシェフが腕を振るい、Ogさんが手伝う。私は疲れて横になる。
豪華な食事が揃う。皆、食欲旺盛。若いなあ。私は直ぐにお腹一杯になってしまった。
Ogさんが買った葡萄を食べたら、これが大当たり。実に美味い。二人でぱくぱく食べてしまった。
麦酒を飲んだだけだがすっかりいい気持になる。赤ワインを開けて貰ったが、あまり飲めず。Iwさんが珍しく良く飲んでご機嫌。飲め飲めと勧めるので、昨シーズンの白酔会で物凄く飲んで(5時間以上、麦酒、日本酒、焼酎、赤ワインと飲み続けた。この時、Ogさん、Szさんは一緒。Iwさんは途中で抜けた。)血圧がポーンと上がってしまった話をする。さすがにあまり勧められなくなった。
またいち早く眠くなり、寝てしまう。若者たちは語り明かしたようだ。
カメラの電池を充電器に入れたまま来てしまった。止む無くSzさんにカメラを借りる。快く貸してくれた。良い仲間ばかり。
Szさんの別荘。(クリックすると拡大)

天候は曇り。雨は降ってない。どうやら午前中は持ちそうだ。
Szシェフが朝食の準備。Ogさんが手伝う。なかなかいける。
山は危ないが、散策は出来そう。Ogさんは、戸隠の蕎麦屋に行きたそうだったが、栂池自然園に行くことになる。
Iw車で出かける。
栂池自然園に向かうゴンドラ、ロープウェイを乗り継ぐ。台風が近づいてたのでお客が少ない。

ロープウェイは霧の中。

栂池山荘。

栂池自然園に入る。霧がかかってる。山の方は雲がかかって見えない。

「小谷村栂池自然園は、中部山岳国立公園で標高1900Mに位置する日本有数の高層湿原です。総面積100ヘクタール、一周約5.5キロの遊歩道が設けられ、気軽に楽しめるトレッキングコースです。」

ヤチトリカブト(谷地鳥兜) 。

サラシナショウマ(晒菜升麻) 。

ダイニチアザミ(大日薊) 。

水芭蕉湿原に到着。大きな葉の水芭蕉が一杯。

こんなに花々が一杯とは予想してなかった。感動する。
ミヤマシシウド(深山猪独活)。

ウメバチソウ(梅鉢草)。

オニシオガマ(鬼塩竃)。

イワショウブ(岩菖蒲)。

イワショウブ(岩菖蒲)の花は白から赤に変わる。

ナナカマド(七竈)の実。

Ogさんが変わってると言うので見たら、ツルニンジン(蔓人参)。

タケシマランの実。

なにこれと言うので覗いたらエンレイソウの実。

オヤマリンドウ(御山竜胆)。

こんなに花が一杯なんて幸せ。
Ogさんがこれ何と言うのと盛んに聞くがわからない。帰ってブログで名前が載ってるのを期待すると言われてしまった。
(帰ってから時間をかけて調べたが)何の実かわからない。

サンカヨウ(山荷葉)の実。至る所にある。

歩く傍から霧が消えて行く。普段の行いが良いから晴れると言いあう。

楠川。ここで食事してる人が多い。昼弁当を持ってこなかったのは失敗。

カラマツソウ(落葉松草)。

コバイケイソウ(小梅蕙草)はもう終わりかかってる。

オオレイジンソウ(大伶人草)。

老夫婦の奥さんが素敵と歓声を上げる。ね、素晴らしいでしょうと私にも話しかける。ご主人はニコニコしてる。こちらもニコニコする。
タケシマランの実。

浮島湿原。
イブキトラノオ(伊吹虎の尾) 。

Iwさん、Szさんはサッサかと歩き、Ogさんと私は花を楽しみながら歩く。
Szさんは途中で、待っていて、ここから先に行くかと聞く。無論行くよと答える。
再び、二人はサッサかと歩く。Ogさんとお腹が空いてるからせかせかしてるのよと悪口を言って笑う。
サラシナショウマ(晒菜升麻) とヤチトリカブト(谷地鳥兜)。

ミソガワソウ(味噌川草) 。

コケモモ。

銀名水に立ち寄る。二人は立ち寄らなかったようだ。飲めるようなのでOgさんが飲んで美味しいわよと言う。私も飲んだら、冷たくて美味しい。足場が不安定でひっくり返りそうなので一口しか飲めなかった。
もうせん池のミヤマホタルイ(深山蛍藺)。


チングルマ(稚児車) の実。

展望湿原でSzさん、Iwさんが待ってる。雲がかかって何も見えない。

しばらく休んでたら、雲間に白馬大雪渓が見える。あんな高い所にあるんだと大騒ぎ。

また隠れてまた現れる。行いが良いからと言いあう。凄い。天気が良かったらあそこを歩いたんだろうか。

堪能した。
またIwさん、Szさんはせかせかと前を行く。よっぽどお腹が空いてるんだと笑いあう。
途中も雪渓が見える。その度に止まって眺める。大満足。



ヒオウギアヤメ(檜扇文目) 。ほとんど終わってるがわずかに残る。

浮島湿原。

オオシラビソ(大白檜曽)の松ぼっくり。

ハクサンフウロ(白山風露)はほぼ終わり。

イワショウブ(岩菖蒲) が池に写る。

風穴。どこに続いてるんだろう。

もうそろそろ終わり。お腹すいた。13時34分。

ナナカマドの紅葉。

自然園を出たところでOgさんが今年一度もソフトクリームを食べてないと言うので付き合ってブルーベリーとバニラのミックスを食べる。ロープウェイに乗るまでに食べようとしたので忙しい。なかなか美味いのでゆっくり味わいたかった。Ogさんは食べ終わるまで改札口で止まってる。ロープウェイの時間に間に合う。美しい女性なので待っていてくれたかもしれないが。
降りたところの姥百合。

白酔会の時にいつも昼食をとるラビスタで昼食。冬とは景色がガラッと変わってる。少々物寂しい。

馴染の親父さんと話す。
たっぷり食べて満足。
帰りにベルハートのTkさんのところに挨拶。息子の結婚をお祝いしてくれた。東京に出てきたときにOgさん、Mnさん、Wtさんと一緒に逢ってる。お茶を出してくれそうだったので、お風呂に入りたいのでよろしいですと断ってしまった。じゃあと言ってワインをお土産にくれたので恐縮。また白酔会で来ますと別れる。
栂池スキー場。夏だと景色が変わってしまう。

温泉に入る。気持ち良い事この上なし。露天風呂もゆっくり。
男は全員出てしまい、Ogさんを待つ。意外に早く出てきたので驚く。
帰りは、食料品を仕入れる。Szシェフの独壇場。Ogさんが葡萄が安いと一箱買う。これが大当たり。
帰ってから、Szシェフが腕を振るい、Ogさんが手伝う。私は疲れて横になる。
豪華な食事が揃う。皆、食欲旺盛。若いなあ。私は直ぐにお腹一杯になってしまった。
Ogさんが買った葡萄を食べたら、これが大当たり。実に美味い。二人でぱくぱく食べてしまった。
麦酒を飲んだだけだがすっかりいい気持になる。赤ワインを開けて貰ったが、あまり飲めず。Iwさんが珍しく良く飲んでご機嫌。飲め飲めと勧めるので、昨シーズンの白酔会で物凄く飲んで(5時間以上、麦酒、日本酒、焼酎、赤ワインと飲み続けた。この時、Ogさん、Szさんは一緒。Iwさんは途中で抜けた。)血圧がポーンと上がってしまった話をする。さすがにあまり勧められなくなった。
またいち早く眠くなり、寝てしまう。若者たちは語り明かしたようだ。
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白馬へ
庭の朝顔。もう終わりと思ってたら、また咲き出した。(クリックすると拡大)


玉すだれ。

白馬のSzさんの別荘に出かける。台風が近づいていて、当初参加する予定の名古屋組4名が不参加。関東組は、Ogさんがまだ夏休みも取ってないと言うので、それは気の毒と出かけることになる。
台風が熱帯低気圧にかわり、土曜は天候が持つかもしれないので山のスタイルで行こうとIwさんが提案。ザックを用意。登山靴は別に持っていく。ビニール袋に入れて持っていこうとしたら、Sさんが袋を用意してくれた。こういうところが優しくて嬉しい。服装もチェックされる。雨が降るから危ないところ行かないようにねと言われる。
仕事が終わってから、Iwさんが迎えに来てくれる。車中、仕事の事をいろいろ聞く。厳しそうだ。ブログの駅名が間違ってると指摘された。
更にOgさんを拾って白馬に向かう。息子の結婚を祝ってくれた。ザック、靴をばっちり新調してる。これからも山に登るぞと言う感じ。仕事は面白いがきついと言う。英会話の勉強を毎朝早出してしてると言う。相当に英語は出来るのにえらい。
白馬に近づいたパーキングで、愛知から来てるSzさんと合流。
Szさんの別荘に真夜中に到着。Szさんの別荘には何回もお邪魔してるが、Iwさんは初めて、Ogさんは来たことがある。早速、再会を祝っての乾杯。しばらく懇談したが、眠くなってしまう。若者たちはまだ話し込んでるが私は眠り込む。


玉すだれ。

白馬のSzさんの別荘に出かける。台風が近づいていて、当初参加する予定の名古屋組4名が不参加。関東組は、Ogさんがまだ夏休みも取ってないと言うので、それは気の毒と出かけることになる。
台風が熱帯低気圧にかわり、土曜は天候が持つかもしれないので山のスタイルで行こうとIwさんが提案。ザックを用意。登山靴は別に持っていく。ビニール袋に入れて持っていこうとしたら、Sさんが袋を用意してくれた。こういうところが優しくて嬉しい。服装もチェックされる。雨が降るから危ないところ行かないようにねと言われる。
仕事が終わってから、Iwさんが迎えに来てくれる。車中、仕事の事をいろいろ聞く。厳しそうだ。ブログの駅名が間違ってると指摘された。
更にOgさんを拾って白馬に向かう。息子の結婚を祝ってくれた。ザック、靴をばっちり新調してる。これからも山に登るぞと言う感じ。仕事は面白いがきついと言う。英会話の勉強を毎朝早出してしてると言う。相当に英語は出来るのにえらい。
白馬に近づいたパーキングで、愛知から来てるSzさんと合流。
Szさんの別荘に真夜中に到着。Szさんの別荘には何回もお邪魔してるが、Iwさんは初めて、Ogさんは来たことがある。早速、再会を祝っての乾杯。しばらく懇談したが、眠くなってしまう。若者たちはまだ話し込んでるが私は眠り込む。
こんな日は妻の笑顔ととろろ汁
庭の朝顔、そろそろ終わり。(クリックすると拡大)

インドハマユウ、花期が長い。

ハナトラノオ(花虎の尾)。

ムクゲ。

Ogさんから週末の白馬は行きたい旨の返信有。ただちにIwさん、Szさんに連絡して行くことにした。
大門通信句会の選評が三四郎さんから送られてくる。
今回は、集中できず、出来が悪い。
兼題は「秋の蝉」「墓参」「音」「こんな」。◎は特選、〇は入選、△は次点、*はここがわからない、こうすればよくなるなどのコメント。:私の感想。
こんな日は妻の笑顔ととろろ汁 -光
蒼月 〇ごちそう様です。作者が目に浮かびます。笑顔ととろろ汁の取り合わせがいいです。
糸 △ご馳走様です。滋味あふれるとろろ汁に合う奥様の笑みですね。
小雪 △こんな日もあるという感慨は納得。とろろ汁もいいですね。でも、妻の笑顔が甘ったるくて△になりました。
:とろろ汁にかけてSさんの優しさを表したかった。
子に長く語りかけてる墓参かな -光
蒼月 △先に逝った子供に語りかけているのでしょうか。悲しみが伝わります。「語りかけてる」が少し軽い感じがしましたが、いい言葉が見つかりません。
あゆか△子に先立たれた切なさが伝わってくる。
:Sさんが次男にゆっくり休んでね。と何度も語りかけているのを見て。
朝に鳴き夕に死ぬるや秋の蝉 -光
三四郎*鳴き声は確かに侘しげだが、「秋の蝉」とは立秋をすぎてから鳴き始める蝉のことで夏の蝉が生き延びているのではないから、ことさら短命というわけでもない。
:うーん。確かに。
蜩や一際目立つ山ガール -光
三四郎*蜩は哀調のある声で鳴く蝉なので、カラフルな登山服の女性との取り合わせは無理がある。
:蜩と山ガールは合わなかったか。良くある光景ではあるんだが。
虫の音の楽団揃う夜更けかな -光
小雪 *虫の音を楽団に見立てるのはあまりにありきたり。見立ての場合は人の思いつかないようなものを持って来ないと成功しません。
:確かに言われるとおり。
三四郎さんからの補足・・・小雪さんからいくつかの句で注意がありましたが、擬人化について解説しておきます。擬人化とは人間以外のものを人間になぞらえる表現方法です。たとえば、山が招く、風がささやく、など。新しい発見があれば意外性のある新鮮な句も生まれますが、使い古された常套句やマスコミ用語を安易に使ってしまったり、幼稚な表現になったりしがちです。擬人化や見立ての表現はよっぽど用心して使うようにして下さい。
私の選句。
秋蝉や半値セールの指輪買ふ -のり子
はな 〇夏の勢いのあるセールではなく、季語により美術品を鑑賞するようにホテルでのセールに思えました。でも半値となると燃えますよね。
さら 〇自分へのごほうびでしょうか? 何の指輪を買ったか、とても気になります。是非見せて下さい!
光 〇秋蝉と半値セールは終わりと言うイメージが重なり合う。もう終わりだ買ってしまえと言うところか。
三四郎〇どことなくおかしい。最後に登場する蝉と最後の売り切りバーゲン。秋の蝉の情緒もいいけれど私はやっぱり買い物よ。
あゆか〇セールの赤札をみるとついふらふら夏の終わりを感じさせます。
あかね△秋蝉の頃はどこもバーゲンで女性にはうれしい時期です。気持ちよくわかります。
小雪 *秋蝉と中七下五がどう結びつくのでしょうか。
かなかなや今日は決勝甲子園 -さら
光 〇高校野球の決勝戦の頃はもうかなかなが鳴き出している。暑い長い戦いももう終わりかと言う一抹の寂しさが出ている。
三四郎△テレビを見ている家の庭で鳴いているのか。ひょっとしたら阪神甲子園球場の入場門あたりの木で鳴いているのかも知れない。今日は阪神は勝つ「かな」。オヤジギャグでした。
あゆか△同じ蝉でもかなかなだと淋しい感じ、より賑やかな秋蝉としても。
小雪 *かなかなは朝か夕方に鳴く蝉なので、甲子園の決勝戦とは合わない。油蝉とかみんみん蝉ならいいですが。
チェロ抱え出かける夫に秋の蝉 -あかね
光 〇チェロを抱えて出かける夫を見送る優しい妻の表情が秋の蝉で表現されてる。何となく太った夫を見送る妻と言うイメージが浮かんだ。
三四郎〇チェロがいい雰囲気を出している。弦楽四重奏だろうか。
小雪 〇秋とはいえ蝉も鳴いてまだまだ暑い中、チェロを抱えて出ていく夫。それを見送る妻。いい情景ですね。
墓参してその足で行くステーキ屋 -勝山
さら 〇墓参の後は、ステーキでも食べてパワーをつけよう!あちらはあちら。生きている者の生活が、最優先であります。
光 〇墓参りは暗いイメージがあるが、すぐにステーキ屋に行くと言う明るさが面白い。親に連れられて行った若者の墓参りかな。
蒼月 〇墓参りは普通は厳粛なもので、静かに手を合わせて行うものでしょうが、その後、元気の出るステーキ屋に行くという取り合わせがいいですね。私もだいたい、墓参りの後は近くの洋食屋で食事をしながら楽しく過ごします。
あゆか△まず生き仏の供養とて我が家も同じような事しました。
墓参るあの人らしき天気雨 -遊介
あかね◎墓参りに行って天気雨だったのでしょう。故人がどんな人なのか人柄と愛情を感じさせられます。天気雨にたとえて凄いと感じました。
馬空 ◎故人が雨男だったんですかね。俳諧味があって、読み手をほっとさせます。
光 〇あの人らしい天気雨ってどんな人だろうって考えてしまった。何となくいい人だったんだろうなあと思う。
まーゆ〇亡くなった方が自分がお参りに来たことをわかって、それを合図している様で、心があたたまる句です。
蒼月 〇すぐ気が変わる方だったのでしょうか。ただの雨でないところが面白いです。
小雪 △あの人はお天気屋だったなあ……。亡くなった人がどんな人だったかがこれだけでよく伝わります。
(三四郎)「天気雨」は日が照っているのに降る雨で、変わりやすいとか気まぐれとかいう意味はないと思います。空の明るさに「あの人らしき」を感じているのでは。
音合わせ駄目だし食らう夏の暮 -まーゆ
光 ◎音合わせの駄目だしって何度も繰り返されると訳が分からなくてつらい。(日も暮れかかってるのに)駄目だし食らうがそれを表してる。
藪枯らしこんな人とは暮らせない -小雪
のり子◎昔、古井戸の周りの藪枯らしの花にアゲハチョウが蜜を吸いにきていましたが、藪枯らしが茂った家は貧乏になるとも言われているので、つきすぎではないかと思いますが、やはり、暮らせないという決意が感じられ、凄さと覚悟が出ています。こんがらかってしまって、もう元には戻れないのでしょうか。
まーゆ◎ビンボウカズラと夫への八つ当たりの組み合わせがとても面白いです。
蒼月 ◎藪枯らし: 随所に生えるぶどう科の多年生蔓草。他のものにからみつき、生い茂る。<中略> 全草特異な臭気を持ち、地下茎から掘り起こしても根絶やしは困難な害草。(角川俳句歳時記より)
大笑いです。ここまで言われたらもうお仕舞ですな。これ以上ぴったりな植物はありませんね。濡れ落ち葉より始末が悪い?濡れ落ち葉ならほっときゃ乾いて飛んでいくか、培養土になりますから。
あゆか◎なにをやってもかみ合わないそう言いながら何十年も暮らしている夫婦もいますよね。藪枯らしの巻き付くさまが面白い。
馬空 〇こんな人とは暮らせない、の断定が面白いです。藪枯らしの季語の使い方が上手いですね。
光 〇藪枯らしの蔓延るままのような甲斐性なし(貧乏)とはもう我慢できない。奥さんの三行半。
さら 〇何があったのでしょうか?でもそうは思っても長年ずるずると暮らしてくれば、今更思い切ったことも出来ません。それともこの際決断しますか?
三四郎〇季語の斡旋が秀逸。こんがらがった腐れ縁やまつわりつくうっとうしさや暑苦しさまで感じさせる。藪からしも「こんな人」も今やばっさり切り落とされたのだろう。
通信句会は句評が読めるので参考になる。今回は75句も投句された。
Sさんと一緒にNgさん夫妻、Tmさんとの米国旅行打ち合わせに向かう。
近所のカンナ。もう終わりかかってる。

広東料理店 ”天啓”
レストランからの眺め。

Ngさんの奥さんとは初対面。Tmさん、Ng夫妻、私たち夫婦の5人でWashington D.C.からShenandoah国立公園 までの12日間の米国旅行をご一緒する。
最初の4日間のワシントンDCはNg夫妻は友人のところに行き、別行動。この時は、Tmさんと美術館めぐり。Tmさんは航空博物館に入りびたりか。Tmさんは駐在員で滞在した事があるので、頼りになる。
Ng夫妻と合流してからは、Ngさんが運転するレンタカーで移動。フィラデルフィヤ、ゲティスバーグ、シェランドー公園など移動。
Sさんと私はおんぶにだっこ。
元々、白酔会スキーのレストランで、TmさんとNgさんが話しこんでるので、何だと思ったら、飛行機の話。二人とも飛行機マニア。Ngさんが航空博物館の別館が素晴らしいと言うのをTmさんが羨ましがって、是非行きたいと言う事になったようだ。私もと誘われたが、飛行機はあまり興味がないと言ったら、他も観光するので是非と言われて、結婚40周年の記念に良いかと承諾し、その後、一度打ち合わせし、回る場所を決める。既にフライト、ホテル、レンタカーの手配はかなり前に予約して貰う。
わいわいと話し込みながら日程が確認されていく。
Ng夫人がTmさんとはどういう関係のお付き合いと聞かれたので、20年近く前からのお付き合い。最初は、Wtさんに社長だったTmさんを紹介して貰い、仕事上のお付き合いだったが、直ぐにスキー仲間となる。海外スキーや国内旅行も良く一緒し、海外スキーでは(ツウィンが無く)ダブルベッドで一緒した事もあると言ったら、大笑いされた。
大声で男共が話し、大笑い。実に愉快な話が次々と飛び出した。後でSさんが周りの客を気遣ってハラハラしたと言う。
楽しい珍道中になりそう。

インドハマユウ、花期が長い。

ハナトラノオ(花虎の尾)。

ムクゲ。

Ogさんから週末の白馬は行きたい旨の返信有。ただちにIwさん、Szさんに連絡して行くことにした。
大門通信句会の選評が三四郎さんから送られてくる。
今回は、集中できず、出来が悪い。
兼題は「秋の蝉」「墓参」「音」「こんな」。◎は特選、〇は入選、△は次点、*はここがわからない、こうすればよくなるなどのコメント。:私の感想。
こんな日は妻の笑顔ととろろ汁 -光
蒼月 〇ごちそう様です。作者が目に浮かびます。笑顔ととろろ汁の取り合わせがいいです。
糸 △ご馳走様です。滋味あふれるとろろ汁に合う奥様の笑みですね。
小雪 △こんな日もあるという感慨は納得。とろろ汁もいいですね。でも、妻の笑顔が甘ったるくて△になりました。
:とろろ汁にかけてSさんの優しさを表したかった。
子に長く語りかけてる墓参かな -光
蒼月 △先に逝った子供に語りかけているのでしょうか。悲しみが伝わります。「語りかけてる」が少し軽い感じがしましたが、いい言葉が見つかりません。
あゆか△子に先立たれた切なさが伝わってくる。
:Sさんが次男にゆっくり休んでね。と何度も語りかけているのを見て。
朝に鳴き夕に死ぬるや秋の蝉 -光
三四郎*鳴き声は確かに侘しげだが、「秋の蝉」とは立秋をすぎてから鳴き始める蝉のことで夏の蝉が生き延びているのではないから、ことさら短命というわけでもない。
:うーん。確かに。
蜩や一際目立つ山ガール -光
三四郎*蜩は哀調のある声で鳴く蝉なので、カラフルな登山服の女性との取り合わせは無理がある。
:蜩と山ガールは合わなかったか。良くある光景ではあるんだが。
虫の音の楽団揃う夜更けかな -光
小雪 *虫の音を楽団に見立てるのはあまりにありきたり。見立ての場合は人の思いつかないようなものを持って来ないと成功しません。
:確かに言われるとおり。
三四郎さんからの補足・・・小雪さんからいくつかの句で注意がありましたが、擬人化について解説しておきます。擬人化とは人間以外のものを人間になぞらえる表現方法です。たとえば、山が招く、風がささやく、など。新しい発見があれば意外性のある新鮮な句も生まれますが、使い古された常套句やマスコミ用語を安易に使ってしまったり、幼稚な表現になったりしがちです。擬人化や見立ての表現はよっぽど用心して使うようにして下さい。
私の選句。
秋蝉や半値セールの指輪買ふ -のり子
はな 〇夏の勢いのあるセールではなく、季語により美術品を鑑賞するようにホテルでのセールに思えました。でも半値となると燃えますよね。
さら 〇自分へのごほうびでしょうか? 何の指輪を買ったか、とても気になります。是非見せて下さい!
光 〇秋蝉と半値セールは終わりと言うイメージが重なり合う。もう終わりだ買ってしまえと言うところか。
三四郎〇どことなくおかしい。最後に登場する蝉と最後の売り切りバーゲン。秋の蝉の情緒もいいけれど私はやっぱり買い物よ。
あゆか〇セールの赤札をみるとついふらふら夏の終わりを感じさせます。
あかね△秋蝉の頃はどこもバーゲンで女性にはうれしい時期です。気持ちよくわかります。
小雪 *秋蝉と中七下五がどう結びつくのでしょうか。
かなかなや今日は決勝甲子園 -さら
光 〇高校野球の決勝戦の頃はもうかなかなが鳴き出している。暑い長い戦いももう終わりかと言う一抹の寂しさが出ている。
三四郎△テレビを見ている家の庭で鳴いているのか。ひょっとしたら阪神甲子園球場の入場門あたりの木で鳴いているのかも知れない。今日は阪神は勝つ「かな」。オヤジギャグでした。
あゆか△同じ蝉でもかなかなだと淋しい感じ、より賑やかな秋蝉としても。
小雪 *かなかなは朝か夕方に鳴く蝉なので、甲子園の決勝戦とは合わない。油蝉とかみんみん蝉ならいいですが。
チェロ抱え出かける夫に秋の蝉 -あかね
光 〇チェロを抱えて出かける夫を見送る優しい妻の表情が秋の蝉で表現されてる。何となく太った夫を見送る妻と言うイメージが浮かんだ。
三四郎〇チェロがいい雰囲気を出している。弦楽四重奏だろうか。
小雪 〇秋とはいえ蝉も鳴いてまだまだ暑い中、チェロを抱えて出ていく夫。それを見送る妻。いい情景ですね。
墓参してその足で行くステーキ屋 -勝山
さら 〇墓参の後は、ステーキでも食べてパワーをつけよう!あちらはあちら。生きている者の生活が、最優先であります。
光 〇墓参りは暗いイメージがあるが、すぐにステーキ屋に行くと言う明るさが面白い。親に連れられて行った若者の墓参りかな。
蒼月 〇墓参りは普通は厳粛なもので、静かに手を合わせて行うものでしょうが、その後、元気の出るステーキ屋に行くという取り合わせがいいですね。私もだいたい、墓参りの後は近くの洋食屋で食事をしながら楽しく過ごします。
あゆか△まず生き仏の供養とて我が家も同じような事しました。
墓参るあの人らしき天気雨 -遊介
あかね◎墓参りに行って天気雨だったのでしょう。故人がどんな人なのか人柄と愛情を感じさせられます。天気雨にたとえて凄いと感じました。
馬空 ◎故人が雨男だったんですかね。俳諧味があって、読み手をほっとさせます。
光 〇あの人らしい天気雨ってどんな人だろうって考えてしまった。何となくいい人だったんだろうなあと思う。
まーゆ〇亡くなった方が自分がお参りに来たことをわかって、それを合図している様で、心があたたまる句です。
蒼月 〇すぐ気が変わる方だったのでしょうか。ただの雨でないところが面白いです。
小雪 △あの人はお天気屋だったなあ……。亡くなった人がどんな人だったかがこれだけでよく伝わります。
(三四郎)「天気雨」は日が照っているのに降る雨で、変わりやすいとか気まぐれとかいう意味はないと思います。空の明るさに「あの人らしき」を感じているのでは。
音合わせ駄目だし食らう夏の暮 -まーゆ
光 ◎音合わせの駄目だしって何度も繰り返されると訳が分からなくてつらい。(日も暮れかかってるのに)駄目だし食らうがそれを表してる。
藪枯らしこんな人とは暮らせない -小雪
のり子◎昔、古井戸の周りの藪枯らしの花にアゲハチョウが蜜を吸いにきていましたが、藪枯らしが茂った家は貧乏になるとも言われているので、つきすぎではないかと思いますが、やはり、暮らせないという決意が感じられ、凄さと覚悟が出ています。こんがらかってしまって、もう元には戻れないのでしょうか。
まーゆ◎ビンボウカズラと夫への八つ当たりの組み合わせがとても面白いです。
蒼月 ◎藪枯らし: 随所に生えるぶどう科の多年生蔓草。他のものにからみつき、生い茂る。<中略> 全草特異な臭気を持ち、地下茎から掘り起こしても根絶やしは困難な害草。(角川俳句歳時記より)
大笑いです。ここまで言われたらもうお仕舞ですな。これ以上ぴったりな植物はありませんね。濡れ落ち葉より始末が悪い?濡れ落ち葉ならほっときゃ乾いて飛んでいくか、培養土になりますから。
あゆか◎なにをやってもかみ合わないそう言いながら何十年も暮らしている夫婦もいますよね。藪枯らしの巻き付くさまが面白い。
馬空 〇こんな人とは暮らせない、の断定が面白いです。藪枯らしの季語の使い方が上手いですね。
光 〇藪枯らしの蔓延るままのような甲斐性なし(貧乏)とはもう我慢できない。奥さんの三行半。
さら 〇何があったのでしょうか?でもそうは思っても長年ずるずると暮らしてくれば、今更思い切ったことも出来ません。それともこの際決断しますか?
三四郎〇季語の斡旋が秀逸。こんがらがった腐れ縁やまつわりつくうっとうしさや暑苦しさまで感じさせる。藪からしも「こんな人」も今やばっさり切り落とされたのだろう。
通信句会は句評が読めるので参考になる。今回は75句も投句された。
Sさんと一緒にNgさん夫妻、Tmさんとの米国旅行打ち合わせに向かう。
近所のカンナ。もう終わりかかってる。

広東料理店 ”天啓”
レストランからの眺め。

Ngさんの奥さんとは初対面。Tmさん、Ng夫妻、私たち夫婦の5人でWashington D.C.からShenandoah国立公園 までの12日間の米国旅行をご一緒する。
最初の4日間のワシントンDCはNg夫妻は友人のところに行き、別行動。この時は、Tmさんと美術館めぐり。Tmさんは航空博物館に入りびたりか。Tmさんは駐在員で滞在した事があるので、頼りになる。
Ng夫妻と合流してからは、Ngさんが運転するレンタカーで移動。フィラデルフィヤ、ゲティスバーグ、シェランドー公園など移動。
Sさんと私はおんぶにだっこ。
元々、白酔会スキーのレストランで、TmさんとNgさんが話しこんでるので、何だと思ったら、飛行機の話。二人とも飛行機マニア。Ngさんが航空博物館の別館が素晴らしいと言うのをTmさんが羨ましがって、是非行きたいと言う事になったようだ。私もと誘われたが、飛行機はあまり興味がないと言ったら、他も観光するので是非と言われて、結婚40周年の記念に良いかと承諾し、その後、一度打ち合わせし、回る場所を決める。既にフライト、ホテル、レンタカーの手配はかなり前に予約して貰う。
わいわいと話し込みながら日程が確認されていく。
Ng夫人がTmさんとはどういう関係のお付き合いと聞かれたので、20年近く前からのお付き合い。最初は、Wtさんに社長だったTmさんを紹介して貰い、仕事上のお付き合いだったが、直ぐにスキー仲間となる。海外スキーや国内旅行も良く一緒し、海外スキーでは(ツウィンが無く)ダブルベッドで一緒した事もあると言ったら、大笑いされた。
大声で男共が話し、大笑い。実に愉快な話が次々と飛び出した。後でSさんが周りの客を気遣ってハラハラしたと言う。
楽しい珍道中になりそう。
唐紅花
午前中、来客あり。Sさんと二人で対応する。
大門通信句会の句評の締め切りなので、何とか仕上げる。三四郎さんが熱心に指導してくれるので、つい力が入る。自作の句はバリ島結婚式に気が行ってしまって集中力が欠けていたので、句評はしっかりとしたつもりだが、如何なものか。
週末の白馬が気になる。台風が近づいていて天候は良くなさそう。Szさんの別荘に愛知からと関東からと集まって、山登りする予定だったが、愛知組4人が登山は無理そうと欠席。こちらはどうしたものかと思って、関東組のIwさん、Ogさんに確認のメールをする。
Htさんがアレンジしてくれた会食に出かける。
場所は浅草ビューホテルの唐紅花。Htさん馴染のお店。ちょっと迷ったが、何とか到着。
Ssさん、Srさん、Hmさんが来ている。Ikさんは少し遅れて到着。
スカイツリーが正面に見えて綺麗。カメラを持ってくるんだった。ライトアップが綺麗。
まだNzさんは仕事で来ていないが、乾杯して始まる。
食事は豪勢。(携帯から撮ったのであまり良くない。)

フカヒレの広東式蒸しスープ、和牛リブロースと彩り野菜のセイロ蒸し、やりイカのバター炒め、アワビと海老しんじょうのミルフィーユなど。
シェフが挨拶に来る。Htさんはなじみ客。良いお店を良く知ってるねえと皆が感心する。それ程でもと謙遜されたが、全国津々浦々にあるみたい。私はどうかと聞かれたが、比較になりません。お店はほとんど他人任せ、Sさん任せなので、美味かったと言う記憶しかない。
遅れて、仕事が終わったNzさんが登場。皆で再び乾杯。
Htさんが、On先生が倒れられてからの、この2年間のHmさん、Skさんのご苦労に感謝する。良くぞ新体制をスムーズにここまで立ち上げた。
Hmさんは、Htさんの支えに感謝する。
On先生が倒れられてからの一連の動きは、危機管理そのもので、平常時の対応では処置しきれない。ここまでスムーズに体制を移行できたのは、Skさん、Hmさん、Htさん達の危機管理によるところ大であろう。いろいろ齟齬はあっただろうが、異常時は素早く動くことと、大局的判断が大切で、普段では問題視されるような齟齬はある程度やむを得ない。
いろんな皆の想いが話題に出る。水曜会の人たちは真面目で、歌を愛してるんだなあとつくづく思う。
ほとんどコーラス、歌、音楽、水曜会の話題なので、皆の話を聞くばかりだが、これもまた楽しい。
楽しい集まりも終わりが来る。Sさんにバリから帰って太り気味だから、あまり食べないようにと言われたが、美味しいものにはつい手が出てしまう。
帰ってから、Sさんにメニューを見せて美味かったよと報告したら、良い事良い事と言われた。
大門通信句会の句評の締め切りなので、何とか仕上げる。三四郎さんが熱心に指導してくれるので、つい力が入る。自作の句はバリ島結婚式に気が行ってしまって集中力が欠けていたので、句評はしっかりとしたつもりだが、如何なものか。
週末の白馬が気になる。台風が近づいていて天候は良くなさそう。Szさんの別荘に愛知からと関東からと集まって、山登りする予定だったが、愛知組4人が登山は無理そうと欠席。こちらはどうしたものかと思って、関東組のIwさん、Ogさんに確認のメールをする。
Htさんがアレンジしてくれた会食に出かける。
場所は浅草ビューホテルの唐紅花。Htさん馴染のお店。ちょっと迷ったが、何とか到着。
Ssさん、Srさん、Hmさんが来ている。Ikさんは少し遅れて到着。
スカイツリーが正面に見えて綺麗。カメラを持ってくるんだった。ライトアップが綺麗。
まだNzさんは仕事で来ていないが、乾杯して始まる。
食事は豪勢。(携帯から撮ったのであまり良くない。)

フカヒレの広東式蒸しスープ、和牛リブロースと彩り野菜のセイロ蒸し、やりイカのバター炒め、アワビと海老しんじょうのミルフィーユなど。
シェフが挨拶に来る。Htさんはなじみ客。良いお店を良く知ってるねえと皆が感心する。それ程でもと謙遜されたが、全国津々浦々にあるみたい。私はどうかと聞かれたが、比較になりません。お店はほとんど他人任せ、Sさん任せなので、美味かったと言う記憶しかない。
遅れて、仕事が終わったNzさんが登場。皆で再び乾杯。
Htさんが、On先生が倒れられてからの、この2年間のHmさん、Skさんのご苦労に感謝する。良くぞ新体制をスムーズにここまで立ち上げた。
Hmさんは、Htさんの支えに感謝する。
On先生が倒れられてからの一連の動きは、危機管理そのもので、平常時の対応では処置しきれない。ここまでスムーズに体制を移行できたのは、Skさん、Hmさん、Htさん達の危機管理によるところ大であろう。いろいろ齟齬はあっただろうが、異常時は素早く動くことと、大局的判断が大切で、普段では問題視されるような齟齬はある程度やむを得ない。
いろんな皆の想いが話題に出る。水曜会の人たちは真面目で、歌を愛してるんだなあとつくづく思う。
ほとんどコーラス、歌、音楽、水曜会の話題なので、皆の話を聞くばかりだが、これもまた楽しい。
楽しい集まりも終わりが来る。Sさんにバリから帰って太り気味だから、あまり食べないようにと言われたが、美味しいものにはつい手が出てしまう。
帰ってから、Sさんにメニューを見せて美味かったよと報告したら、良い事良い事と言われた。
ラシーヌの雅歌
庭の朝顔。(クリックすると拡大)

ツルハナナス。

百日紅がやっと咲いた。

玉すだれ。

大門通信句会の選句をする。皆なかなかの出来栄えで選句に迷う。
七福の会に出かける。
近所のデュランタ。我が家のは枯れてしまった。

ノウゼンカズラ(凌霄花)。我が家のは下水工事の時に移植したので今年は咲かない。

七福の会。Htさん、Tnさん、Ssさん、Nuさん、Trさん、Mnさん、Ikさんが参加。DmさんとSjさんが欠席。
Sjさんは新居の建築中で、皆がえらいなあと褒める。
Htさん、Tnさん、Ssさんは大長老。Trさんは山梨から駆け付けてくれた。
Ssさんが死ぬまでゴルフをしようと思っていたら、仲間がどんどんゴルフを止めてしまって困るとぼやく。この中では一番のプレーヤー。
政治、経済、社会問題、原発、TPP、オリンピック、会社の状況、戸塚病院の話、富士登山の話、人の噂話など多岐にわたる。
麦酒を飲んで昼食をとりながらの懇談だが、2時間を超えてしまった。
この会に80歳以上の方が、3人おられるが頭脳明晰、意気軒昂で圧倒される。
他にも93歳でも技術探究心が旺盛で圧倒されるHs先生。スキーでは83歳(84歳かも)のKbさんの華麗な滑り。山では78歳のDmさんの健脚ぶり等、多士済々。
この国の老人パワーは凄い。老害にならぬよう心掛ければ国を引っ張れるのではないだろうか。
一旦帰って、歌の練習をしてから水曜会に出かける。
先週は息子の結婚式で休んだ。
部屋に入ったら、バリでの息子の結婚式を知ってるTtさん、Hmさん、Tdさん、Htさん、Thさんらから、おめでとうと言われる。
体操の後に発声練習。Yk先生が、巻き舌は口の両側を止めて舌先だけで震わせるとやって見せる。道具もあるとか。
声が出るか心配。前列に行ったらと言われたが今日は後列で歌わせてと、Ksさん、Kkさんに頼む。
「ノスタルジア」信長貴富編曲。アカペラ。
「赤とんぼ」山田耕作作曲、三木露風作詩、信長貴富編曲。
Yk先生が「あかとんぼ」のアクセントについて逸話を話す。「「あかとんぼ」を発音する時,"か"にアクセントがあるのに,メロディーでは"あ"が高いのはおかしいのではないかと,團伊玖磨が,直接山田耕筰に伺ったところ,「自分が作曲したように"あ"かとんぼと言うのが正しいのです。江戸時代から,東京では"あ"かとんぼと言い,あ"か"とんぼとは言いませんでした。生粋の江戸っ子に訊いてごらん」といわれたという。」
「花」滝廉太郎作曲、武島羽衣作詩、信長貴富編曲。
「ララララ・・・」は花びらを表現してるのだから軽く歌う。テナーは重すぎる。
「朧月夜」岡野貞一作曲、高野辰之作詩、信長貴富編曲。
「はるかぜそよぐ」のようなユニゾンは声が揃う様に。
休憩時間。
Hyさんに「でんごんばん」の記事の事でご迷惑をかけたと謝られたが、とんでもない、私のミスでHyさんの文章を抜かしてしまい嫌な思いをさせてしまいましたと平身低頭する。(無論最終的には修正したが気が付くのが遅かった。)
Isさんが月下美人が一杯咲いたと言う。昔の写真を見せて貰った。山仲間のMzさんのびっくりするほど若々しい顔があった。
Yk先生に先生の研究室の指導教官だったWt先生が亡くなられたと報告。驚いていた。
テナーはSkさん以外出席。Htさん、Thさん、Ksさん、Tuさん、Frさん、Ksさん、遅れてNzさん。
Hmさんがおめでとうと息子の結婚を皆の前で祝ってくれたのでどぎまぎする。Sさんと新婚みたいに仲が良いと言うので赤くなってしまった。Htさんが何かもじょもじょ言ってるが良く聞こえない。
団長が9月からの練習時間が変わると紹介。7時から発声して、9時半には退出。
バスの**さんがWtさんに強引に進められたと見学に来てる。
Hmさんがソプラノからアルトに移ると報告。
「フォーレ合唱曲集」
「ラシーヌの雅歌」Gabriel Faure作曲、Jean Racine作詩。
最初に先生から変更箇所の指示がある。59小節の>を失くす。バスは違う変更。 75小節のPP subitoを3拍目にずらす。
フランス語だが、まずは音。フランス語で歌ってもラララでも階名でも良いと言う。訳が付いてる日本語でも良い。音はしっかり取ること。前回練習したのかフランス語で歌ってる人もいる。最初ラララで歌ってたが、テナーは移動ドで歌ってるので途中から移動ドで歌う。
パートごとに丁寧に指導してくれるので、何とか音が取れるように少しなってくる。
「島よ」も行うつもりだったらしいが時間切れ。
疲れた。
まだバリ疲れもあるし飲み会はパスして帰ろうと思ったが、Onさんが参加すると言うのでつい参加してしまった。
傍にTdさん、Nzさん、Ynさん、Ikさんがいる。
Tdさんに息子の結婚式について話す。次男を亡くした事も良く知ってるので、良かったと喜んでくれた。
NzさんにピアニストのKwさんを連れて行く初心者向けの登山に参加してくれと頼む。Ikさんは山の提案をしてくれた。どこに住んでるのと聞かれたが都内としか知らないので、どこに住んでるかは聞いておこう。高尾山になってしまうかな。金時山も良さそうだが、遠いかもしれない。山はブームで人気がある。富士山も凄い人気だった。Kwさんも富士山に登りたいと言ってる。
Ttさんがワインを注ぎに来てくれたので、グラスを持ってくるよう引き止める。息子の結婚式の報告をする。大層喜んでくれた。Ttさんは今日誕生日。Msさんがリードしてハッピバースデーを歌う。帰るつもりだったが、参加して良かった。家族が集まって祝ってくれるそうだ。
帰りはMrさんと帰る。山の話をする。来週は来ますねと念を押された。信用無い。

ツルハナナス。

百日紅がやっと咲いた。

玉すだれ。

大門通信句会の選句をする。皆なかなかの出来栄えで選句に迷う。
七福の会に出かける。
近所のデュランタ。我が家のは枯れてしまった。

ノウゼンカズラ(凌霄花)。我が家のは下水工事の時に移植したので今年は咲かない。

七福の会。Htさん、Tnさん、Ssさん、Nuさん、Trさん、Mnさん、Ikさんが参加。DmさんとSjさんが欠席。
Sjさんは新居の建築中で、皆がえらいなあと褒める。
Htさん、Tnさん、Ssさんは大長老。Trさんは山梨から駆け付けてくれた。
Ssさんが死ぬまでゴルフをしようと思っていたら、仲間がどんどんゴルフを止めてしまって困るとぼやく。この中では一番のプレーヤー。
政治、経済、社会問題、原発、TPP、オリンピック、会社の状況、戸塚病院の話、富士登山の話、人の噂話など多岐にわたる。
麦酒を飲んで昼食をとりながらの懇談だが、2時間を超えてしまった。
この会に80歳以上の方が、3人おられるが頭脳明晰、意気軒昂で圧倒される。
他にも93歳でも技術探究心が旺盛で圧倒されるHs先生。スキーでは83歳(84歳かも)のKbさんの華麗な滑り。山では78歳のDmさんの健脚ぶり等、多士済々。
この国の老人パワーは凄い。老害にならぬよう心掛ければ国を引っ張れるのではないだろうか。
一旦帰って、歌の練習をしてから水曜会に出かける。
先週は息子の結婚式で休んだ。
部屋に入ったら、バリでの息子の結婚式を知ってるTtさん、Hmさん、Tdさん、Htさん、Thさんらから、おめでとうと言われる。
体操の後に発声練習。Yk先生が、巻き舌は口の両側を止めて舌先だけで震わせるとやって見せる。道具もあるとか。
声が出るか心配。前列に行ったらと言われたが今日は後列で歌わせてと、Ksさん、Kkさんに頼む。
「ノスタルジア」信長貴富編曲。アカペラ。
「赤とんぼ」山田耕作作曲、三木露風作詩、信長貴富編曲。
Yk先生が「あかとんぼ」のアクセントについて逸話を話す。「「あかとんぼ」を発音する時,"か"にアクセントがあるのに,メロディーでは"あ"が高いのはおかしいのではないかと,團伊玖磨が,直接山田耕筰に伺ったところ,「自分が作曲したように"あ"かとんぼと言うのが正しいのです。江戸時代から,東京では"あ"かとんぼと言い,あ"か"とんぼとは言いませんでした。生粋の江戸っ子に訊いてごらん」といわれたという。」
「花」滝廉太郎作曲、武島羽衣作詩、信長貴富編曲。
「ララララ・・・」は花びらを表現してるのだから軽く歌う。テナーは重すぎる。
「朧月夜」岡野貞一作曲、高野辰之作詩、信長貴富編曲。
「はるかぜそよぐ」のようなユニゾンは声が揃う様に。
休憩時間。
Hyさんに「でんごんばん」の記事の事でご迷惑をかけたと謝られたが、とんでもない、私のミスでHyさんの文章を抜かしてしまい嫌な思いをさせてしまいましたと平身低頭する。(無論最終的には修正したが気が付くのが遅かった。)
Isさんが月下美人が一杯咲いたと言う。昔の写真を見せて貰った。山仲間のMzさんのびっくりするほど若々しい顔があった。
Yk先生に先生の研究室の指導教官だったWt先生が亡くなられたと報告。驚いていた。
テナーはSkさん以外出席。Htさん、Thさん、Ksさん、Tuさん、Frさん、Ksさん、遅れてNzさん。
Hmさんがおめでとうと息子の結婚を皆の前で祝ってくれたのでどぎまぎする。Sさんと新婚みたいに仲が良いと言うので赤くなってしまった。Htさんが何かもじょもじょ言ってるが良く聞こえない。
団長が9月からの練習時間が変わると紹介。7時から発声して、9時半には退出。
バスの**さんがWtさんに強引に進められたと見学に来てる。
Hmさんがソプラノからアルトに移ると報告。
「フォーレ合唱曲集」
「ラシーヌの雅歌」Gabriel Faure作曲、Jean Racine作詩。
最初に先生から変更箇所の指示がある。59小節の>を失くす。バスは違う変更。 75小節のPP subitoを3拍目にずらす。
フランス語だが、まずは音。フランス語で歌ってもラララでも階名でも良いと言う。訳が付いてる日本語でも良い。音はしっかり取ること。前回練習したのかフランス語で歌ってる人もいる。最初ラララで歌ってたが、テナーは移動ドで歌ってるので途中から移動ドで歌う。
パートごとに丁寧に指導してくれるので、何とか音が取れるように少しなってくる。
「島よ」も行うつもりだったらしいが時間切れ。
疲れた。
まだバリ疲れもあるし飲み会はパスして帰ろうと思ったが、Onさんが参加すると言うのでつい参加してしまった。
傍にTdさん、Nzさん、Ynさん、Ikさんがいる。
Tdさんに息子の結婚式について話す。次男を亡くした事も良く知ってるので、良かったと喜んでくれた。
NzさんにピアニストのKwさんを連れて行く初心者向けの登山に参加してくれと頼む。Ikさんは山の提案をしてくれた。どこに住んでるのと聞かれたが都内としか知らないので、どこに住んでるかは聞いておこう。高尾山になってしまうかな。金時山も良さそうだが、遠いかもしれない。山はブームで人気がある。富士山も凄い人気だった。Kwさんも富士山に登りたいと言ってる。
Ttさんがワインを注ぎに来てくれたので、グラスを持ってくるよう引き止める。息子の結婚式の報告をする。大層喜んでくれた。Ttさんは今日誕生日。Msさんがリードしてハッピバースデーを歌う。帰るつもりだったが、参加して良かった。家族が集まって祝ってくれるそうだ。
帰りはMrさんと帰る。山の話をする。来週は来ますねと念を押された。信用無い。
間違えちゃった
結婚式の写真をプリントして、結婚した報告と合わせて親戚に送る作業をSさんと協力して行う。
メールの返信が溜まっているので、数十通返信。ブログとfacebookの更新。溜まった録画を少し消化。あっと言う間に時間がたってしまった。
米国から一時帰国してるKjさんに会うので来ないかとIcさんから旅行前に連絡が来ていたので参加すると連絡していた。伊豆栄本店に出かける。Srさん、Sgさんも参加する。
近所のメランポジューム。(クリックすると拡大)

ルドペキアかな。

珍しく蒲の穂がある。

ペンタス。

?

地図で探して伊豆栄本店に到着。久しぶりに鰻が食べられると喜んでいたら、予約がないと言う。予約の名前を見せて貰ったが、それらしきのがない。おかしいと、もう一度、メールを確認したら、日にちを間違えていた。ノートに月曜日と書いてあり、頭の中で月曜日と思い込んでいて、参加と返事をした。実際は水曜日だった。水曜日は先約があり、参加できない。お店の人に謝って、店を出る。
あわてて、Icさんにメールと電話をしたが、山に入ってるらしくて連絡が取れない。焦って他の参加者にも、日にちを間違えてお店まで行ってしまったが、水曜日は都合が悪いとメール。(翌日、山から帰ってきたIcさんが笑いながら電話してきた。平身低頭で謝る。)米国滞在のKjさんに会えなかったのは実に残念。
この頃、ボンミスが多い。脳の加齢が始まってるんだろうか。そのつもりでチェックを二重にしよう。
帰って、Sさんに話したら、鰻だけでも食べて来れば良かったのにと笑われてしまった。あ~あ残念。
メールの返信が溜まっているので、数十通返信。ブログとfacebookの更新。溜まった録画を少し消化。あっと言う間に時間がたってしまった。
米国から一時帰国してるKjさんに会うので来ないかとIcさんから旅行前に連絡が来ていたので参加すると連絡していた。伊豆栄本店に出かける。Srさん、Sgさんも参加する。
近所のメランポジューム。(クリックすると拡大)

ルドペキアかな。

珍しく蒲の穂がある。

ペンタス。

?

地図で探して伊豆栄本店に到着。久しぶりに鰻が食べられると喜んでいたら、予約がないと言う。予約の名前を見せて貰ったが、それらしきのがない。おかしいと、もう一度、メールを確認したら、日にちを間違えていた。ノートに月曜日と書いてあり、頭の中で月曜日と思い込んでいて、参加と返事をした。実際は水曜日だった。水曜日は先約があり、参加できない。お店の人に謝って、店を出る。
あわてて、Icさんにメールと電話をしたが、山に入ってるらしくて連絡が取れない。焦って他の参加者にも、日にちを間違えてお店まで行ってしまったが、水曜日は都合が悪いとメール。(翌日、山から帰ってきたIcさんが笑いながら電話してきた。平身低頭で謝る。)米国滞在のKjさんに会えなかったのは実に残念。
この頃、ボンミスが多い。脳の加齢が始まってるんだろうか。そのつもりでチェックを二重にしよう。
帰って、Sさんに話したら、鰻だけでも食べて来れば良かったのにと笑われてしまった。あ~あ残念。
バリよさようなら
とうとうバリ最終日となる。
部屋の前からの眺め。(クリックすると拡大)

午前中にチェックインで、飛行場へのお迎えは夜の9時20分と部屋から追い出されてからが長い。マッサージを予約した。息子夫妻はまだしばらく滞在するのでTkさんが部屋を使って下さいと言ってくれた。
レストランが開く7時に食事。何時ものバイキング。

食後の散策。

浜は美しい。

何と昨日までなかった、船が珊瑚礁に座礁してる。

極楽鳥花。

何時も歩く道。

部屋に戻ってパッキング。ほとんどSさん任せ。入れるものだけまとめる。お土産が少ないので来た時とほとんど変わらない。持ってきた食料の残りは、息子夫婦に渡す。
水着を入れないで泳ぐと言うので、私はスーツケースより取り出す。
Tkさんより息子の具合が悪いと連絡があったので部屋に向かう。お腹を壊したらしい。こちらに来る直前まで仕事で忙しかったので気疲れが出たのだろう。それと食べすぎか。妹さん夫妻が来ていたが、我々が来たら引き上げた。
ドクターに見て貰い、落ち着く。
部屋に戻って、パッキング。チェックアウトし、スーツケースを預ける。
息子夫婦のヴィラで過ごす。息子は休んでおり、Tkさんは付き添ってる。
ヴィラ付のプール。

ヴィラ。

昼食は、Sさんが日本から持ってきた御飯にスープを混ぜたおじや。これがなかなかいける。Tkさんは梅干しが好きで喜んで食べる。
息子はぐっすり眠ってるので、しばらく話したり本を読んだりする。
プールに泳ぎに行こうと言ったら、Sさんは水着をスーツケースの中に入れてしまったと言う。泳ぐと聞いてええっと驚いたので泳がないと思ったみたい。
いいこといいことの声に送られて、泳ぎに行く。


200mほどのプールを3往復。子供連れと恋人同士がいる。ゆっくり泳いだり、小島のチェアで休んだりする。1時間以上過ごして戻る。今回はシャワーの場所がわかってるのでシャワーを浴びる。
随分長かったわねと言われてしまう。
Tkさんは、お腹が空いたと言うのでアフタヌーンティーに行って貰う。
戻ってきたら、息子が元気になりだしたので、食べ過ぎは良くないと散々に言う。Tkさんの言う事をよく聞くようにとも。素直に反省してる。
息子夫婦と別れる。これからよろしくお願いしますと挨拶して別れる。
マッサージの車が来てるので出かける。雑踏する街中を通って到着。

Sさんと一緒に2時間たっぷりバリ式マッサージを受ける。かなり痛いところもあったが、実に気持ちが良い。Sさんも凄く良かったと言う。
再びホテルのロビーに戻る。


車の迎えが来る。Tkさんの御両親と一緒。バリ島よさようなら。
ところがこれからが大変だった。時間がたっぷりあるので珈琲でも飲んでゆったりと思ったが、チェックインが長蛇の列。成田行きは、係員が一人しかいない。しかもその作業が遅いのでどんどん列が長くなる。大阪行きや、ソウル行きは二人で行ってるのでさばけていく。やっと応援の係員が来て、動き出す。ここで2時間近くかかってしまった。やっと待合ロビーに来れたと思ったら、今度は飛行機が遅れてる。最終的に2時間近くの遅れ。椅子席は既に満員なので、ビニール袋を敷いて座って待つ。疲れた。結局、空港に4時間以上いたことになる。
機内に入ってホッとする。麦酒でも飲んで寝ようとしたが眠れず。Sさんは眠ってる。結局、成田に着くまでほとんど眠れなかった。まあ良い結婚式だったし、素敵な伴侶を得た息子は幸せそうだし、これくらいはバランスが取れて良しとしよう。
結婚式
今日は息子の結婚式当日。
朝食後に、服装の準備をする。Yシャツのカフス釦は、Sさんの飾りを着けるので豪華。息子もSさんの飾りを付けたので、衣装係の人に素敵なカフス釦ですねと言われたそうだ。
問題は、私の上着がはち切れないかである。上着は、水曜会の演奏会に着たもの。8年前に団長から譲り受けた。その時から昨年まではすんなり入ったが、今年の演奏会ははち切れそうだったとSさんが言う。演奏会後に痩せろ痩せろとしつこく言われてかなり痩せる。富士登山でも痩せたので、ばっちりと思ったが、バリ島に来て美味しいものばかり毎日食べたらまた太ってしまった。何とか、演奏会の時よりは様になって釦を嵌められた。Sさんから式の時はお腹をへこましてなさいと言われる。
Sさんはお気に入りの三宅一生もの。パールの首飾り。何時見ても素敵だねえ。
ロビーに行って、Tkさんのお母さんと妹さん夫妻と挨拶。お父さんは花嫁の付き添いの準備で既にでかけてる。
式場の待合室で待つ。(クリックすると拡大)

息子とTkさんが相談したらしくて、私たちの知らないうちに次男の遺影が用意されてた。次男の遺影をSさんが掲げる。優しい心遣いに涙ぐみそうになる。
式場に向かう。

セントレジス・クラウドナインチャペル。
息子が現れる。少し緊張してるがニコニコしっぱなし。
約3000個のプルメリアが敷き詰められたバージンロード。

Tkさんがお父さんにエスコートされてバージンロードを歩む。Tkさんは美しく輝いている。衣装は息子が選んだとか。聖歌隊の娘さんが歌う。
牧師が来場して結婚式が始まる。

スワロフスキーのシャンデリア。

牧師の挨拶、誓いの言葉、指輪交換、結婚証明書へのサイン、キャンドルへの点火、誓いのキス、結婚宣言。
息子が挨拶をする。Tkさんへの想い、家族への想い、亡くなった次男への想いと心の籠った挨拶。次男が亡くなった時にTkさんに随分支えられた。聞きながらほっとしたのが正直な気持ち。
外に出て日の光の中でフラワーシャワー。
セントレジス・クラウドナインチャペル。

直ぐ前は浜辺。

記念撮影を一杯して式はつつがなく終わる。
本人たちの希望でごく内輪の式だったが良い結婚式だった。
披露宴も和気あいあいの内に行われる。次男の席が用意してある。また涙ぐみそうになってしまう。Sさんは涙ぐみながら喜んでいる。
両方の家族が打ち解けて話す事が出来て大変良かった。
ピアノ伴奏つき。

Tkさんのお父さんの挨拶。少し寂しいと言う。次に私がTkさんに息子と一緒になって頂きありがたいと言うような挨拶。次女のご主人の挨拶。なかなか上手いスピーチ。
もういいだろうと上着の釦を外して食事。
二人は幸せ一杯。見ていてこちらも幸せ一杯になる。
つい調子に乗って我々の結婚40周年に結婚してくれて良かったと言って、おめでとうと拍手されてしまう。
終わった。良かったねえ、ほっとしたねえとSさんと話す。
着替えて、一休みしてから、散策に出かける。見慣れた景色も気のせいか輝いて見える。

蒲の穂。

浜で雀が砂浴び。

ほっとして浜辺を二人でゆっくり歩く。

向こうに寺院が見える。

ラグーンの珊瑚礁が波打つ。タンカーが行く。

この景色もあとわずかでおさらば。

幸せな二人。

アダンの実。

ハンモック。

プルメリア。

夜は息子から誘われて二人と食事。Tkさんの家族はショッピングに出かけたそうだ。
Tkさんから食べ過ぎよと言われながら、息子はぱくぱく食べる。お酒は珍しく飲まない。
良い一日だった。
朝食後に、服装の準備をする。Yシャツのカフス釦は、Sさんの飾りを着けるので豪華。息子もSさんの飾りを付けたので、衣装係の人に素敵なカフス釦ですねと言われたそうだ。
問題は、私の上着がはち切れないかである。上着は、水曜会の演奏会に着たもの。8年前に団長から譲り受けた。その時から昨年まではすんなり入ったが、今年の演奏会ははち切れそうだったとSさんが言う。演奏会後に痩せろ痩せろとしつこく言われてかなり痩せる。富士登山でも痩せたので、ばっちりと思ったが、バリ島に来て美味しいものばかり毎日食べたらまた太ってしまった。何とか、演奏会の時よりは様になって釦を嵌められた。Sさんから式の時はお腹をへこましてなさいと言われる。
Sさんはお気に入りの三宅一生もの。パールの首飾り。何時見ても素敵だねえ。
ロビーに行って、Tkさんのお母さんと妹さん夫妻と挨拶。お父さんは花嫁の付き添いの準備で既にでかけてる。
式場の待合室で待つ。(クリックすると拡大)

息子とTkさんが相談したらしくて、私たちの知らないうちに次男の遺影が用意されてた。次男の遺影をSさんが掲げる。優しい心遣いに涙ぐみそうになる。
式場に向かう。

セントレジス・クラウドナインチャペル。
息子が現れる。少し緊張してるがニコニコしっぱなし。
約3000個のプルメリアが敷き詰められたバージンロード。

Tkさんがお父さんにエスコートされてバージンロードを歩む。Tkさんは美しく輝いている。衣装は息子が選んだとか。聖歌隊の娘さんが歌う。
牧師が来場して結婚式が始まる。

スワロフスキーのシャンデリア。

牧師の挨拶、誓いの言葉、指輪交換、結婚証明書へのサイン、キャンドルへの点火、誓いのキス、結婚宣言。
息子が挨拶をする。Tkさんへの想い、家族への想い、亡くなった次男への想いと心の籠った挨拶。次男が亡くなった時にTkさんに随分支えられた。聞きながらほっとしたのが正直な気持ち。
外に出て日の光の中でフラワーシャワー。
セントレジス・クラウドナインチャペル。

直ぐ前は浜辺。

記念撮影を一杯して式はつつがなく終わる。
本人たちの希望でごく内輪の式だったが良い結婚式だった。
披露宴も和気あいあいの内に行われる。次男の席が用意してある。また涙ぐみそうになってしまう。Sさんは涙ぐみながら喜んでいる。
両方の家族が打ち解けて話す事が出来て大変良かった。
ピアノ伴奏つき。

Tkさんのお父さんの挨拶。少し寂しいと言う。次に私がTkさんに息子と一緒になって頂きありがたいと言うような挨拶。次女のご主人の挨拶。なかなか上手いスピーチ。
もういいだろうと上着の釦を外して食事。
二人は幸せ一杯。見ていてこちらも幸せ一杯になる。
つい調子に乗って我々の結婚40周年に結婚してくれて良かったと言って、おめでとうと拍手されてしまう。
終わった。良かったねえ、ほっとしたねえとSさんと話す。
着替えて、一休みしてから、散策に出かける。見慣れた景色も気のせいか輝いて見える。

蒲の穂。

浜で雀が砂浴び。

ほっとして浜辺を二人でゆっくり歩く。

向こうに寺院が見える。

ラグーンの珊瑚礁が波打つ。タンカーが行く。

この景色もあとわずかでおさらば。

幸せな二人。

アダンの実。

ハンモック。

プルメリア。

夜は息子から誘われて二人と食事。Tkさんの家族はショッピングに出かけたそうだ。
Tkさんから食べ過ぎよと言われながら、息子はぱくぱく食べる。お酒は珍しく飲まない。
良い一日だった。
アユン川渓谷とタナロット寺院
バリ3日目。今日は観光の日。
7時開始早々にレストランで朝食。おかゆがあった。
朝食後の散策。
睡蓮が咲いてる。(クリックすると拡大)

昨日泳いだプール。もう一回泳ぎたい。

お馴染みのブーゲンビリア。

ラグーン。

JTBオプショナルツアーに出かける。我々二人のみのゆったりツアー。
ガイドは、トウティさん。
日本語はここの日本語学校で学んだ。かなり流暢。都会育ちだが、御姑さんが弱ってきたら田舎に帰って面倒を見なければならないと言う。村の行事には参加出来ていないのでお金を払ってるそうだ。
最初にジェンガラケラミックに行く。インドネシアを代表する陶器のメーカー。「人気の秘密は*お花や葉っぱ、竹、虫、カエルなど自然のものをモチーフにしたかわいらしいデザイン *インドネシアをはじめ世界中から取り寄せた高品質の土を独自の配合でブレンドすることにより、強く扱いやすい製品 *約200種類の釉薬を使い分けることで表現された、温かく美しい色合い」だそうだ。
陶器大好き人間のSさんは盛んに物色する。

Sさんはショッピングは大好きだが、ほとんど買わない。陶器は一杯持ってるので、よほど気に入らないと買わないので安心して見ていられる。
やはりここでも見て楽しむだけだった。
芸術の村で宝石か織物かと聞かれて、織物とSさんが答える。
「ジャワが本場のジャワ更紗=バティック。ここバリ島でも、木綿や絹の布地に植物や動物・幾何学模様などの美しいモチーフを描き、ロウ描きして染め出している。」

お店で羽織ったりして時間をかけ熱心に見てるのでてっきり買うかと思ったら、気に入ったのはあったらしいが、買うまでは至らず。次のモンキーフォレスト通りの調べてきたお店にしようと思ったらしい。

なかなか買わないのはいじらしい。
次にお土産屋に入る。水曜会へのお土産のチョコを買う。辛いチリパウダーも買う。Sさんはお土産の石鹸などを買ってる。

昼食をとるロイヤルピタマハに入る。
渓谷に建てられたホテル。「ロイヤルピタマハはウブドをたゆみなく流れるアユン川に傾斜する広大な自然の中に建てられ、訪れる人々を魅了し続ける優雅なバリスタイルのヴィラです。自然に神々が宿ると信じられているウブドにあるこのリゾートで、都会の喧騒を忘れ、渓谷を渡る風に癒しを感じ、至福の時をお過ごしください。」
最上階のレストランからの眺めは絶景で思わずSさんと一緒に声を上げてしまった。

アユン川でライフティングをしてる。歓声が聞こえる。

下の階の団体客で混んでるため、なかなか食事が出てこない。その分、たっぷり渓谷美を堪能できた。

出てきた食事は美味しかった。お肉が美味しくてモリモリ食べてしまった。野菜もパンも食べてお腹一杯になったらアップルパイが出てきた。このアップルパイはアップルがたっぷりでSさんが美味しいわよと言う。私はお腹一杯で入らず、Sさんに半分以上あげてしまう。残念。
変わった猿の彫刻。

移動する車中でガイドさんからいろいろ話を聞く。
チャナンは毎日お供えする。「チャナンの置かれた風景が、バリをバリたらしめていると言っても過言ではないでしょう。椰子の葉で編まれた小さなお皿の中に、色とりどりの花・花・花。毎日つみたてのフレッシュな花々を、ふんだんに盛って、バリの女性達は、朝に夕に、この小さなすてきな供物を、神々に捧げます。」
「バリ・ヒンドゥー教の世界では、神々はいたるところに宿っており、家寺の中の各祠はもちろんのこと、各建物、台所、米倉、井戸、排水溝、門、車やバイクや自転車などの乗り物、ほんとうに、あるものすべてにお供え物をするのです!地面には「悪霊」という名の「神様」がおり、悪さをしないでくださいね、という願いをこめて、お供え物を置きます。」
「バリ島では、クディリ朝の支配下に入った11世紀初めごろからヒンドゥー・ジャワ文化の影響が及び始め、その後しばらくジャワの支配を離れるが、マジャパヒト(マジャパイト)王国がバリを征服した1343年以後、16世紀初めにジャワのイスラム化によって同王国が滅亡するまでにヒンドゥー化が広く浸透した。マジャパヒト王国滅亡時にジャワの貴族や僧侶が大挙してバリに亡命したためであり、現在のバリ人の大半はマジャパヒト王国民の末裔であると自負している。」
「バリ島のお正月ニュピ。ニュピ(Nyepi)とは、サカ暦の第10の月、サシー・カダソーの1日目に行われる行事で、この日は外出、労働、灯火の使用、殺生などが一切禁じられ、一日静かに瞑想し世の中の平和を神に祈る日です。」3月に行われる。
人口は350万人で6割が田舎に住んでいる。右手は清浄、左手は不浄。顔は神聖なので触ってはいけない。
北、東は神聖、南、西は不浄。洗濯ものはこちらに干す。
椰子の木は生活に必要。若い葉はお供え物に使う。実はジュース、熟すとオイル、木は柱や工芸品、枯れた葉は薪。お祭りは6か月ごとに行われる。お祭りの時のみ坊さんが来る。普段は普通の生活。
階級は名前でわかる。「バリ・ヒンドゥー教のカストは、以下の4つに分かれています。・ブラフマ:僧侶の階級・クシャトリア:王族・ウエシャ:貴族・スードロ:平民 バリ・ヒンドゥー教の人々の名前の頭に、階級ごとの称号が付きます。そのため、その人の正確な名前を聞けば、どの階級の人かわかるようになっています。」名前にファミリーの名はない。
インドネシア語が公用語だが、バリ語も使われてる。
オーストラリアから3時間で来るので、バリ島で生活してる人が多い。為替の関係で大金持ちになる。
墓地は共同。灰は海に流す。
2、3毛作。などなど。面白い話を一杯してくれた。
ゴア・ガジャ遺跡に到着。
「ゴア・ガジャは「象の遺跡」という意味なのですが、バリ島には象は生息しておらず、動物の象を指すだけではなく「大きいもの」も意味することから、「大きな洞窟」と名付けられたと考えられています。この遺跡は1923年にヨーロッパ人によって発見されましたが、11世紀に造られたものだと言われています。」
発見当時に見つかった遺跡の壊れた石が積み重ねられたもの。

沐浴場。6人の女神が彫刻されている。


「ゴア・ガジャは洞窟に大きな顔が彫り込まれていて、その口の部分から内部へ入ることができますが、発見当時はこの顔のほとんどは崩れ落ちており、残った部分で判別をすると、それは魔除けのための怪物のようにも見え、「魔女のランダ」や「ボマ」ではないかと考えられていました。」


「三位一体のヒンドゥー教の神を表す「リンガ・ヨニ」の石像が設置されています。そのヒンドゥーの三大神は、ブラフマ、ウィシュヌ、シヴァで、創造、繁栄、破壊、そして火、水、風の象徴。この「リンガ・ヨニ」の3つの石像は、それぞれが上下に分かれていて、上の丸い形をしたものが「リンガ」、下の四角い受け皿のようなものを「ヨニ」と呼び、「天と地」、「男と女」、「陰と陽」などのこの世に存在する相反する二極の事象を表現しています。また洞窟の壁には15の穴が掘られており、この穴の中で僧侶が瞑想を行ったり、眠ったりしたと言われています。」

日本でいう鐘突き堂。木の柱を叩く?

ウブドのモンキー・フォレスト通りへ入る。Sさんお目当てのブティックのお店を探す。地図で調べていろいろ聞いて回る。

散々探してやっとわかったのは一軒はつぶれて店じまいしてた。もう一軒はレストランに代わっていた。栄枯盛衰は激しい。ちょっと高めの高級感のある店だったらしいがつぶれてしまった。
暑い中通りを右に左に歩いたので汗びっしょりになる。

あきらめて待ち合わせ場所のウブド王宮に向かう。

ここでトイレに入ったら有料でお金を持ってないのであわてたら、Sさんが走ってお金を渡してくれた。
移動する車中から見るオートバイ。10年前に来た時よりはバイクが減って車が増えてるが、神風運転で怖い。信号がほとんどないので曲がる時はひやっとする。子供を前後に乗せているお母さんもいる。

タナロット寺院に向かう。
凄い人気。こちらはタナロット寺院ではないがなかなか良い。

タナロット寺院。「16世紀にジャワの高僧ダン・ヒャン・ニラルタがこの地を訪れ、この景観こそ神々が降臨するにふさわしい場所として、村人に海の守護神を祀る寺院を建てるよう勧めたのがはじまるという。」
干潮時には陸続きとなり、歩いて渡ることができる。今は乾季なので何時も渡れるようだ。


10年前にインドネシア駐在してたTdさんの案内でWtさん、Ogさんと来たゴルフ場が見える。

夕日が落ちてくるのをじっと待つ。30分近く待って落ちてきた。


実に美しい。思わず亡くなった次男の事を祈ってしまう。

夕食はインドネシア料理。ガイドさんから辛いですよと言われたので期待したが、日本人向きに甘くなっており、いまいち。雰囲気は良かったが。

ガイドさんと別れてホテルに戻る。
戻ったら息子から明日の集合時間を連絡してきた。
明日は息子の結婚式だ。
7時開始早々にレストランで朝食。おかゆがあった。
朝食後の散策。
睡蓮が咲いてる。(クリックすると拡大)

昨日泳いだプール。もう一回泳ぎたい。

お馴染みのブーゲンビリア。

ラグーン。

JTBオプショナルツアーに出かける。我々二人のみのゆったりツアー。
ガイドは、トウティさん。
日本語はここの日本語学校で学んだ。かなり流暢。都会育ちだが、御姑さんが弱ってきたら田舎に帰って面倒を見なければならないと言う。村の行事には参加出来ていないのでお金を払ってるそうだ。
最初にジェンガラケラミックに行く。インドネシアを代表する陶器のメーカー。「人気の秘密は*お花や葉っぱ、竹、虫、カエルなど自然のものをモチーフにしたかわいらしいデザイン *インドネシアをはじめ世界中から取り寄せた高品質の土を独自の配合でブレンドすることにより、強く扱いやすい製品 *約200種類の釉薬を使い分けることで表現された、温かく美しい色合い」だそうだ。
陶器大好き人間のSさんは盛んに物色する。

Sさんはショッピングは大好きだが、ほとんど買わない。陶器は一杯持ってるので、よほど気に入らないと買わないので安心して見ていられる。
やはりここでも見て楽しむだけだった。
芸術の村で宝石か織物かと聞かれて、織物とSさんが答える。
「ジャワが本場のジャワ更紗=バティック。ここバリ島でも、木綿や絹の布地に植物や動物・幾何学模様などの美しいモチーフを描き、ロウ描きして染め出している。」

お店で羽織ったりして時間をかけ熱心に見てるのでてっきり買うかと思ったら、気に入ったのはあったらしいが、買うまでは至らず。次のモンキーフォレスト通りの調べてきたお店にしようと思ったらしい。

なかなか買わないのはいじらしい。
次にお土産屋に入る。水曜会へのお土産のチョコを買う。辛いチリパウダーも買う。Sさんはお土産の石鹸などを買ってる。

昼食をとるロイヤルピタマハに入る。
渓谷に建てられたホテル。「ロイヤルピタマハはウブドをたゆみなく流れるアユン川に傾斜する広大な自然の中に建てられ、訪れる人々を魅了し続ける優雅なバリスタイルのヴィラです。自然に神々が宿ると信じられているウブドにあるこのリゾートで、都会の喧騒を忘れ、渓谷を渡る風に癒しを感じ、至福の時をお過ごしください。」
最上階のレストランからの眺めは絶景で思わずSさんと一緒に声を上げてしまった。

アユン川でライフティングをしてる。歓声が聞こえる。

下の階の団体客で混んでるため、なかなか食事が出てこない。その分、たっぷり渓谷美を堪能できた。

出てきた食事は美味しかった。お肉が美味しくてモリモリ食べてしまった。野菜もパンも食べてお腹一杯になったらアップルパイが出てきた。このアップルパイはアップルがたっぷりでSさんが美味しいわよと言う。私はお腹一杯で入らず、Sさんに半分以上あげてしまう。残念。
変わった猿の彫刻。

移動する車中でガイドさんからいろいろ話を聞く。
チャナンは毎日お供えする。「チャナンの置かれた風景が、バリをバリたらしめていると言っても過言ではないでしょう。椰子の葉で編まれた小さなお皿の中に、色とりどりの花・花・花。毎日つみたてのフレッシュな花々を、ふんだんに盛って、バリの女性達は、朝に夕に、この小さなすてきな供物を、神々に捧げます。」
「バリ・ヒンドゥー教の世界では、神々はいたるところに宿っており、家寺の中の各祠はもちろんのこと、各建物、台所、米倉、井戸、排水溝、門、車やバイクや自転車などの乗り物、ほんとうに、あるものすべてにお供え物をするのです!地面には「悪霊」という名の「神様」がおり、悪さをしないでくださいね、という願いをこめて、お供え物を置きます。」
「バリ島では、クディリ朝の支配下に入った11世紀初めごろからヒンドゥー・ジャワ文化の影響が及び始め、その後しばらくジャワの支配を離れるが、マジャパヒト(マジャパイト)王国がバリを征服した1343年以後、16世紀初めにジャワのイスラム化によって同王国が滅亡するまでにヒンドゥー化が広く浸透した。マジャパヒト王国滅亡時にジャワの貴族や僧侶が大挙してバリに亡命したためであり、現在のバリ人の大半はマジャパヒト王国民の末裔であると自負している。」
「バリ島のお正月ニュピ。ニュピ(Nyepi)とは、サカ暦の第10の月、サシー・カダソーの1日目に行われる行事で、この日は外出、労働、灯火の使用、殺生などが一切禁じられ、一日静かに瞑想し世の中の平和を神に祈る日です。」3月に行われる。
人口は350万人で6割が田舎に住んでいる。右手は清浄、左手は不浄。顔は神聖なので触ってはいけない。
北、東は神聖、南、西は不浄。洗濯ものはこちらに干す。
椰子の木は生活に必要。若い葉はお供え物に使う。実はジュース、熟すとオイル、木は柱や工芸品、枯れた葉は薪。お祭りは6か月ごとに行われる。お祭りの時のみ坊さんが来る。普段は普通の生活。
階級は名前でわかる。「バリ・ヒンドゥー教のカストは、以下の4つに分かれています。・ブラフマ:僧侶の階級・クシャトリア:王族・ウエシャ:貴族・スードロ:平民 バリ・ヒンドゥー教の人々の名前の頭に、階級ごとの称号が付きます。そのため、その人の正確な名前を聞けば、どの階級の人かわかるようになっています。」名前にファミリーの名はない。
インドネシア語が公用語だが、バリ語も使われてる。
オーストラリアから3時間で来るので、バリ島で生活してる人が多い。為替の関係で大金持ちになる。
墓地は共同。灰は海に流す。
2、3毛作。などなど。面白い話を一杯してくれた。
ゴア・ガジャ遺跡に到着。
「ゴア・ガジャは「象の遺跡」という意味なのですが、バリ島には象は生息しておらず、動物の象を指すだけではなく「大きいもの」も意味することから、「大きな洞窟」と名付けられたと考えられています。この遺跡は1923年にヨーロッパ人によって発見されましたが、11世紀に造られたものだと言われています。」
発見当時に見つかった遺跡の壊れた石が積み重ねられたもの。

沐浴場。6人の女神が彫刻されている。


「ゴア・ガジャは洞窟に大きな顔が彫り込まれていて、その口の部分から内部へ入ることができますが、発見当時はこの顔のほとんどは崩れ落ちており、残った部分で判別をすると、それは魔除けのための怪物のようにも見え、「魔女のランダ」や「ボマ」ではないかと考えられていました。」


「三位一体のヒンドゥー教の神を表す「リンガ・ヨニ」の石像が設置されています。そのヒンドゥーの三大神は、ブラフマ、ウィシュヌ、シヴァで、創造、繁栄、破壊、そして火、水、風の象徴。この「リンガ・ヨニ」の3つの石像は、それぞれが上下に分かれていて、上の丸い形をしたものが「リンガ」、下の四角い受け皿のようなものを「ヨニ」と呼び、「天と地」、「男と女」、「陰と陽」などのこの世に存在する相反する二極の事象を表現しています。また洞窟の壁には15の穴が掘られており、この穴の中で僧侶が瞑想を行ったり、眠ったりしたと言われています。」

日本でいう鐘突き堂。木の柱を叩く?

ウブドのモンキー・フォレスト通りへ入る。Sさんお目当てのブティックのお店を探す。地図で調べていろいろ聞いて回る。

散々探してやっとわかったのは一軒はつぶれて店じまいしてた。もう一軒はレストランに代わっていた。栄枯盛衰は激しい。ちょっと高めの高級感のある店だったらしいがつぶれてしまった。
暑い中通りを右に左に歩いたので汗びっしょりになる。

あきらめて待ち合わせ場所のウブド王宮に向かう。

ここでトイレに入ったら有料でお金を持ってないのであわてたら、Sさんが走ってお金を渡してくれた。
移動する車中から見るオートバイ。10年前に来た時よりはバイクが減って車が増えてるが、神風運転で怖い。信号がほとんどないので曲がる時はひやっとする。子供を前後に乗せているお母さんもいる。

タナロット寺院に向かう。
凄い人気。こちらはタナロット寺院ではないがなかなか良い。

タナロット寺院。「16世紀にジャワの高僧ダン・ヒャン・ニラルタがこの地を訪れ、この景観こそ神々が降臨するにふさわしい場所として、村人に海の守護神を祀る寺院を建てるよう勧めたのがはじまるという。」
干潮時には陸続きとなり、歩いて渡ることができる。今は乾季なので何時も渡れるようだ。


10年前にインドネシア駐在してたTdさんの案内でWtさん、Ogさんと来たゴルフ場が見える。

夕日が落ちてくるのをじっと待つ。30分近く待って落ちてきた。


実に美しい。思わず亡くなった次男の事を祈ってしまう。

夕食はインドネシア料理。ガイドさんから辛いですよと言われたので期待したが、日本人向きに甘くなっており、いまいち。雰囲気は良かったが。

ガイドさんと別れてホテルに戻る。
戻ったら息子から明日の集合時間を連絡してきた。
明日は息子の結婚式だ。
バリ島でくつろぐ
鳥の声が凄ましく目覚める。Sさんもほぼ同時に起きる。
部屋から眺めた景色。(クリックすると拡大)奥に見える池は工事中。こちらにもヴィラを拡大するんではとSさんが言う。

レストランのボネカで朝食。バイキング。つい取り過ぎる。

人形が飾ってある。

Tkさんのご両親もお見えになる。
食後の散策に出かける。
9ヘクタールの緑豊かな庭園に向かう。Sさんは備え付けの日傘を借りる。

Sさんは角笛みたいなのはセンスないと言う。

水は流れ続けてる。からっとした空気で気持ちが良い。日差しは強いが風があり心地良い。

この先に専用ビーチがある。

ディエゴの花。

何だろう。

プールが見えてきた。早速後から泳ごう。Sさんが手を突っ込んでそれ程冷たくないと言う。

ヌサドゥアビーチへ出た。

珊瑚礁に囲まれてるラグーン。

この奥にもプールがあるみたい。後で泳ごうとSさんと話す。

プルメリア。

ボートが置いてある。

ハマユウ。

アダンの実だとSさんが叫ぶ。

ビーチの散策は気持ちが良い。長い砂浜が続く。

専用ビーチの向こうでは子供たちが遊んでる。

子供たちの遊んでる空には凧が待ってる。最初は鳥かと思った。

凧上げは盛んで、車で運ぶくらいの大きな凧も上げるそうだ。村対抗の凧揚げ大会も盛んだとか。

専用ビーチの境にヒンズー教の寺院があり、御供物が捧げてあった。

蘭みたいな花だが。

トロピカルパークに入る。
ファイヤークラッカー。

お馴染みのバナナ。

デリマ?実がなってる。

蘭が一杯。





彼岸花系統かな?

?

極楽鳥花。

沖縄の植物園で見たことがある。

部屋に戻って、少し休んでから、着替えてプールに出かける。
プールでの着替えはどこかと聞いたらトイレと言うのでそこで着替える。広いので何の問題もない。タオルはタオルボーイに借りる。
早速、泳ぎに出る。

ヴィラから直接入れるようになっていて、ヴィラに沿って延々と続いてる。ちょっとジャングルの中を泳いでるような感じで気持ちが良い。海水プール。
どこまで続くかと泳いで行ったら、200mはゆうにある。これはいいやと喜んで端から端まで泳ぐ。プールに入ってる人はちらほらいるが泳いでるのは我々二人くらい。これは最高。水深1.3mで水は澄んでいてキラキラしてる。クロールで泳ぐと青いプールの底と、顔を上げた時の椰子の葉とか青い空が見えて桃源郷とはこのことかと思うくらい。1往復で400m位あるので、2往復位する。
Sさんが休もうと、途中にある島?に立ち寄る。そこビーチチェアがあり、タオルをひいて寝転がる。実に爽快。しばらく休んだら、Sさんがひきあげると言う。もう1往復すると1000mを超えるので、もう一往復しようよと言って泳ぐ。1時間以上楽しんで引き上げる。シャワーの場所がわからず(後で場所が分かったが)塩気でべたべたしたまま部屋に帰るのが難色。
部屋に帰って、シャワーを浴びてさっぱりする。
疲れが出て昼寝。
Sさんにアフタヌーンティーに行こうと起こされる。
珈琲を頼んでくつろぐ。

サンドイッチや菓子パンみたいなのがあるので昼食はこれで済ます。
楽器は常に奏でられている。

部屋に戻ったら、息子から私たちへの手紙が来ていた。私の事を良いも悪いも良く観察して書いてる。感謝の言葉がちりばめられてるのでこそばゆくなる。Sさんも息子からの手紙を読んでる。
亡くなった次男への手紙もあったので、読む。涙が出てきた。長男の悲しみは大変深かった。仲の良い兄弟だった。Tkさんの事を次男に報告してる。一緒に祝って欲しかったと書いてある。
長男とTkさんは到着したようで、電話があり、夕食を一緒することになる。
火の舞を食事前に見物。

両家のお互いの挨拶で食事が始まる。息子は大変うれしそうで顔がほころびっぱなしである。幸せそうな二人を見てるとこちらもずっと微笑んでしまう。会話も弾み、お酒もつい飲み過ぎてしまった。心地よい。
食事をしながらバリの踊りを見物。
Baris(バリス)。

「魅惑的な目の表情、繊細な指の動き。豪華な衣装に身を包み、緩急自在のきらびやかなガムランの旋律にのって、時に優美に、時に野生的に踊られるバリ舞踊。華麗で神秘的なバリ舞踊は、その高い芸術性を世界的に評価され、頻繁に海外公演がなされていますが、本来は、バリ・ヒンズー教の宗教儀礼の中で踊られる神聖な舞踊でした。 16~19世紀にかけて、王や貴族に愛でられる舞踊として洗練されていき、鑑賞用の舞台芸術として発展を遂げるのですが、今でもバリの人々にとっては、「踊りとは神様に捧げるもの」。 現在でも、寺院の祭礼や儀礼の際に奉納舞として踊られ、神や祖霊を慰めると同時に、人々の娯楽として素朴に親しまれています。」

トリの踊り。Sさんが大喝采。
クビャール ドゥドゥック。「ドゥドゥッ(duduk)は座るという意味で、 この舞踊は、そのほとんどのパートが座った体勢で踊られます。ガムランの音に合わせて、座ったままの姿勢で回転したり、すばしこく動き回っていますが、 実はこの時、両足はスネの部分で交差されており、かなりの痛みを伴うようです。座位のある舞踊は、 足の甲やくるぶしがタコだらけになるんですが、このクビャール・ドゥドゥックは、それに加えて向こう脛・・・いわゆる弁慶の泣き所にも負担を掛けて踊るんです。」

ホテルで踊る踊り手は踊りの学校で習っている学生のアルバイトが多いそうだ。
食事が終わってから二人の案内で、泊ってるヴィラを見学。
花一杯のお風呂。どうやって入るんだろう。

幸せ一杯。
部屋から眺めた景色。(クリックすると拡大)奥に見える池は工事中。こちらにもヴィラを拡大するんではとSさんが言う。

レストランのボネカで朝食。バイキング。つい取り過ぎる。

人形が飾ってある。

Tkさんのご両親もお見えになる。
食後の散策に出かける。
9ヘクタールの緑豊かな庭園に向かう。Sさんは備え付けの日傘を借りる。

Sさんは角笛みたいなのはセンスないと言う。

水は流れ続けてる。からっとした空気で気持ちが良い。日差しは強いが風があり心地良い。

この先に専用ビーチがある。

ディエゴの花。

何だろう。

プールが見えてきた。早速後から泳ごう。Sさんが手を突っ込んでそれ程冷たくないと言う。

ヌサドゥアビーチへ出た。

珊瑚礁に囲まれてるラグーン。

この奥にもプールがあるみたい。後で泳ごうとSさんと話す。

プルメリア。

ボートが置いてある。

ハマユウ。

アダンの実だとSさんが叫ぶ。

ビーチの散策は気持ちが良い。長い砂浜が続く。

専用ビーチの向こうでは子供たちが遊んでる。

子供たちの遊んでる空には凧が待ってる。最初は鳥かと思った。

凧上げは盛んで、車で運ぶくらいの大きな凧も上げるそうだ。村対抗の凧揚げ大会も盛んだとか。

専用ビーチの境にヒンズー教の寺院があり、御供物が捧げてあった。

蘭みたいな花だが。

トロピカルパークに入る。
ファイヤークラッカー。

お馴染みのバナナ。

デリマ?実がなってる。

蘭が一杯。





彼岸花系統かな?

?

極楽鳥花。

沖縄の植物園で見たことがある。

部屋に戻って、少し休んでから、着替えてプールに出かける。
プールでの着替えはどこかと聞いたらトイレと言うのでそこで着替える。広いので何の問題もない。タオルはタオルボーイに借りる。
早速、泳ぎに出る。

ヴィラから直接入れるようになっていて、ヴィラに沿って延々と続いてる。ちょっとジャングルの中を泳いでるような感じで気持ちが良い。海水プール。
どこまで続くかと泳いで行ったら、200mはゆうにある。これはいいやと喜んで端から端まで泳ぐ。プールに入ってる人はちらほらいるが泳いでるのは我々二人くらい。これは最高。水深1.3mで水は澄んでいてキラキラしてる。クロールで泳ぐと青いプールの底と、顔を上げた時の椰子の葉とか青い空が見えて桃源郷とはこのことかと思うくらい。1往復で400m位あるので、2往復位する。
Sさんが休もうと、途中にある島?に立ち寄る。そこビーチチェアがあり、タオルをひいて寝転がる。実に爽快。しばらく休んだら、Sさんがひきあげると言う。もう1往復すると1000mを超えるので、もう一往復しようよと言って泳ぐ。1時間以上楽しんで引き上げる。シャワーの場所がわからず(後で場所が分かったが)塩気でべたべたしたまま部屋に帰るのが難色。
部屋に帰って、シャワーを浴びてさっぱりする。
疲れが出て昼寝。
Sさんにアフタヌーンティーに行こうと起こされる。
珈琲を頼んでくつろぐ。

サンドイッチや菓子パンみたいなのがあるので昼食はこれで済ます。
楽器は常に奏でられている。

部屋に戻ったら、息子から私たちへの手紙が来ていた。私の事を良いも悪いも良く観察して書いてる。感謝の言葉がちりばめられてるのでこそばゆくなる。Sさんも息子からの手紙を読んでる。
亡くなった次男への手紙もあったので、読む。涙が出てきた。長男の悲しみは大変深かった。仲の良い兄弟だった。Tkさんの事を次男に報告してる。一緒に祝って欲しかったと書いてある。
長男とTkさんは到着したようで、電話があり、夕食を一緒することになる。
火の舞を食事前に見物。

両家のお互いの挨拶で食事が始まる。息子は大変うれしそうで顔がほころびっぱなしである。幸せそうな二人を見てるとこちらもずっと微笑んでしまう。会話も弾み、お酒もつい飲み過ぎてしまった。心地よい。
食事をしながらバリの踊りを見物。
Baris(バリス)。

「魅惑的な目の表情、繊細な指の動き。豪華な衣装に身を包み、緩急自在のきらびやかなガムランの旋律にのって、時に優美に、時に野生的に踊られるバリ舞踊。華麗で神秘的なバリ舞踊は、その高い芸術性を世界的に評価され、頻繁に海外公演がなされていますが、本来は、バリ・ヒンズー教の宗教儀礼の中で踊られる神聖な舞踊でした。 16~19世紀にかけて、王や貴族に愛でられる舞踊として洗練されていき、鑑賞用の舞台芸術として発展を遂げるのですが、今でもバリの人々にとっては、「踊りとは神様に捧げるもの」。 現在でも、寺院の祭礼や儀礼の際に奉納舞として踊られ、神や祖霊を慰めると同時に、人々の娯楽として素朴に親しまれています。」

トリの踊り。Sさんが大喝采。
クビャール ドゥドゥック。「ドゥドゥッ(duduk)は座るという意味で、 この舞踊は、そのほとんどのパートが座った体勢で踊られます。ガムランの音に合わせて、座ったままの姿勢で回転したり、すばしこく動き回っていますが、 実はこの時、両足はスネの部分で交差されており、かなりの痛みを伴うようです。座位のある舞踊は、 足の甲やくるぶしがタコだらけになるんですが、このクビャール・ドゥドゥックは、それに加えて向こう脛・・・いわゆる弁慶の泣き所にも負担を掛けて踊るんです。」

ホテルで踊る踊り手は踊りの学校で習っている学生のアルバイトが多いそうだ。
食事が終わってから二人の案内で、泊ってるヴィラを見学。
花一杯のお風呂。どうやって入るんだろう。

幸せ一杯。
バリ島へ
バリ島へ出発。長男の結婚式が23日にある。家族だけの結婚式。
早めについたので、JTBで手続きをした後、空港ラウンジサービスを利用して、ラウンジでのんびり。ワインが美味い。相手のご両親とお会いして挨拶。
ガルーダ・インドネシア航空のガルーダへの直行便。本航空ではビザが機内で発行できるので便利。出発が1時間近く遅れる。
機内で、トムクルーズの「オブリビオン」、大泉洋の「探偵はバーにいる」を見る。
時差1時間で7時間かかってデンバサールに到着。
思ったより暑くない。日本の方が暑いくらい。
JTBのガイドに、海鮮料理屋に連れて行かれる。
お店の巨大な金魚。(クリックすると拡大)

泳いでる魚を選ぶスタイルなので、Sさんと夫人に選択をお願いする。
貝、海老、魚料理や空芯菜(クウシンサイ)。
Sさんが貝料理の貝が半分しかないとクレーム。貝の数は半分だが、殻の両側に貝が入ってるので間違いないとの説明。Sさんは納得しなかったが、もうそこらへんでと引き取らせた。(しかし後で検証すると、一個の貝を半分に切って両側の殻に入れた可能性もあり、Sさんのクレームもあながち間違ってなかったみたい。)
バリダンスの準備をしてる。

料理はまあまあ美味しい。地ビールを飲んで良い気持ちになる。
海岸の砂浜での食事なので南国的。火の踊りが始まったが時間が来たので帰る。
ホテルはザ セントレジス バリ リゾート。
ロビーにて。

部屋はスウィート。廣い豪華なのでSさんと歓声を上げる。


荷物をほどいてセーフティボックスを使ったら開かなくなってしまった。あわててフロントにお願いする。セキュリティ担当が到着して、いろいろ調べたが問題なし。クリアしてボックスを開ける。セキュリティ担当が帰ってから、ロックして暗証番号を入れたらまた開かなくなった。再びセキュリティ担当に来てもらう。今度はにやっと笑って直ぐに開けてくれた。見てる前でやってみろと言うので操作したら、最初にクリア(キャンセルだったかも)が必要だった。今度は上手くいく。やれやれ。
Sさんもドキドキしたと言い、どっと疲れが出たので、バスに使って体をほぐす。
爆睡。
早めについたので、JTBで手続きをした後、空港ラウンジサービスを利用して、ラウンジでのんびり。ワインが美味い。相手のご両親とお会いして挨拶。
ガルーダ・インドネシア航空のガルーダへの直行便。本航空ではビザが機内で発行できるので便利。出発が1時間近く遅れる。
機内で、トムクルーズの「オブリビオン」、大泉洋の「探偵はバーにいる」を見る。
時差1時間で7時間かかってデンバサールに到着。
思ったより暑くない。日本の方が暑いくらい。
JTBのガイドに、海鮮料理屋に連れて行かれる。
お店の巨大な金魚。(クリックすると拡大)

泳いでる魚を選ぶスタイルなので、Sさんと夫人に選択をお願いする。
貝、海老、魚料理や空芯菜(クウシンサイ)。
Sさんが貝料理の貝が半分しかないとクレーム。貝の数は半分だが、殻の両側に貝が入ってるので間違いないとの説明。Sさんは納得しなかったが、もうそこらへんでと引き取らせた。(しかし後で検証すると、一個の貝を半分に切って両側の殻に入れた可能性もあり、Sさんのクレームもあながち間違ってなかったみたい。)
バリダンスの準備をしてる。

料理はまあまあ美味しい。地ビールを飲んで良い気持ちになる。
海岸の砂浜での食事なので南国的。火の踊りが始まったが時間が来たので帰る。
ホテルはザ セントレジス バリ リゾート。
ロビーにて。

部屋はスウィート。廣い豪華なのでSさんと歓声を上げる。


荷物をほどいてセーフティボックスを使ったら開かなくなってしまった。あわててフロントにお願いする。セキュリティ担当が到着して、いろいろ調べたが問題なし。クリアしてボックスを開ける。セキュリティ担当が帰ってから、ロックして暗証番号を入れたらまた開かなくなった。再びセキュリティ担当に来てもらう。今度はにやっと笑って直ぐに開けてくれた。見てる前でやってみろと言うので操作したら、最初にクリア(キャンセルだったかも)が必要だった。今度は上手くいく。やれやれ。
Sさんもドキドキしたと言い、どっと疲れが出たので、バスに使って体をほぐす。
爆睡。
バリ島への準備
庭のハナトラノオ(花虎の尾)。(クリックすると拡大)

朝顔。

瑠璃茉莉(るりまつり)。

筋肉痛が収まって来た。バリ島に行く準備をする。
式用の上下と靴。普段用のビーチサンダル、水着、下着類、寝間着。ブレザーがいるかもとSさんが入れる。洗面道具。梅干し、醤油など。大きなスーツケースとSさんの中くらいのスーツケースで行くが、中身はがらがら。
パッキングはSさんのお任せ。
大門通信句会の句を捻る。気持ちが乗ってこないのでなかなか出来ない。
兼題は「秋の虫」「墓参」「音」「こんな」。かなり時間をかけたが、句の心境にならず。Sさんに見せるまでいかず、時間切れで投句。
何時もは庭の草花は自動給水機をセットするのだが、今回はSさんが生協を通じて購入したバケツ(またはペットボトル)から水を給水する道具を30数個購入し、それをセット。Sさんは事前にどれぐらい持つか試して、バケツから何個給水できるか確認してる。バケツは百円ショップで購入。自動給水器は間違いないが、プランターや鉢に給水のホースから行き渡るようにセットするのが一苦労。今回上手くいけば、この方法に切り替えたい。
Sさんとの結婚40周年の年に長男が結婚してくれて嬉しい。昨年は悲しいことがあったが、今年は長男のお蔭で救われた。相手の方も息子には過ぎたる方で息子は幸せである。

朝顔。

瑠璃茉莉(るりまつり)。

筋肉痛が収まって来た。バリ島に行く準備をする。
式用の上下と靴。普段用のビーチサンダル、水着、下着類、寝間着。ブレザーがいるかもとSさんが入れる。洗面道具。梅干し、醤油など。大きなスーツケースとSさんの中くらいのスーツケースで行くが、中身はがらがら。
パッキングはSさんのお任せ。
大門通信句会の句を捻る。気持ちが乗ってこないのでなかなか出来ない。
兼題は「秋の虫」「墓参」「音」「こんな」。かなり時間をかけたが、句の心境にならず。Sさんに見せるまでいかず、時間切れで投句。
何時もは庭の草花は自動給水機をセットするのだが、今回はSさんが生協を通じて購入したバケツ(またはペットボトル)から水を給水する道具を30数個購入し、それをセット。Sさんは事前にどれぐらい持つか試して、バケツから何個給水できるか確認してる。バケツは百円ショップで購入。自動給水器は間違いないが、プランターや鉢に給水のホースから行き渡るようにセットするのが一苦労。今回上手くいけば、この方法に切り替えたい。
Sさんとの結婚40周年の年に長男が結婚してくれて嬉しい。昨年は悲しいことがあったが、今年は長男のお蔭で救われた。相手の方も息子には過ぎたる方で息子は幸せである。
筋肉痛
庭の杜鵑草(ほととぎす)。(クリックすると拡大)

ヤブラン(藪蘭)。

ハナトラノオ(花虎の尾)。水を良く吸う花だ。

サーモンピンクセージ。

ポンテテリア。

富士登山の筋肉痛が激しい。階段の上がり降りが痛くて手すりにつかまってひょこひょこ歩く。
疲れもどっと出て、ぐぐっと寝てしまい、二日分も寝た感じ。
明後日から、息子の結婚式でバリ島に行くので、準備せねばならないが、まだ何もしてない。Sさんはもう揃え終わってる。
私は、黒い上着が着れない可能性があるので確認をする。演奏会の時に着たら、お腹が出たせいかぽんぽこりんだった。Sさんからお腹をへこます体操を毎日やらされた。富士登山で1k以上痩せたので大丈夫だろう。Yシャツを着てカフスボタンをつけ、蝶ネクタイをする。上着はかすかすセーフ。式の時はお腹へこますのよとsさんに厳命される。この上着は水曜会に入った時に団長から譲り受けたもの。団長は入らないと言っていたが、8年前の私は楽々入った。体重はそれほど増えてないので、お腹がたるんできたんだろう。
カフスボタンは、Sさんの装飾品を借用したので、超カッコイイ。長男にも同系統のを与えたそうだ。
準備をノロノロ始めたが、筋肉痛が我慢できず、明日に伸ばす。
通信句会の俳句もまだ手付かずだし。明日だ明日だ。

ヤブラン(藪蘭)。

ハナトラノオ(花虎の尾)。水を良く吸う花だ。

サーモンピンクセージ。

ポンテテリア。

富士登山の筋肉痛が激しい。階段の上がり降りが痛くて手すりにつかまってひょこひょこ歩く。
疲れもどっと出て、ぐぐっと寝てしまい、二日分も寝た感じ。
明後日から、息子の結婚式でバリ島に行くので、準備せねばならないが、まだ何もしてない。Sさんはもう揃え終わってる。
私は、黒い上着が着れない可能性があるので確認をする。演奏会の時に着たら、お腹が出たせいかぽんぽこりんだった。Sさんからお腹をへこます体操を毎日やらされた。富士登山で1k以上痩せたので大丈夫だろう。Yシャツを着てカフスボタンをつけ、蝶ネクタイをする。上着はかすかすセーフ。式の時はお腹へこますのよとsさんに厳命される。この上着は水曜会に入った時に団長から譲り受けたもの。団長は入らないと言っていたが、8年前の私は楽々入った。体重はそれほど増えてないので、お腹がたるんできたんだろう。
カフスボタンは、Sさんの装飾品を借用したので、超カッコイイ。長男にも同系統のを与えたそうだ。
準備をノロノロ始めたが、筋肉痛が我慢できず、明日に伸ばす。
通信句会の俳句もまだ手付かずだし。明日だ明日だ。
富士山頂御来光
午前1時半にご来光に出発する登山者のために点灯。早速準備に取り掛かる。気温は5℃前後と思われるが登るのだからとダウンジャケットを着ずにウィンドブレーカーにする。下着はヒートテック。手袋とヘッドランプをつける。(クリックすると拡大)

8合目を2時に出発。ここからは行列。時々、渋滞で止まるのでなかなか先に進まない。

途中、高山病になって進めない人やあきらめて降りる人が出てくる。特に子供とアジア系外国人の団体で多いような気がする。
Kmさんが気持ちが悪くなり立ち止まる。KmさんにToさんと後詰Nkさんがつく。Nzさんは元気。
9合目3460mに到着。2時44分。Kmさんが相当にきつそうなのでNzさんがKmさんのザックを背負う。私は寒くなってダウンジャケットを羽織る。

9合5勺の胸突山荘に着く。Kmさん達は大幅に遅れる。Khさん、Nzさんと一緒。Nzさんはザックを二重に背負っても元気。3時45分。

やっと頂上到着。ご来光の場所を探して奥へ進む。Nkさん、Nzさんだけとなる。まあその内、会うだろう。
朝焼けが美しい。4時39分。

色鮮やかになる。

下に山中湖が見える。

御来光直前。

御来光だ。5時6分。

見とれてしまう。神々しい。

御来光直前に他のメンバと合流。全員揃う。NzさんはKmさんのザックをしょって、さすがに疲れが出てきたので、再びKmさんに戻す。Kmさんは歩くのは遅くなったが、元気は出てきたみたい。
山中湖の周辺はもやがかかっている。

向こうに剣ヶ峰が見えるが、Khリーダーはお鉢を右回りして山小屋で食事しようと言う。

次第にお鉢の中まで日がさしてくる。剣ヶ峰(富士山特別地域気象観測所)が見える。虎岩があるはずだがどれだかわからず。

山梨県側の山小屋が見えてきた。5時37分。

ここをぐるっと回るのがお鉢巡り。

富士山頂上奥宮。6時16分。

下からぞくぞくと登ってくる。樹海も下に見える。

吉田口から登ってきた人たち。

山小屋に入ってラーメンを食べる。インスタントだった。

ピンバッジを買って帽子に付ける。登頂した日を刻印してくれた。
南アルプスが見える。

八ヶ岳。

お鉢の底に入る。何時の間にか、KhさんとNzさんだけとなり、後続はKmさんをサポートして遅れる。Nkさんがついてるから大丈夫だろう。
金明水。「雪解け水が湧き水として出ていた所。山頂に出る貴重な水ということで祭られていた。明治から昭和初期までは登山者にふるまわれていたらしいが、現在は枯渇している?」6時35分。

お鉢の底を歩く。

団体さんとすれ違う。

釈迦の割石「右部分の高い場所が白山岳。その角張った崖の部分が「釈迦の割石」という風流な名前で呼ばれている部分です。白山岳は昔、釈迦ガ岳と呼ばれていたので、それで「釈迦の割石」と呼ぶのだと思います。」

雲海の上。左が南アルプス、その右が八ヶ岳。


剣ヶ峰への登り。

くたびれて休んでる人も多い。朝早いからなあ。

見飽きない。

影富士。

もうすぐ馬の背。

剣ヶ峰からの眺め。

剣ヶ峰へは行列。

火口棚。

富士山頂三角点。3775.63m。7時35分。

「1999年にレーダー観測が廃止され、レーダードームは2001年9月に撤去された。」

剣ヶ峰からの眺めは良い。遠方は南アルプス。

北アルプスと思う。

Kmさん達が到着。Kmさんはかなり疲れていて、腰かけてお休み。頑張ったからね。
Kmさんの回復を待って出発。後は降りるのみ。8時。
もう剣ヶ峰があんなに向こうだ。

富士山頂奥宮。「富士宮口の山頂にある奥宮。主祭神はコノハナサクヤ姫という美しく、そして情熱的な性格の女神様。古事記では夫のニニギノミコトに妊娠した子供が本当に自分の子供なのかと疑われて、それを証明するために産室に火をつけて燃えさかる炎の中で出産したというからすさまじい。」
ここで70歳以上の人はお土産が出るとKhさんに教えて貰い申し込んだら、お祓いした扇子とお神酒をかわらけで頂く。

富士山頂郵便局。Khさんが登頂記念の絵葉書を買ってくれた。Ikさんは早速、書き込んで郵送した。

8時38分。いよいよ大砂走りで下山。

下界ははるか彼方。

7合9勺、赤岩8号館。3290m。ここで休息。9時57分。

砂走館。暑くなってきた。上を脱ぐ。

最後の休憩所。わらじ館。

宝永山。

宝永山火口。「宝永大噴火とは、江戸時代中期の1707年(宝永4年)に起きた富士山の噴火である。現在までにおける歴史上最後の富士山の噴火となっている。」

宝永山に登りませんかとKhリーダーが言ったが遠慮する。
ここから本格的砂走り。砂もうもうで大変。

Nzさんは快調でさっさか降りる。Khさんも慣れたもので駆け降りて下でカメラを構える。
何とか慣れて大股でかかとから着地するようにしたらスムーズになった。

後続がなかなか来ない。随分待ってやっと5人が到着。余裕が随分あって、楽しんでる。
もう終わりだろうと駐車場に向かったら、ここから延々と1時間近くかかる。
もう疲労困憊。やっと休憩所が現れて、いちごミルクの氷水を頼む。ブラシで砂を払ったりしてようやく落ち着く。
駐車場で、靴の砂をコンプレッサーで落とす。
タクシーに乗って御胎内温泉センターに向かう。
「富士山の噴火によってできたといわれる熔岩隧道「御胎内」内部が人間の胎内に似ていることからその名前がつきました。」
実に気持ちが良い。疲れが足の先から抜けて行くような感じ。
露天風呂や溶岩風呂を楽しむ。
上がってからささやかな宴会。今回は、Kmさんの情熱とKhさんの周到な計画で、全員高山病にもならず登頂を果たした。後詰にNkさんがいたのも安心できた。Nzさんの強さには脱帽。来年は北アルプスに行こうと誘う。Ikさんは、若い仲間を増やすきっかけを作ってくれた。Toさんは初めて話したがいい男だ。
嫌嫌始めた富士登山だったが、最高だった。でも来年はもう登りたくないなあ。

8合目を2時に出発。ここからは行列。時々、渋滞で止まるのでなかなか先に進まない。

途中、高山病になって進めない人やあきらめて降りる人が出てくる。特に子供とアジア系外国人の団体で多いような気がする。
Kmさんが気持ちが悪くなり立ち止まる。KmさんにToさんと後詰Nkさんがつく。Nzさんは元気。
9合目3460mに到着。2時44分。Kmさんが相当にきつそうなのでNzさんがKmさんのザックを背負う。私は寒くなってダウンジャケットを羽織る。

9合5勺の胸突山荘に着く。Kmさん達は大幅に遅れる。Khさん、Nzさんと一緒。Nzさんはザックを二重に背負っても元気。3時45分。

やっと頂上到着。ご来光の場所を探して奥へ進む。Nkさん、Nzさんだけとなる。まあその内、会うだろう。
朝焼けが美しい。4時39分。

色鮮やかになる。

下に山中湖が見える。

御来光直前。

御来光だ。5時6分。

見とれてしまう。神々しい。

御来光直前に他のメンバと合流。全員揃う。NzさんはKmさんのザックをしょって、さすがに疲れが出てきたので、再びKmさんに戻す。Kmさんは歩くのは遅くなったが、元気は出てきたみたい。
山中湖の周辺はもやがかかっている。

向こうに剣ヶ峰が見えるが、Khリーダーはお鉢を右回りして山小屋で食事しようと言う。

次第にお鉢の中まで日がさしてくる。剣ヶ峰(富士山特別地域気象観測所)が見える。虎岩があるはずだがどれだかわからず。

山梨県側の山小屋が見えてきた。5時37分。

ここをぐるっと回るのがお鉢巡り。

富士山頂上奥宮。6時16分。

下からぞくぞくと登ってくる。樹海も下に見える。

吉田口から登ってきた人たち。

山小屋に入ってラーメンを食べる。インスタントだった。

ピンバッジを買って帽子に付ける。登頂した日を刻印してくれた。
南アルプスが見える。

八ヶ岳。

お鉢の底に入る。何時の間にか、KhさんとNzさんだけとなり、後続はKmさんをサポートして遅れる。Nkさんがついてるから大丈夫だろう。
金明水。「雪解け水が湧き水として出ていた所。山頂に出る貴重な水ということで祭られていた。明治から昭和初期までは登山者にふるまわれていたらしいが、現在は枯渇している?」6時35分。

お鉢の底を歩く。

団体さんとすれ違う。

釈迦の割石「右部分の高い場所が白山岳。その角張った崖の部分が「釈迦の割石」という風流な名前で呼ばれている部分です。白山岳は昔、釈迦ガ岳と呼ばれていたので、それで「釈迦の割石」と呼ぶのだと思います。」

雲海の上。左が南アルプス、その右が八ヶ岳。


剣ヶ峰への登り。

くたびれて休んでる人も多い。朝早いからなあ。

見飽きない。

影富士。

もうすぐ馬の背。

剣ヶ峰からの眺め。

剣ヶ峰へは行列。

火口棚。

富士山頂三角点。3775.63m。7時35分。

「1999年にレーダー観測が廃止され、レーダードームは2001年9月に撤去された。」

剣ヶ峰からの眺めは良い。遠方は南アルプス。

北アルプスと思う。

Kmさん達が到着。Kmさんはかなり疲れていて、腰かけてお休み。頑張ったからね。
Kmさんの回復を待って出発。後は降りるのみ。8時。
もう剣ヶ峰があんなに向こうだ。

富士山頂奥宮。「富士宮口の山頂にある奥宮。主祭神はコノハナサクヤ姫という美しく、そして情熱的な性格の女神様。古事記では夫のニニギノミコトに妊娠した子供が本当に自分の子供なのかと疑われて、それを証明するために産室に火をつけて燃えさかる炎の中で出産したというからすさまじい。」
ここで70歳以上の人はお土産が出るとKhさんに教えて貰い申し込んだら、お祓いした扇子とお神酒をかわらけで頂く。

富士山頂郵便局。Khさんが登頂記念の絵葉書を買ってくれた。Ikさんは早速、書き込んで郵送した。

8時38分。いよいよ大砂走りで下山。

下界ははるか彼方。

7合9勺、赤岩8号館。3290m。ここで休息。9時57分。

砂走館。暑くなってきた。上を脱ぐ。

最後の休憩所。わらじ館。

宝永山。

宝永山火口。「宝永大噴火とは、江戸時代中期の1707年(宝永4年)に起きた富士山の噴火である。現在までにおける歴史上最後の富士山の噴火となっている。」

宝永山に登りませんかとKhリーダーが言ったが遠慮する。
ここから本格的砂走り。砂もうもうで大変。

Nzさんは快調でさっさか降りる。Khさんも慣れたもので駆け降りて下でカメラを構える。
何とか慣れて大股でかかとから着地するようにしたらスムーズになった。

後続がなかなか来ない。随分待ってやっと5人が到着。余裕が随分あって、楽しんでる。
もう終わりだろうと駐車場に向かったら、ここから延々と1時間近くかかる。
もう疲労困憊。やっと休憩所が現れて、いちごミルクの氷水を頼む。ブラシで砂を払ったりしてようやく落ち着く。
駐車場で、靴の砂をコンプレッサーで落とす。
タクシーに乗って御胎内温泉センターに向かう。
「富士山の噴火によってできたといわれる熔岩隧道「御胎内」内部が人間の胎内に似ていることからその名前がつきました。」
実に気持ちが良い。疲れが足の先から抜けて行くような感じ。
露天風呂や溶岩風呂を楽しむ。
上がってからささやかな宴会。今回は、Kmさんの情熱とKhさんの周到な計画で、全員高山病にもならず登頂を果たした。後詰にNkさんがいたのも安心できた。Nzさんの強さには脱帽。来年は北アルプスに行こうと誘う。Ikさんは、若い仲間を増やすきっかけを作ってくれた。Toさんは初めて話したがいい男だ。
嫌嫌始めた富士登山だったが、最高だった。でも来年はもう登りたくないなあ。
富士登山、まずは8合目。
いよいよ富士登山。天候は良い。
8時過ぎに家を出発。怪我しないでよとSさんに言われる。
昨夏以来の3000m以上の登山なので多少不安。脚がつらないようにアミノバイタルを飲む。
待ち合わせの御殿場駅に10時40分着く。
Khリーダーは富士登山10数回のベテラン。計画立案は全て立ててくれ、山小屋の予約や細かい注意事項もしっかりしており、安心して任せられる。
サポートにNkさん。富士登山の経験もある山男。一緒に登るのは初めて。
山に一緒してくれてるIkさん。
富士登山のきっかけを作ったKmさん。彼氏のToさん。引っ張り込まれたNzさん。初心者はKmさん、Toさん、Nzさん。この前、ニュウ(2352m)で足慣らしをした。靴もザックもヘッドランプも全て新調。
御殿場からタクシー2台で富士宮口に向かう。タクシーの運転手が話好きで富士登山の説明をいろいろする。自衛隊の大演習が間近で、砲弾の音がする。
富士宮口でコンビニで買ったおにぎりを食べる。うどんを頼んだ人もいる。
富士宮口5合目は標高2400mなので高さになれるためしばらくぐだぐだする。
上はガスって見えない。(クリックすると拡大)

富士宮口5合目。

富士山は「古来より霊峰といわれ、富士山を開いたのは、平安末期の1149年(久安5年)山頂に一切経を埋納した富士上人と称された末代(まつだい)であるといわれています。 外国人として初めて富士山の登頂をなし得た人物として、記録されている中では1860年のラザフォード・オールコックによる富士宮口からの登山とされており、それにちなんで、現在でも、表富士宮口の開山式には英国大使を招き交流を図っています。」

「富士山は典型的な成層火山であり、霊峰として、多くの人を魅了する美しい稜線、姿を持っています。
現在の富士山の山体の形成は、大きく四段階に分かれます。
◆先小御岳
◆小御岳
◆古富士
◆新富士
先小御岳が最も古く、数十万年前にできた火山と言われています。 古富士は8万年前頃から1万5千年前頃まで噴火。火山灰が降り積もり、標高3,000m級まで成長し、やがて現在の3776m剣が峰を擁するようになりました。」
13時05分頃出発。
イタドリ。草花はこれくらい。意外に綺麗。


13時29分、6合目の宝永山荘に到着。まだ皆元気。日差しが強いのでサングラスをかける。汗びっしょりだが、風が適度に吹いてるので意外に気持ち良い。

がれた道をひたすら登る。

山頂ははるか彼方。大混雑でないのが救い。

頑張って登ってる。14時24分。1時間以上登った。

14時33分新7合目に到着。

大分登って来た。下界を見下ろす。

世界遺産になったせいか外国人の登山者が多い。韓国や中国からは団体で来ている。東南アジアや西洋人も多い。日本人はお盆で避けたのか意外に多くない。行列が出来ることはなかった。
宝永山が見える。明日は下りであそこに登るとKhリーダーが言う。

以前として単調な登り。苦しいが飽きてくる。

入道雲が湧き上がってる。

15時42分に元祖7合目到着。3010m。やっと3000mを超えた。標高差600mを2時間半近くかかって登った。
新とか元祖とかあって面白い。

先頭はKhさんでNzさんが元気に続き、その後を私。後詰はNkさん。Ikさんがくたびれて遅れだした。途中でKhリーダーがIkさんのザックを背負う。前後にザックを持って登る。さすがリーダー。多分15k位はあるのではないだろうか。
今日の終点の8号目が見えてきた。

16時50分に8合目3250m、池田館に到着。

8合目から上はまだ登ってる人が一杯。ご来光目当て。

下から登って来る人も一杯。雲が下と言うのは気分いい。

あらかじめ予約してあるので部屋に案内される。
二階の二間?7人で6畳位かな。これくらいなら楽ちん。女性二人とToさんが一間で男4人が一間。
夕食まで外に出たら、富士の影が映っていた。

夕食はカレーライス。量は物足りなかったがこの位が丁度良い。
明日は午前1時半起きなので、耳栓をして早々と休む。
深夜トイレに行きたくなって目覚める。周りは爆睡してる。トイレから帰ってきたら、隣のNzさんがこちら側に大きく足を出していて、上手く横になれず。足を押しのけて布団に入る。ぐっすり眠っているのでかなり動かしたが、目覚めない。(翌朝、本人は良く眠れなかったと言ってるが、そんなことはない。)うとうととしたら午前1時半に電気がつく。出発の準備をする。
8時過ぎに家を出発。怪我しないでよとSさんに言われる。
昨夏以来の3000m以上の登山なので多少不安。脚がつらないようにアミノバイタルを飲む。
待ち合わせの御殿場駅に10時40分着く。
Khリーダーは富士登山10数回のベテラン。計画立案は全て立ててくれ、山小屋の予約や細かい注意事項もしっかりしており、安心して任せられる。
サポートにNkさん。富士登山の経験もある山男。一緒に登るのは初めて。
山に一緒してくれてるIkさん。
富士登山のきっかけを作ったKmさん。彼氏のToさん。引っ張り込まれたNzさん。初心者はKmさん、Toさん、Nzさん。この前、ニュウ(2352m)で足慣らしをした。靴もザックもヘッドランプも全て新調。
御殿場からタクシー2台で富士宮口に向かう。タクシーの運転手が話好きで富士登山の説明をいろいろする。自衛隊の大演習が間近で、砲弾の音がする。
富士宮口でコンビニで買ったおにぎりを食べる。うどんを頼んだ人もいる。
富士宮口5合目は標高2400mなので高さになれるためしばらくぐだぐだする。
上はガスって見えない。(クリックすると拡大)

富士宮口5合目。

富士山は「古来より霊峰といわれ、富士山を開いたのは、平安末期の1149年(久安5年)山頂に一切経を埋納した富士上人と称された末代(まつだい)であるといわれています。 外国人として初めて富士山の登頂をなし得た人物として、記録されている中では1860年のラザフォード・オールコックによる富士宮口からの登山とされており、それにちなんで、現在でも、表富士宮口の開山式には英国大使を招き交流を図っています。」

「富士山は典型的な成層火山であり、霊峰として、多くの人を魅了する美しい稜線、姿を持っています。
現在の富士山の山体の形成は、大きく四段階に分かれます。
◆先小御岳
◆小御岳
◆古富士
◆新富士
先小御岳が最も古く、数十万年前にできた火山と言われています。 古富士は8万年前頃から1万5千年前頃まで噴火。火山灰が降り積もり、標高3,000m級まで成長し、やがて現在の3776m剣が峰を擁するようになりました。」
13時05分頃出発。
イタドリ。草花はこれくらい。意外に綺麗。


13時29分、6合目の宝永山荘に到着。まだ皆元気。日差しが強いのでサングラスをかける。汗びっしょりだが、風が適度に吹いてるので意外に気持ち良い。

がれた道をひたすら登る。

山頂ははるか彼方。大混雑でないのが救い。

頑張って登ってる。14時24分。1時間以上登った。

14時33分新7合目に到着。

大分登って来た。下界を見下ろす。

世界遺産になったせいか外国人の登山者が多い。韓国や中国からは団体で来ている。東南アジアや西洋人も多い。日本人はお盆で避けたのか意外に多くない。行列が出来ることはなかった。
宝永山が見える。明日は下りであそこに登るとKhリーダーが言う。

以前として単調な登り。苦しいが飽きてくる。

入道雲が湧き上がってる。

15時42分に元祖7合目到着。3010m。やっと3000mを超えた。標高差600mを2時間半近くかかって登った。
新とか元祖とかあって面白い。

先頭はKhさんでNzさんが元気に続き、その後を私。後詰はNkさん。Ikさんがくたびれて遅れだした。途中でKhリーダーがIkさんのザックを背負う。前後にザックを持って登る。さすがリーダー。多分15k位はあるのではないだろうか。
今日の終点の8号目が見えてきた。

16時50分に8合目3250m、池田館に到着。

8合目から上はまだ登ってる人が一杯。ご来光目当て。

下から登って来る人も一杯。雲が下と言うのは気分いい。

あらかじめ予約してあるので部屋に案内される。
二階の二間?7人で6畳位かな。これくらいなら楽ちん。女性二人とToさんが一間で男4人が一間。
夕食まで外に出たら、富士の影が映っていた。

夕食はカレーライス。量は物足りなかったがこの位が丁度良い。
明日は午前1時半起きなので、耳栓をして早々と休む。
深夜トイレに行きたくなって目覚める。周りは爆睡してる。トイレから帰ってきたら、隣のNzさんがこちら側に大きく足を出していて、上手く横になれず。足を押しのけて布団に入る。ぐっすり眠っているのでかなり動かしたが、目覚めない。(翌朝、本人は良く眠れなかったと言ってるが、そんなことはない。)うとうととしたら午前1時半に電気がつく。出発の準備をする。
富士登山準備
庭のサフランモドキ、別名 ゼフィランサス。(クリックすると拡大)

今年植えたダチュラはなかなか咲かない。

明日から富士登山。準備をする。54年ぶりの富士登山。まさかまた登るとは思わなかった。
Kmさんの富士登山したいと言う情熱に打ち負けてしまった。最初は聞き流してたが熱心なので足慣らしに二度ばかり連れて行った。富士登山を毎年してるKhさんに押し付けて行かないつもりだったが、そうはいかなくなってしまった。世界遺産になった年でお盆休みの最中なので物凄く混むことを覚悟。一緒にやはり初心者のNzさんとTmさん。Ikさんも同行してくれる。
準備してるうちに気分が乗って来るから不思議。同年輩の仲間たちからはお盆の最中に混む中何で登るのと、散々言われたが、こうなったら登って、世界遺産になった年にご来光を拝んだと自慢してやろう。
天気は良さそう。
Sさんは、この後、息子の結婚式を控えてるので、怪我しないで帰って来てと言う。止めなさいと言わないところが素敵。
外には出ずに、室内で十分体をほぐす体操を入念に行う。
後は、睡眠時間をたっぷりとるため早々と休む。

今年植えたダチュラはなかなか咲かない。

明日から富士登山。準備をする。54年ぶりの富士登山。まさかまた登るとは思わなかった。
Kmさんの富士登山したいと言う情熱に打ち負けてしまった。最初は聞き流してたが熱心なので足慣らしに二度ばかり連れて行った。富士登山を毎年してるKhさんに押し付けて行かないつもりだったが、そうはいかなくなってしまった。世界遺産になった年でお盆休みの最中なので物凄く混むことを覚悟。一緒にやはり初心者のNzさんとTmさん。Ikさんも同行してくれる。
準備してるうちに気分が乗って来るから不思議。同年輩の仲間たちからはお盆の最中に混む中何で登るのと、散々言われたが、こうなったら登って、世界遺産になった年にご来光を拝んだと自慢してやろう。
天気は良さそう。
Sさんは、この後、息子の結婚式を控えてるので、怪我しないで帰って来てと言う。止めなさいと言わないところが素敵。
外には出ずに、室内で十分体をほぐす体操を入念に行う。
後は、睡眠時間をたっぷりとるため早々と休む。
沖縄旅行の打ち合わせ
SさんとShさん宅に向かう。
11月沖縄にShさんに案内して貰う。その打ち合わせとお互いの夫婦の顔合わせ。
行く途中の菊。

ペチュニア。


駅に迎えに来てもらい車でお宅に到着。
奥様にご挨拶。
早速、打ち合わせ。
Shさんは沖縄の名家の出。今、半分沖縄で過ごし、顧問をしてる。
石垣島、竹富島、西表島、宮古島、沖縄本島と細かく計画を立ててくれていた。
沖縄本島はSさんと行った事があるし、勤めていた頃、本島には2度ばかり行ってるが、他の島には行った事がない。特に西表島は是非行きたいところ。西表島の川を遡って行くコースをいくつか紹介される。自然いっぱいのコースを選んでもらう。
飛行機の手配方法も説明を受けたが、ネットで発注する日に私が不在だったので、予約はShさんに頼み、支払確定を後で行うよう取り計らって貰う。またおんぶにだっこしてしまった。
奥様に美味しい料理を出して貰い、麦酒で乾杯。すっかり良い気持ちになる。
奥さんとSさんは話が合い、随分いろいろ話す。紅型(びんがた)とか陶器、映画の話など。
山とかスキーの話を延々としてしまった。沖縄の話をいろいろ聞けた。楽しい旅行になりそう。
Sさんに愛してると言ってるとか、ジュース作りと皿洗いをしてると散々奥さんに吹き込んでしまった。Shさんは迷惑そうに笑っていた。
3時間になったら、帰ろうと思っていたら時間を間違えて4時間たってしまった。大変長居をしてしまった。
Sさんは長いのではらはらしてたようだ。良い気持ちになって話に夢中になってしまった。
長居しすぎたが楽しかった。
「航跡」
庭の朝顔。(クリックすると拡大)

Sさんと一緒にStさんが出展している「全日本読売写真クラブ展」に出かける。場所は六本木。
近所の菊。

?ダリヤみたいだが。

富士フイルムフォトサロン(六本木ミッドタウン内)に到着。

会場内の撮影は出来ない。
Stさんの作品を探す。
「航跡」。Stさんによると「昨年11月に紅葉を撮りに行った奥多摩渓谷で、題名は写っているカヌーの姿か
ら「航跡」としました。」との事。紅葉と航跡が美しい。
審査員は写真家の立木義浩氏だそうで今回が初入選。
「2000点を超える応募全作品を写真家・立木義浩さんが審査、上位優秀作品7点を含む入賞162点が決まった。」「面白い物 見つける目を…立木 義弘氏」
作品すべてを丹念に見て回る。美しい写真ばかりだが、はっとする感動を与える写真も多い。Sさんは写真展が大好きで熱心に見て回る。
Sさんの見る映画が始まるまで時間があるので、サントリー美術館の谷文晁展に行く。

「関東南画の大成者・谷文晁(1763~1840)は、四条派、土佐派、洋風画からも影響を受け、さまざまな様式の作品を残しています。また、木村蒹葭堂などの文化人や、渡辺崋山ら門人たちなど、その人脈の広さは当時の絵師の中でも際立つものです。そこで本展では、文晁の生誕250周年を記念し、文晁と人々との交流を軸に、その画業と功績を振り返ります。加えて、近年当館所蔵となった谷文晁画「石山寺縁起絵巻」全七巻を修復後初公開いたします。」
谷文晁のパトロンは松平定信、「絵師の酒井抱一、狂歌師・戯作者の大田南畝、戯作者の山東京伝とも親しく交わり、様々な合作を残しています。加えて、文晁は教育者としても優れており、渡辺崋山など、多くの門人たちを育てました。」と言う事は全く知らなかった。Sさんは多少知ってたようだ。
「石山寺縁起絵巻」「青緑山水図」は気に入って長く眺める。
外に出て歩いてたら風鈴が鳴ってるところに出た。時間が来ると小さな扇風機が回って風鈴が鳴る。


Sさんの時間までショッピングに付き合う。見るだけでほとんど買うことはしない。
最後に喫茶でおしゃべりをして、Sさんは映画に私は帰宅した。

Sさんと一緒にStさんが出展している「全日本読売写真クラブ展」に出かける。場所は六本木。
近所の菊。

?ダリヤみたいだが。

富士フイルムフォトサロン(六本木ミッドタウン内)に到着。

会場内の撮影は出来ない。
Stさんの作品を探す。
「航跡」。Stさんによると「昨年11月に紅葉を撮りに行った奥多摩渓谷で、題名は写っているカヌーの姿か
ら「航跡」としました。」との事。紅葉と航跡が美しい。
審査員は写真家の立木義浩氏だそうで今回が初入選。
「2000点を超える応募全作品を写真家・立木義浩さんが審査、上位優秀作品7点を含む入賞162点が決まった。」「面白い物 見つける目を…立木 義弘氏」
作品すべてを丹念に見て回る。美しい写真ばかりだが、はっとする感動を与える写真も多い。Sさんは写真展が大好きで熱心に見て回る。
Sさんの見る映画が始まるまで時間があるので、サントリー美術館の谷文晁展に行く。

「関東南画の大成者・谷文晁(1763~1840)は、四条派、土佐派、洋風画からも影響を受け、さまざまな様式の作品を残しています。また、木村蒹葭堂などの文化人や、渡辺崋山ら門人たちなど、その人脈の広さは当時の絵師の中でも際立つものです。そこで本展では、文晁の生誕250周年を記念し、文晁と人々との交流を軸に、その画業と功績を振り返ります。加えて、近年当館所蔵となった谷文晁画「石山寺縁起絵巻」全七巻を修復後初公開いたします。」
谷文晁のパトロンは松平定信、「絵師の酒井抱一、狂歌師・戯作者の大田南畝、戯作者の山東京伝とも親しく交わり、様々な合作を残しています。加えて、文晁は教育者としても優れており、渡辺崋山など、多くの門人たちを育てました。」と言う事は全く知らなかった。Sさんは多少知ってたようだ。
「石山寺縁起絵巻」「青緑山水図」は気に入って長く眺める。
外に出て歩いてたら風鈴が鳴ってるところに出た。時間が来ると小さな扇風機が回って風鈴が鳴る。


Sさんの時間までショッピングに付き合う。見るだけでほとんど買うことはしない。
最後に喫茶でおしゃべりをして、Sさんは映画に私は帰宅した。
でんごんばん
庭のポンテテリア。(クリックすると拡大)

インドハマユウ。

サーモンピンクセージ。

デュランタ。

ヤブラン。

朝から「でんごんばん」一日中編集。紙で頂いた文章の入力、文章を読んで簡単なチェックと順番を決める、文字の統一などの編集と連絡事項や編集後記、イラストの挿入など。ホームページに乗せて貰うためにワードとエクセルを一本化する必要があったが、やり方がわからず、ワードとエクセルを別々にSkさん(ホームページの管理をして貰ってる)に送る。(その後、ワードとエクセルを一本化のやり方がわかり翌朝再送。更にミスがあって再再送。実はこの後更にに記事脱落のミスが見つかりホームページを入れ替えて貰い、Skさんには多大な迷惑をかけた。)
でんごんばん 8月号の目次
*日程表 *連絡事項 *演奏会アンケート一覧票
*ありがとう水曜会 On先生
*Yk先生
*Md先生
*「ここの声、なんとかしてよ」 Is先生
*「おしまずき抒抄」作詞の北島 万紀子先生より
*On先生と私 団長
*On先生の横顔? Nkさん *水曜会コンサート出演者の変遷
*第25回演奏会を終わって Hyさん
*On先生を送る言葉 Htさん
*On先生ありがとうございました! Mrさん
*Kmさん
*大和し うるわし紀行(5) Siさん
*南ア滞在記⑨ Frさん
今回は演奏会特集とOn先生ご退任が重なった特別な号なので記事を多く出して貰った。
特にお忙しいOn先生、Yk先生、Md先生、Is先生に記事を書いて貰った。恒例の演奏会アンケート結果(Hmさんまとめ)やOn先生を送る言葉を各パートに書いて貰った。記事を快く書いてくれるので編集する立場として大変に助かってる。

インドハマユウ。

サーモンピンクセージ。

デュランタ。

ヤブラン。

朝から「でんごんばん」一日中編集。紙で頂いた文章の入力、文章を読んで簡単なチェックと順番を決める、文字の統一などの編集と連絡事項や編集後記、イラストの挿入など。ホームページに乗せて貰うためにワードとエクセルを一本化する必要があったが、やり方がわからず、ワードとエクセルを別々にSkさん(ホームページの管理をして貰ってる)に送る。(その後、ワードとエクセルを一本化のやり方がわかり翌朝再送。更にミスがあって再再送。実はこの後更にに記事脱落のミスが見つかりホームページを入れ替えて貰い、Skさんには多大な迷惑をかけた。)
でんごんばん 8月号の目次
*日程表 *連絡事項 *演奏会アンケート一覧票
*ありがとう水曜会 On先生
*Yk先生
*Md先生
*「ここの声、なんとかしてよ」 Is先生
*「おしまずき抒抄」作詞の北島 万紀子先生より
*On先生と私 団長
*On先生の横顔? Nkさん *水曜会コンサート出演者の変遷
*第25回演奏会を終わって Hyさん
*On先生を送る言葉 Htさん
*On先生ありがとうございました! Mrさん
*Kmさん
*大和し うるわし紀行(5) Siさん
*南ア滞在記⑨ Frさん
今回は演奏会特集とOn先生ご退任が重なった特別な号なので記事を多く出して貰った。
特にお忙しいOn先生、Yk先生、Md先生、Is先生に記事を書いて貰った。恒例の演奏会アンケート結果(Hmさんまとめ)やOn先生を送る言葉を各パートに書いて貰った。記事を快く書いてくれるので編集する立場として大変に助かってる。
富士登る行列先の天の川
疲れて休養日。
Sさんが梅干しを仕舞うのを一日遅らせて写真を撮るように待っていてくれた。こういう優しさが好き。(クリックすると拡大)


大門句会勉強会の三四郎さんの句評を見る。
兼題は私出題の「天の川」。
⇒は三四郎さんの句評。:は私のコメント。
◇光
テントより妻にメールや天の川
富士登る行列先の天の川
⇒キャンプ場で寝袋にくるまりながら奥さんに定時報告のメールを打って、ふと外を見れば目の覚めるような天の川。アルプスか、八ヶ岳か。
ご来光を見ようと頂上に向かう行列でしょうか。黒い頂上の向こうに天の川の雄大な流れが。
はなさん選句(後者の句)。日本で一番高い山の上の天の川 宇宙の雄大さを感じます。
遊介さん選句(後者の句)。富士登山の夜の光景をテレビ放映していました。登山者の携帯するランプがちらちらと光り黒い山肌をなぞる光景が天の川に続くようでした。
のり子さん選句(前者の句)。愛妻句ですが、牽牛織女の話と、現代のメール社会が妙に合っていると感じます。どういう内容のメールだったかいろいろ想像できます。「Sさんにも見せたかったなぁ」 とか・・・
:自分で出した兼題で句を作るのは難しい。これならできそうと思って天の川を出したが結構苦吟した。こまくさに出かける時間が迫って来たので焦った。テントよりの句は、山に行くとSさんの事を良く考えるのでその思いを詠んだ。富士の句は、この金曜日に富士登山が迫ってるので、登ったつもりで詠む。富士に登るヘッドランプの行列が、頂上の先の天の川まで続いてると想像。
気に入った句。
◇のり子
銀河観る天文台の細き窓
⇒天文台の望遠鏡から夜空に向かって開いている窓でしょうか。これから星の観察をしようとするときにふと見れば窓にちょうど天の川の帯。
◇遊介
天の川教える夫の喉仏
⇒少し上を向いて指さして教えてくれている夫の喉仏を観察しているのですか。面白い。せっかく教えてくれているのだから空を見て下さい。
◇夢路
我に降る点滴静か天の川
⇒夢路さんは体調を崩されて入院中とうかがいました。天の川が病室の窓から見えるのでしょうか。それとも上には天の川が流れているのだろうと想像しているのでしょうか。点滴の水と天の川が響いていますね。
◇はな
手を伸ばし背伸びする子や天の川
⇒手を伸ばしたら届きそうなほどあざやかな星空なんでしょう。「名月をとつてくれろと泣く子かな 一茶」を思い出しました。
◇勝山
天の川ようやく宿は寝静まり
⇒天の川の下の温泉街でしょうか。窓の明りも消されて門灯だけになった黒い瓦屋根の連なりが見えます。
天の川で良い句が多くて嬉しい。
Sさんが梅干しを仕舞うのを一日遅らせて写真を撮るように待っていてくれた。こういう優しさが好き。(クリックすると拡大)


大門句会勉強会の三四郎さんの句評を見る。
兼題は私出題の「天の川」。
⇒は三四郎さんの句評。:は私のコメント。
◇光
テントより妻にメールや天の川
富士登る行列先の天の川
⇒キャンプ場で寝袋にくるまりながら奥さんに定時報告のメールを打って、ふと外を見れば目の覚めるような天の川。アルプスか、八ヶ岳か。
ご来光を見ようと頂上に向かう行列でしょうか。黒い頂上の向こうに天の川の雄大な流れが。
はなさん選句(後者の句)。日本で一番高い山の上の天の川 宇宙の雄大さを感じます。
遊介さん選句(後者の句)。富士登山の夜の光景をテレビ放映していました。登山者の携帯するランプがちらちらと光り黒い山肌をなぞる光景が天の川に続くようでした。
のり子さん選句(前者の句)。愛妻句ですが、牽牛織女の話と、現代のメール社会が妙に合っていると感じます。どういう内容のメールだったかいろいろ想像できます。「Sさんにも見せたかったなぁ」 とか・・・
:自分で出した兼題で句を作るのは難しい。これならできそうと思って天の川を出したが結構苦吟した。こまくさに出かける時間が迫って来たので焦った。テントよりの句は、山に行くとSさんの事を良く考えるのでその思いを詠んだ。富士の句は、この金曜日に富士登山が迫ってるので、登ったつもりで詠む。富士に登るヘッドランプの行列が、頂上の先の天の川まで続いてると想像。
気に入った句。
◇のり子
銀河観る天文台の細き窓
⇒天文台の望遠鏡から夜空に向かって開いている窓でしょうか。これから星の観察をしようとするときにふと見れば窓にちょうど天の川の帯。
◇遊介
天の川教える夫の喉仏
⇒少し上を向いて指さして教えてくれている夫の喉仏を観察しているのですか。面白い。せっかく教えてくれているのだから空を見て下さい。
◇夢路
我に降る点滴静か天の川
⇒夢路さんは体調を崩されて入院中とうかがいました。天の川が病室の窓から見えるのでしょうか。それとも上には天の川が流れているのだろうと想像しているのでしょうか。点滴の水と天の川が響いていますね。
◇はな
手を伸ばし背伸びする子や天の川
⇒手を伸ばしたら届きそうなほどあざやかな星空なんでしょう。「名月をとつてくれろと泣く子かな 一茶」を思い出しました。
◇勝山
天の川ようやく宿は寝静まり
⇒天の川の下の温泉街でしょうか。窓の明りも消されて門灯だけになった黒い瓦屋根の連なりが見えます。
天の川で良い句が多くて嬉しい。
こまくさ最終日
こまくさ最終日。今日は信濃観光バスでのツアー。
南條旅館に別れを告げ出発。猛烈に暑いのでバスの中が涼しいのは助かる。
まずは、赤地蔵尊。(クリックすると拡大)「野倉の赤地蔵尊。 延命地蔵尊ですが、赤く塗られたのは「雨降り」祈願の為です。川に投げ込まれたお地蔵さんは赤鬼のように怒って、雨を降らせる…、思われました。」

そこから坂を登ると直ぐに野倉の夫婦道祖神。「男神は平安時代の正装「衣冠束帯」姿ですし、女神は十二単です。二人で手を取り合っています。余った手では肩を抱き合っておいでです。伊邪那美、伊弉諾神の姿は江戸時代以降こんな姿で描かれることが多かったのです。未婚の人には縁結び、既婚者には夫婦円満のご利益があると信じられています。」

延命水。「この水は太古より天狗山(女神岳)より湧出し水なりて、古人は茶の湯に使用せり。一口で寿命が3年延びると言われている。」

皆喜んで飲んだが、Oyさんのみ汚いと拒絶。Hyさんの御主人から山には登れないなとからかわれる。
中禅寺。「中禅寺の創建は天長年間(824~34)空海が雨乞いの祈祷をする為に草庵を結んだのが始まりと伝えられています。その後、源頼朝、塩田北条氏などに庇護され寺運が隆盛したとも伝えられていますが永享年間(1429~41)、寛文5年(1665)、享保5年(1720)と火災にあい多くの堂宇、寺宝、記録などを焼失し詳細は不明な点が多いとされています。享保19年(1734)に祐精法印が中興開山し現在の本堂を建立しています。」「茅ぶきの屋根のてっぺんに、少し先のとがった丸い玉(宝珠)や、その下に四角な台(露盤)をのせて、ま上から見ると、真四角な同じ形の屋根に見えます。これを「宝形造」といいます。・・・このような建てかたは、平安時代の終わりごろ行われた形式で、岩手県平泉にある有名な中尊寺の金色堂などが、その代表的な例です。」

前山寺に向かう参道の大欅。樹齢700年。

前山寺。「812年弘法大師空海が護摩修行の霊場として開創したといわれています。当初は法相宗と三論宗を兼ねていましたが、1331年善通寺から長秀上人が訪れ、現在の地に移し規模を拡大させたとされています。のち貞享年中(1684年~1687年)に真言宗智山派に改宗されました。」
未完成の完成の塔。「塔の建立年代は、資料がないのではっきりしないが様式上は室町時代の初期と推定されている。・・・二、三重の柱に長押仕口がありながら、窓も扉もなく、また廻廊も勾欄もない。ただ長い胴貫が四方に突出して、うまく変化と調和を持たせている。」


無言館。「第二次世界大戦で戦没した画学生の遺作を収蔵、展示している。 志半ばで戦場に散った若者たちの絵画やブロンズ像など33名の遺作85点と書簡や愛用したイーゼルなど展示している。」
戦没時が1945年8月17日の沖縄戦と言う方がいて、まだ戦ってたのかと涙ぐみそうになる。

大法寺に向かう途中に、羅漢様が「ここだけの話、内緒だけどよ。」

呵々大笑。

「大法寺の創建は大宝元年(701)文武天皇の勅願により定恵(藤原鎌足の長子)が開山したのが始まりと伝えられています。大同元年(806)には坂上田村麻呂が再興、さらに永正8年(1511)に戸隠山観修院月如が再興しています。当初は大宝寺と称していましたが応源の代の元禄10年(1697)に現在の寺号である大法寺に改称されています。」

「大法寺三重塔は正慶2年(1333)に建立されたもので三間三層、檜皮葺きで和様によって統一されています。棟梁は天王寺の四郎兵衛他御番匠7人で三重塔屈指の名作とされその美しさから"見返りの塔"の異名をち明治32年に国宝に指定されています。」


私も見返る。

昼食はそば大西。

上田の街を散策。街並みが美しい。



いちご氷が美味い。お子様連れが入って賑やか。

上田城址。「もともとは在地土豪・小泉氏の古い城館があったといわれる場所に、甲斐武田氏の旧臣である真田昌幸により、1583年(天正11年)に築城された平城である。真田昌幸が二度にわたる徳川軍の攻撃を撃退した上田合戦が行われたことで有名である。第二次上田合戦後、関ヶ原の合戦にて、真田昌幸、信繁が属した西軍が負けたため、上田城は徳川軍に徹底的に破却され堀も埋められた。」

「大手門の巨石「真田石」。信之が松代城移封にあたり持って行こうとしたところ、ビクともしなかったという、クセ者の昌幸オヤジがダダをこねているみたいで、なんとなく可笑しい。」

真田神社。

「尼ヶ淵に面した、本丸西櫓と西虎口石垣。この櫓は仙石氏が築城した当時からここにある、正真正銘の現存櫓です。」

水堀。

石組が美しい。

北櫓。

上田城を後にし、Tnさんが希望する真田太平記館に行く。信濃国分寺はカット。

面白かったが疲れが出て、ゆっくり見学できなかった。
バスで上田駅まで送って貰い終了。時間が余ったので電車を早めて帰宅。
車中酒も飲まずおしゃべり。Mkさん、Ynさん、Oyさんと一緒。
楽しかった。
帰って、Sさんに報告。
来週末はいよいよ富士登山と言ったら、休みなしねえ、疲れないと心配された。
南條旅館に別れを告げ出発。猛烈に暑いのでバスの中が涼しいのは助かる。
まずは、赤地蔵尊。(クリックすると拡大)「野倉の赤地蔵尊。 延命地蔵尊ですが、赤く塗られたのは「雨降り」祈願の為です。川に投げ込まれたお地蔵さんは赤鬼のように怒って、雨を降らせる…、思われました。」

そこから坂を登ると直ぐに野倉の夫婦道祖神。「男神は平安時代の正装「衣冠束帯」姿ですし、女神は十二単です。二人で手を取り合っています。余った手では肩を抱き合っておいでです。伊邪那美、伊弉諾神の姿は江戸時代以降こんな姿で描かれることが多かったのです。未婚の人には縁結び、既婚者には夫婦円満のご利益があると信じられています。」

延命水。「この水は太古より天狗山(女神岳)より湧出し水なりて、古人は茶の湯に使用せり。一口で寿命が3年延びると言われている。」

皆喜んで飲んだが、Oyさんのみ汚いと拒絶。Hyさんの御主人から山には登れないなとからかわれる。
中禅寺。「中禅寺の創建は天長年間(824~34)空海が雨乞いの祈祷をする為に草庵を結んだのが始まりと伝えられています。その後、源頼朝、塩田北条氏などに庇護され寺運が隆盛したとも伝えられていますが永享年間(1429~41)、寛文5年(1665)、享保5年(1720)と火災にあい多くの堂宇、寺宝、記録などを焼失し詳細は不明な点が多いとされています。享保19年(1734)に祐精法印が中興開山し現在の本堂を建立しています。」「茅ぶきの屋根のてっぺんに、少し先のとがった丸い玉(宝珠)や、その下に四角な台(露盤)をのせて、ま上から見ると、真四角な同じ形の屋根に見えます。これを「宝形造」といいます。・・・このような建てかたは、平安時代の終わりごろ行われた形式で、岩手県平泉にある有名な中尊寺の金色堂などが、その代表的な例です。」

前山寺に向かう参道の大欅。樹齢700年。

前山寺。「812年弘法大師空海が護摩修行の霊場として開創したといわれています。当初は法相宗と三論宗を兼ねていましたが、1331年善通寺から長秀上人が訪れ、現在の地に移し規模を拡大させたとされています。のち貞享年中(1684年~1687年)に真言宗智山派に改宗されました。」
未完成の完成の塔。「塔の建立年代は、資料がないのではっきりしないが様式上は室町時代の初期と推定されている。・・・二、三重の柱に長押仕口がありながら、窓も扉もなく、また廻廊も勾欄もない。ただ長い胴貫が四方に突出して、うまく変化と調和を持たせている。」


無言館。「第二次世界大戦で戦没した画学生の遺作を収蔵、展示している。 志半ばで戦場に散った若者たちの絵画やブロンズ像など33名の遺作85点と書簡や愛用したイーゼルなど展示している。」
戦没時が1945年8月17日の沖縄戦と言う方がいて、まだ戦ってたのかと涙ぐみそうになる。

大法寺に向かう途中に、羅漢様が「ここだけの話、内緒だけどよ。」

呵々大笑。

「大法寺の創建は大宝元年(701)文武天皇の勅願により定恵(藤原鎌足の長子)が開山したのが始まりと伝えられています。大同元年(806)には坂上田村麻呂が再興、さらに永正8年(1511)に戸隠山観修院月如が再興しています。当初は大宝寺と称していましたが応源の代の元禄10年(1697)に現在の寺号である大法寺に改称されています。」

「大法寺三重塔は正慶2年(1333)に建立されたもので三間三層、檜皮葺きで和様によって統一されています。棟梁は天王寺の四郎兵衛他御番匠7人で三重塔屈指の名作とされその美しさから"見返りの塔"の異名をち明治32年に国宝に指定されています。」


私も見返る。

昼食はそば大西。

上田の街を散策。街並みが美しい。



いちご氷が美味い。お子様連れが入って賑やか。

上田城址。「もともとは在地土豪・小泉氏の古い城館があったといわれる場所に、甲斐武田氏の旧臣である真田昌幸により、1583年(天正11年)に築城された平城である。真田昌幸が二度にわたる徳川軍の攻撃を撃退した上田合戦が行われたことで有名である。第二次上田合戦後、関ヶ原の合戦にて、真田昌幸、信繁が属した西軍が負けたため、上田城は徳川軍に徹底的に破却され堀も埋められた。」

「大手門の巨石「真田石」。信之が松代城移封にあたり持って行こうとしたところ、ビクともしなかったという、クセ者の昌幸オヤジがダダをこねているみたいで、なんとなく可笑しい。」

真田神社。

「尼ヶ淵に面した、本丸西櫓と西虎口石垣。この櫓は仙石氏が築城した当時からここにある、正真正銘の現存櫓です。」

水堀。

石組が美しい。

北櫓。

上田城を後にし、Tnさんが希望する真田太平記館に行く。信濃国分寺はカット。

面白かったが疲れが出て、ゆっくり見学できなかった。
バスで上田駅まで送って貰い終了。時間が余ったので電車を早めて帰宅。
車中酒も飲まずおしゃべり。Mkさん、Ynさん、Oyさんと一緒。
楽しかった。
帰って、Sさんに報告。
来週末はいよいよ富士登山と言ったら、休みなしねえ、疲れないと心配された。
懐古園から別所温泉
こまくさ旅行2日目。朝、Nkさんにベランダに雀の巣があるわよと言うので見に出かける。
小雀に親雀がせっせと餌を運んでいる。(クリックすると拡大)

朝食後、野辺山山荘を出発。庭のノカンゾウ(野萱草)。

百合。

野辺山駅から八ヶ岳。

野辺山駅。

小諸駅到着。

こんどはツバメの巣。

駅から見える浅間山。

懐古園。三の門。

「小諸城の起源は、平安時代から鎌倉時代にかけて「源平盛衰記」や「平家物語」に登場する小室太郎光兼(木曽義仲の武将)が、現城址の東側に築いた館(宇頭坂城)に始まる。 やがて小室氏は南北朝時代に衰退し、大井氏が勃興して・・・大井宗家は滅亡し、大井家に一部は小諸に逃れ、中沢川のほとりに小諸城の前身である鍋蓋城を築城し、さらに激化する乱世に備え、その子孫が乙女城、別名白鶴城を現在の二の丸付近に築城し、周辺の要地には支城を配置して外敵に備えた。 天文23年(1554年)、甲斐の武田信玄の侵攻で鍋蓋城以下は武田氏の手中に落ち、・・・信玄は、この地の重要性にかんがみ、重臣の山本勘助と馬場信房に命じて鍋蓋・乙女城を取り込んだ新たな縄張りをして城郭を整備し、総合的な大城としたのが小諸城の原型である。・・・ 天正18年(1590年)、豊臣秀吉が天下統一を果たすと、小田原攻めの軍功により再起を果たした仙石秀久が5万石で小諸に封ぜられる。秀久は城の大改修と城下町の整備に取り掛かり、今日遺構の残る天下に類のない堅固な城とした。 世は徳川による天下泰平の時代となり、仙石氏は秀久の子忠政のとき上田城に移り、小諸城は徳川家光の弟の忠長の領有するところとなり、城代が置かれた。その後もめまぐるしく城主が変わり、石高も5万石から2万石へと減らされてきたが、極めて要衝な藩領のため、歴代藩主には徳川譜代が配されていた。・・・ 明治4年(1872年)の廃藩置県で小諸城は役割を終え、明治13年(1880年)に城郭は払い下げられ、小諸藩の旧士族の手により本丸跡に神社が祀られ、「懐古園」と名付けられた。 その後、大正15年(1926年)に、造園の権威である本多静六の設計により、近代的な公園に生まれ変わった。」
二の門跡。

二の丸跡の夏水仙。

趣がある。

南丸跡。

紅葉谷。谷底に紫陽花。

欅。樹齢500年、幹回り6.5m。

小諸市立藤村記念館に入る。島崎藤村像。

「藤村が小諸にやってきたのは、明治32年のことです。かつての恩師、木村熊二に招かれて小諸義塾に赴任しました。以降小諸で過ごした6年余の間に「雲」「千曲川のスケッチ」「旧主人」などが生まれ、大作「破戒」が起稿されました。藤村記念館には、藤村の小諸時代を中心とした作品・資料・遺品が多数展示されています。」
皆が凄く熱心に見学。私は直ぐに見終わって二回も見たが、まだ終わらず外で待つ。
椰子の実の歌碑。

苔むした石垣。

「島崎藤村の小諸時代の作である「千曲川旅情の歌」の詩碑で、詩面は藤村の自筆です。
小諸なる 古城のほとり
雲白く 遊子悲しむ
緑なす 繁縷(はこべ)は萌えず
若草も 籍(し)くによしなし」

水の手展望台から千曲川を臨む。

酔月橋。

地獄谷から水の手展望台を見る。

突然、金ぴかの寅さん現る。

小山敬三美術館に入る。

「懐古園内の高台にある小諸市出身の洋画家小山敬三の個人美術館。 小山敬三が建築家村野藤吾設計の館建物と所蔵作品を小諸市に寄贈し、1975年に開館した。 館は外部内部とも曲線を多用するデザインで、館内は湾曲した壁面に絵画が展示される。」
予想通り、皆熱心に鑑賞。NkさんとMkさんが迷子になる。携帯で連絡してようやく到着。
展望100選。木立の中の千曲川。

小山敬三画伯碑。

本丸跡。

弓道場。見事射当てる。

Ynさん、Nk夫妻らと先に出口に到着したが後続は全く現れず。木陰で待つ。
ようやく揃ったので、蕎麦屋で昼食。Hyさんの発案で、合唱。お店の女将も乗って来て良い喉を聞かせる。大いに盛り上がる。

小諸から湯田中温泉に到着。

駅で、宿に行かれる方はこちらからバスが出てますと呼び込みがあったが、誰も現れず。仕方なく待合室で待つ。Hyさんが地図で調べて、南條旅館に向かう。坂が長く続き汗びっしょりになる。
ようやく到着。

南條旅館はHyさんの知り合いの紹介。女将さんが歩いて来られたんですか、バスがあったのにと言われた。やはり駅の呼び込みがそのバスだったのだ。まあ一汗かいたが運動になって良かった。
部屋は立派で、外に池がある。

早速、観光に出かける。
Ynさんが先導役。
道々の花の色が鮮やか。空気のせいか。
葉鶏頭。

桔梗。

北向観音に着く。

「北向観音堂は、平安時代初期の天長2年(825年)、比叡山延暦寺座主の慈覚大師円仁により開創された霊場です。 安和2年(969年)、平維茂は一山を修理し、三楽寺、四院、六十坊を増築したと伝えられています。 寿永元年(1182年)には源平争乱の中、木曾義仲の手により八角三重塔と石造多宝塔を残して全て焼失してしまいますが、源頼朝の命のもと伽藍復興がおこなわれ、建長4年(1252年)、塩田陸奥守北条国時により再興されました。 本堂が北に向いているのは、わが国でもほとんど例がりません。北向観音様は北向に建立され 千手観音様を御本尊として現世利益を願い、また善光寺様は南向きに建立され阿弥陀様を御本尊として未来往生を願います。」
芭蕉の句碑。「「観音のいらかみやりつ花の雲」の芭蕉句が刻まれています。安永3年(1774)3月建立。」

北原白秋歌碑。「1923年(大正12年)に家族と別所へ遊びに来た北原白秋はわずか数日で百六十二首の俳句を詠んだようです。」

愛染カツラ。「樹齢1200年の老木で天長の昔、常楽寺の火坑出現の観世音菩薩が影向(ようごう=神仏が一時姿を現すこと)した霊木といわれています。境内の東隅にある愛染明王堂とこの桂の木に因んで故川口松太郎氏(1899 - 1985、第一回直木賞受賞)が「愛染かつら」を書かれたことはあまりに有名です。若い人たちからは「縁結びの霊木」として親しまれております。」

常楽寺に移動。「常楽寺は北向観音堂が建立された天長2年(825年)、三楽寺の一つとして建立されました。 北向観音の本坊であり、ご本尊は『妙観察智弥陀如来』で全国的にも珍しい阿弥陀様です。 その後、正応5年(1292年)4月、信乃国(信濃国)塩田別所常楽寺で書写された と記述のある「十不二門文心解)」が金沢文庫に遺されており、また、本堂裏の北向観音の霊像が出現した場所には、弘長2年(1262年)の刻銘のある石造多宝塔が保存されていて、鎌倉時代に天台教学の拠点として大いに栄えた常楽寺の歴史を証する貴重な文化財となっています。」

御船の松。「樹齢350年と言われています。少し離れて眺めますと、宝船の形にみえてきます。この宝船で阿弥陀様が極楽浄土へとお連れします。」

石造多宝塔に向かう。坂を登った奥に進む。
「北向観世音様が出現した所で、高さ2m85cmの安山岩で出来ており国の重要文化財に指定されています。多宝塔というのは、上下二層の屋根がある塔です。下の屋根の上に饅頭形という丸いふくらみがあって、その上にまるい塔身があり、二つの屋根がその上にのっています。なお、その上に相輪という柱のようなものが立っています。」

蓮池と石船。蛙が驚いて池に飛び込んだ。

安楽寺に向かう途中に山本宣治の記念碑があった。他の人は誰も気づかず通り過ぎた。
「1929年3月1日、上小農民組合連合会は第2回総会にタカクラ・テルの義兄弟にあたる山本宣治を招き記念講演をしていただきました。この講演の4日後の3月5日、山本宣治は治安維持法改悪承認の議会にただ1人反対演説をすべく上京しましたが、その夜右翼により暗殺されました。上小農民組合連合会は山本宣治の死を悼み、抗議の記念碑をタカクラ・テルの借家の庭に建立しました。1933年2月、治安維持法による県下最大の弾圧事件であった「2・4事件」でタカクラ・テルは逮捕、家族は県外追放となりました。警察は家主の齋藤房雄に碑の取り壊しを命じてきましたが、密かに自宅の庭に埋め38年間守り通しました。」

安楽寺の蓮。

安楽寺。「伝承では天平年間(729 - 749年)、行基の建立とも言い、平安時代の天長年間(824 - 834年)の創立とも言うが、鎌倉時代以前の歴史は判然としない。安楽寺の存在が歴史的に裏付けられるのは、鎌倉時代、実質的な開山である樵谷惟仙が住してからである。」

国宝八角三重塔。「日本に現存する近世以前の八角塔としては唯一のものである。全高(頂上から礎石上端まで)18.75メートル。構造形式は八角三重塔婆、初重裳階(もこし)付、こけら葺である。(四重塔にも見えるが一番下の屋根はひさしに相当する裳階である。)・・・この塔の建立年代は、従来、漠然と鎌倉時代末~室町時代始め頃と考えられていたが、2004年奈良文化財研究所埋蔵文化財センター古環境研究室による年輪年代調査の結果、この三重塔の部材には1289年(正應2年)に伐採した木材が初重内部の蝦虹梁に使われていることが判明した。このことから当塔は13世紀末、1290年代に建築されたものと考えられ、日本最古の禅宗様建築である可能性が高くなった。」


帰路に向かう。
かなり疲れた。昨夜からの目の充血が治らない。
帰って、温泉に入る。汗を流しさっぱりする。露天風呂や大浴場でゆったり。いいねえ。
夕食はご馳走。豪勢だ。麦酒が美味い。Mkさん、Oyさんらと話す。
終わってから、部屋で歌の会をするから出るように言われる。昨夜は疲れてパスしたので今日出なければ、何とかだぞとKsさんに脅される?
面倒だが、参加。歌詞をTnさんとKsさんが用意。熱心だ。ところが最初に歌った歌を皆が知らずKsさんのみ歌う。Hyさんの御主人とNkさんの御主人は参加してるが最初から寝ている。何曲か皆で歌ったが、その内、Ksさんの解説が長くなり、目を開けてられなくなる。隣を見たらHyさんも寝てるので、いいかと眠りにつく。ふと目が覚めたらまだ続いてる。歯を磨いて寝ようと洗面所に向かう。帰ってきたら丁度散会したところだった。私の洗面がきっかけになったみたい。その後、KsさんとTnさんは長々と話し込んでいたが、直ぐに爆睡。
小雀に親雀がせっせと餌を運んでいる。(クリックすると拡大)

朝食後、野辺山山荘を出発。庭のノカンゾウ(野萱草)。

百合。

野辺山駅から八ヶ岳。

野辺山駅。

小諸駅到着。

こんどはツバメの巣。

駅から見える浅間山。

懐古園。三の門。

「小諸城の起源は、平安時代から鎌倉時代にかけて「源平盛衰記」や「平家物語」に登場する小室太郎光兼(木曽義仲の武将)が、現城址の東側に築いた館(宇頭坂城)に始まる。 やがて小室氏は南北朝時代に衰退し、大井氏が勃興して・・・大井宗家は滅亡し、大井家に一部は小諸に逃れ、中沢川のほとりに小諸城の前身である鍋蓋城を築城し、さらに激化する乱世に備え、その子孫が乙女城、別名白鶴城を現在の二の丸付近に築城し、周辺の要地には支城を配置して外敵に備えた。 天文23年(1554年)、甲斐の武田信玄の侵攻で鍋蓋城以下は武田氏の手中に落ち、・・・信玄は、この地の重要性にかんがみ、重臣の山本勘助と馬場信房に命じて鍋蓋・乙女城を取り込んだ新たな縄張りをして城郭を整備し、総合的な大城としたのが小諸城の原型である。・・・ 天正18年(1590年)、豊臣秀吉が天下統一を果たすと、小田原攻めの軍功により再起を果たした仙石秀久が5万石で小諸に封ぜられる。秀久は城の大改修と城下町の整備に取り掛かり、今日遺構の残る天下に類のない堅固な城とした。 世は徳川による天下泰平の時代となり、仙石氏は秀久の子忠政のとき上田城に移り、小諸城は徳川家光の弟の忠長の領有するところとなり、城代が置かれた。その後もめまぐるしく城主が変わり、石高も5万石から2万石へと減らされてきたが、極めて要衝な藩領のため、歴代藩主には徳川譜代が配されていた。・・・ 明治4年(1872年)の廃藩置県で小諸城は役割を終え、明治13年(1880年)に城郭は払い下げられ、小諸藩の旧士族の手により本丸跡に神社が祀られ、「懐古園」と名付けられた。 その後、大正15年(1926年)に、造園の権威である本多静六の設計により、近代的な公園に生まれ変わった。」
二の門跡。

二の丸跡の夏水仙。

趣がある。

南丸跡。

紅葉谷。谷底に紫陽花。

欅。樹齢500年、幹回り6.5m。

小諸市立藤村記念館に入る。島崎藤村像。

「藤村が小諸にやってきたのは、明治32年のことです。かつての恩師、木村熊二に招かれて小諸義塾に赴任しました。以降小諸で過ごした6年余の間に「雲」「千曲川のスケッチ」「旧主人」などが生まれ、大作「破戒」が起稿されました。藤村記念館には、藤村の小諸時代を中心とした作品・資料・遺品が多数展示されています。」
皆が凄く熱心に見学。私は直ぐに見終わって二回も見たが、まだ終わらず外で待つ。
椰子の実の歌碑。

苔むした石垣。

「島崎藤村の小諸時代の作である「千曲川旅情の歌」の詩碑で、詩面は藤村の自筆です。
小諸なる 古城のほとり
雲白く 遊子悲しむ
緑なす 繁縷(はこべ)は萌えず
若草も 籍(し)くによしなし」

水の手展望台から千曲川を臨む。

酔月橋。

地獄谷から水の手展望台を見る。

突然、金ぴかの寅さん現る。

小山敬三美術館に入る。

「懐古園内の高台にある小諸市出身の洋画家小山敬三の個人美術館。 小山敬三が建築家村野藤吾設計の館建物と所蔵作品を小諸市に寄贈し、1975年に開館した。 館は外部内部とも曲線を多用するデザインで、館内は湾曲した壁面に絵画が展示される。」
予想通り、皆熱心に鑑賞。NkさんとMkさんが迷子になる。携帯で連絡してようやく到着。
展望100選。木立の中の千曲川。

小山敬三画伯碑。

本丸跡。

弓道場。見事射当てる。

Ynさん、Nk夫妻らと先に出口に到着したが後続は全く現れず。木陰で待つ。
ようやく揃ったので、蕎麦屋で昼食。Hyさんの発案で、合唱。お店の女将も乗って来て良い喉を聞かせる。大いに盛り上がる。

小諸から湯田中温泉に到着。

駅で、宿に行かれる方はこちらからバスが出てますと呼び込みがあったが、誰も現れず。仕方なく待合室で待つ。Hyさんが地図で調べて、南條旅館に向かう。坂が長く続き汗びっしょりになる。
ようやく到着。

南條旅館はHyさんの知り合いの紹介。女将さんが歩いて来られたんですか、バスがあったのにと言われた。やはり駅の呼び込みがそのバスだったのだ。まあ一汗かいたが運動になって良かった。
部屋は立派で、外に池がある。

早速、観光に出かける。
Ynさんが先導役。
道々の花の色が鮮やか。空気のせいか。
葉鶏頭。

桔梗。

北向観音に着く。

「北向観音堂は、平安時代初期の天長2年(825年)、比叡山延暦寺座主の慈覚大師円仁により開創された霊場です。 安和2年(969年)、平維茂は一山を修理し、三楽寺、四院、六十坊を増築したと伝えられています。 寿永元年(1182年)には源平争乱の中、木曾義仲の手により八角三重塔と石造多宝塔を残して全て焼失してしまいますが、源頼朝の命のもと伽藍復興がおこなわれ、建長4年(1252年)、塩田陸奥守北条国時により再興されました。 本堂が北に向いているのは、わが国でもほとんど例がりません。北向観音様は北向に建立され 千手観音様を御本尊として現世利益を願い、また善光寺様は南向きに建立され阿弥陀様を御本尊として未来往生を願います。」
芭蕉の句碑。「「観音のいらかみやりつ花の雲」の芭蕉句が刻まれています。安永3年(1774)3月建立。」

北原白秋歌碑。「1923年(大正12年)に家族と別所へ遊びに来た北原白秋はわずか数日で百六十二首の俳句を詠んだようです。」

愛染カツラ。「樹齢1200年の老木で天長の昔、常楽寺の火坑出現の観世音菩薩が影向(ようごう=神仏が一時姿を現すこと)した霊木といわれています。境内の東隅にある愛染明王堂とこの桂の木に因んで故川口松太郎氏(1899 - 1985、第一回直木賞受賞)が「愛染かつら」を書かれたことはあまりに有名です。若い人たちからは「縁結びの霊木」として親しまれております。」

常楽寺に移動。「常楽寺は北向観音堂が建立された天長2年(825年)、三楽寺の一つとして建立されました。 北向観音の本坊であり、ご本尊は『妙観察智弥陀如来』で全国的にも珍しい阿弥陀様です。 その後、正応5年(1292年)4月、信乃国(信濃国)塩田別所常楽寺で書写された と記述のある「十不二門文心解)」が金沢文庫に遺されており、また、本堂裏の北向観音の霊像が出現した場所には、弘長2年(1262年)の刻銘のある石造多宝塔が保存されていて、鎌倉時代に天台教学の拠点として大いに栄えた常楽寺の歴史を証する貴重な文化財となっています。」

御船の松。「樹齢350年と言われています。少し離れて眺めますと、宝船の形にみえてきます。この宝船で阿弥陀様が極楽浄土へとお連れします。」

石造多宝塔に向かう。坂を登った奥に進む。
「北向観世音様が出現した所で、高さ2m85cmの安山岩で出来ており国の重要文化財に指定されています。多宝塔というのは、上下二層の屋根がある塔です。下の屋根の上に饅頭形という丸いふくらみがあって、その上にまるい塔身があり、二つの屋根がその上にのっています。なお、その上に相輪という柱のようなものが立っています。」

蓮池と石船。蛙が驚いて池に飛び込んだ。

安楽寺に向かう途中に山本宣治の記念碑があった。他の人は誰も気づかず通り過ぎた。
「1929年3月1日、上小農民組合連合会は第2回総会にタカクラ・テルの義兄弟にあたる山本宣治を招き記念講演をしていただきました。この講演の4日後の3月5日、山本宣治は治安維持法改悪承認の議会にただ1人反対演説をすべく上京しましたが、その夜右翼により暗殺されました。上小農民組合連合会は山本宣治の死を悼み、抗議の記念碑をタカクラ・テルの借家の庭に建立しました。1933年2月、治安維持法による県下最大の弾圧事件であった「2・4事件」でタカクラ・テルは逮捕、家族は県外追放となりました。警察は家主の齋藤房雄に碑の取り壊しを命じてきましたが、密かに自宅の庭に埋め38年間守り通しました。」

安楽寺の蓮。

安楽寺。「伝承では天平年間(729 - 749年)、行基の建立とも言い、平安時代の天長年間(824 - 834年)の創立とも言うが、鎌倉時代以前の歴史は判然としない。安楽寺の存在が歴史的に裏付けられるのは、鎌倉時代、実質的な開山である樵谷惟仙が住してからである。」

国宝八角三重塔。「日本に現存する近世以前の八角塔としては唯一のものである。全高(頂上から礎石上端まで)18.75メートル。構造形式は八角三重塔婆、初重裳階(もこし)付、こけら葺である。(四重塔にも見えるが一番下の屋根はひさしに相当する裳階である。)・・・この塔の建立年代は、従来、漠然と鎌倉時代末~室町時代始め頃と考えられていたが、2004年奈良文化財研究所埋蔵文化財センター古環境研究室による年輪年代調査の結果、この三重塔の部材には1289年(正應2年)に伐採した木材が初重内部の蝦虹梁に使われていることが判明した。このことから当塔は13世紀末、1290年代に建築されたものと考えられ、日本最古の禅宗様建築である可能性が高くなった。」


帰路に向かう。
かなり疲れた。昨夜からの目の充血が治らない。
帰って、温泉に入る。汗を流しさっぱりする。露天風呂や大浴場でゆったり。いいねえ。
夕食はご馳走。豪勢だ。麦酒が美味い。Mkさん、Oyさんらと話す。
終わってから、部屋で歌の会をするから出るように言われる。昨夜は疲れてパスしたので今日出なければ、何とかだぞとKsさんに脅される?
面倒だが、参加。歌詞をTnさんとKsさんが用意。熱心だ。ところが最初に歌った歌を皆が知らずKsさんのみ歌う。Hyさんの御主人とNkさんの御主人は参加してるが最初から寝ている。何曲か皆で歌ったが、その内、Ksさんの解説が長くなり、目を開けてられなくなる。隣を見たらHyさんも寝てるので、いいかと眠りにつく。ふと目が覚めたらまだ続いてる。歯を磨いて寝ようと洗面所に向かう。帰ってきたら丁度散会したところだった。私の洗面がきっかけになったみたい。その後、KsさんとTnさんは長々と話し込んでいたが、直ぐに爆睡。
こまくさ 飯盛山
こまくさ旅行に出かける。Sさんに見送られて出発。靴は迷ったが登山靴ではなくて何時ものウォーキングシューズ。ストックも持たない。雨具も最小限にした。スポーツドリンクは3本持つ。
コンビニでお握りを買う。八王子駅で、新宿から乗って来た仲間と合流。スーパーあずさ。
Hy夫妻がリーダー。参加者は、Nk夫妻、Oyさん、Ynさん、Mkさん、Ksさん、Tnさん、Hdさんの11名。
昨夜、睡眠時間が少なかったので、眠い。
小淵沢駅から、小海線に乗り換え野辺山に向かう。小海線は若い時以来乗っていない。
11時28分野辺山駅に到着。(クリックすると拡大)

駅の女郎花。

今夜泊る野辺山山荘に荷物を預けて出発。11時52分。

涼しさを期待したが、猛烈に暑い。
アスファルト道路を一列になって歩く。途中、花が良く咲いてる。
コスモス。

きばなののこぎりそう(黄花の鋸草)?

南牧村農村文化情報交流館 ベジタボール・ウィズで昼食。12時20分。日陰で握り飯を食べる。

ここで、飯盛山へ行く途中の獅子岩まで行こうと呼びかける。飯盛山には誘導して欲しいとHyさんから頼まれている。Nkさんの御主人とHyさんの御主人は、ここで休むと言うので、9人で出発。
直ぐに登山道に入る。13時15分。門があって縄で縛ってある。縄をほどいてまた結んでおく。木陰は涼しい。
フシグロセンノウ。

途中、休憩してゆっくり歩いて言われる。歩き出したばかりなのにと思うが、休憩。
獅子岩に到着。13時39分。

岩の上に登る。登って来たのはOyさん、Ynさん位で後は、危ないと登ってこない。子供たちがぴょんぴょんと身軽に登ったり、穴の中に隠れたりしてる。
残念ながら八ヶ岳は雲がかかってる。
国立宇宙電波観測所のパラボラアンテナが見える。

マツムシソウ。

飯盛山に向かう仲間と、ここまでの人と別れる。行くのはOyさん、Ynさん、Ksさん、Tnさんの5人。さあ出発と思ったらHyさんの御主人がアスファルト道路を歩いて登って来た。奥さんが向こうで休んでますよと教える。
13時51分出発。

ゆっくり歩くが、Oyさん以外は遅れてしまうので、何度も後続が見えるまで待つ。
シモツケ。一杯咲いてる。

タカネシュロソウ(高嶺棕櫚草)。珍しい。

つりがねにんじん(釣り鐘人参)。

林を抜けて、平沢山に登る道でなくて、撒いて行く見通しの良い道に出る。向こうに飯盛山が見える。14時32分。

ここでTnさんは待ってると言う。少し疲れたようだ。4人で先に進む。Oyさん、Ynさん、Ksさん。
はくさんふうろ(白山風露)。


いぶきとらのお(伊吹虎の尾)。

マツムシソウが一杯咲いている。Oyさんが歓声を上げる。

いよいよ近づいてきた。

後一息。

かわらなでしこ(河原撫子)。

14時51分山頂到着。1642m。

平沢岳奥の八ヶ岳は雲にかかって見えない。

南アルプスが見えるはずだが。

下山。
しもつけそう(下野草)。一杯咲いてる。


われもこう(割れ木爪)。

ひめるりとらのお(姫瑠璃虎の尾)?

写真を撮ってたら、皆に離される。KsさんはTnさんとの合流場所までは早い。
Tnさんと合流。人に逢わなかったと言う。夫婦連れがいたはずだが、寝てたのかな。
再び、林の中に入ったので、少し飛ばしますよと速度を上げたら、Oyさん以外は離れてしまった。Oyさんは獅子岩で待ちましょうよと言ったが、一本道だから迷うことはないだろうと先に進む。
どんどん降りて、途中で待ったが、なかなか現れない。心配して電話したが留守電。
ユウスゲ(夕菅)?

止む無く、最初の登山口まで、降りて待とうとしたら、丁度獅子岩からの車道を降りてくるのと合流した。15時44分。やはい獅子岩のところで待つべきだった。
ウツボグサ(靫草)。

飯盛山を登らなかったメンバーは、南牧村農村文化情報交流館でソフトクリームを食べたと聞いたので、そこでソフトクリームを食べる。今日は一杯、売れましたと店のマスターがニコニコ話す。16時15分。

野辺山山荘から飯盛山を往復して着くまで、昼食で休んだが、6時間位かかる。3時間で往復できるところなので倍かかった。のんびりして良かったが。
風呂に入って、ゆったり。寝不足で疲れたのか、左目が充血してる。
食事は、量が多い。麦酒で乾杯。いろいろおしゃべり。普段、あまりしゃべる機会のないMkさんとしゃべれて楽しかった。
夜は、二次会と言われたが、もう目が開いてられなくてSさんに電話してから、8時過ぎにバタンキュー。9時間近く休む。
コンビニでお握りを買う。八王子駅で、新宿から乗って来た仲間と合流。スーパーあずさ。
Hy夫妻がリーダー。参加者は、Nk夫妻、Oyさん、Ynさん、Mkさん、Ksさん、Tnさん、Hdさんの11名。
昨夜、睡眠時間が少なかったので、眠い。
小淵沢駅から、小海線に乗り換え野辺山に向かう。小海線は若い時以来乗っていない。
11時28分野辺山駅に到着。(クリックすると拡大)

駅の女郎花。

今夜泊る野辺山山荘に荷物を預けて出発。11時52分。

涼しさを期待したが、猛烈に暑い。
アスファルト道路を一列になって歩く。途中、花が良く咲いてる。
コスモス。

きばなののこぎりそう(黄花の鋸草)?

南牧村農村文化情報交流館 ベジタボール・ウィズで昼食。12時20分。日陰で握り飯を食べる。

ここで、飯盛山へ行く途中の獅子岩まで行こうと呼びかける。飯盛山には誘導して欲しいとHyさんから頼まれている。Nkさんの御主人とHyさんの御主人は、ここで休むと言うので、9人で出発。
直ぐに登山道に入る。13時15分。門があって縄で縛ってある。縄をほどいてまた結んでおく。木陰は涼しい。
フシグロセンノウ。

途中、休憩してゆっくり歩いて言われる。歩き出したばかりなのにと思うが、休憩。
獅子岩に到着。13時39分。

岩の上に登る。登って来たのはOyさん、Ynさん位で後は、危ないと登ってこない。子供たちがぴょんぴょんと身軽に登ったり、穴の中に隠れたりしてる。
残念ながら八ヶ岳は雲がかかってる。
国立宇宙電波観測所のパラボラアンテナが見える。

マツムシソウ。

飯盛山に向かう仲間と、ここまでの人と別れる。行くのはOyさん、Ynさん、Ksさん、Tnさんの5人。さあ出発と思ったらHyさんの御主人がアスファルト道路を歩いて登って来た。奥さんが向こうで休んでますよと教える。
13時51分出発。

ゆっくり歩くが、Oyさん以外は遅れてしまうので、何度も後続が見えるまで待つ。
シモツケ。一杯咲いてる。

タカネシュロソウ(高嶺棕櫚草)。珍しい。

つりがねにんじん(釣り鐘人参)。

林を抜けて、平沢山に登る道でなくて、撒いて行く見通しの良い道に出る。向こうに飯盛山が見える。14時32分。

ここでTnさんは待ってると言う。少し疲れたようだ。4人で先に進む。Oyさん、Ynさん、Ksさん。
はくさんふうろ(白山風露)。


いぶきとらのお(伊吹虎の尾)。

マツムシソウが一杯咲いている。Oyさんが歓声を上げる。

いよいよ近づいてきた。

後一息。

かわらなでしこ(河原撫子)。

14時51分山頂到着。1642m。

平沢岳奥の八ヶ岳は雲にかかって見えない。

南アルプスが見えるはずだが。

下山。
しもつけそう(下野草)。一杯咲いてる。


われもこう(割れ木爪)。

ひめるりとらのお(姫瑠璃虎の尾)?

写真を撮ってたら、皆に離される。KsさんはTnさんとの合流場所までは早い。
Tnさんと合流。人に逢わなかったと言う。夫婦連れがいたはずだが、寝てたのかな。
再び、林の中に入ったので、少し飛ばしますよと速度を上げたら、Oyさん以外は離れてしまった。Oyさんは獅子岩で待ちましょうよと言ったが、一本道だから迷うことはないだろうと先に進む。
どんどん降りて、途中で待ったが、なかなか現れない。心配して電話したが留守電。
ユウスゲ(夕菅)?

止む無く、最初の登山口まで、降りて待とうとしたら、丁度獅子岩からの車道を降りてくるのと合流した。15時44分。やはい獅子岩のところで待つべきだった。
ウツボグサ(靫草)。

飯盛山を登らなかったメンバーは、南牧村農村文化情報交流館でソフトクリームを食べたと聞いたので、そこでソフトクリームを食べる。今日は一杯、売れましたと店のマスターがニコニコ話す。16時15分。

野辺山山荘から飯盛山を往復して着くまで、昼食で休んだが、6時間位かかる。3時間で往復できるところなので倍かかった。のんびりして良かったが。
風呂に入って、ゆったり。寝不足で疲れたのか、左目が充血してる。
食事は、量が多い。麦酒で乾杯。いろいろおしゃべり。普段、あまりしゃべる機会のないMkさんとしゃべれて楽しかった。
夜は、二次会と言われたが、もう目が開いてられなくてSさんに電話してから、8時過ぎにバタンキュー。9時間近く休む。
On先生ありがとう!の会
庭のインドハマユウ。(クリックすると拡大)今まで、夏水仙と間違えていた。

朝顔。

バンマツリ。

ヤブラン。

宿根サルビア。

サフランモドキ、別名 ゼフィランサス。

明日からのこまくさ旅行の準備をする。
「On先生ありがとう!」の会に出かける。
東京ガーデンプレス。少し遅れた。
テーブルにテナーが集まっていたので、そこに行こうとしたら、Hyさんがそっちは男ばかりだからこっちに来たらと言ってくれたが、テナーのテーブルに取りあえず行く。
今日は、全員参加。主役のOn先生が残念ながら、やむを得ない用事で、欠席。主役を欠くが、随分盛り上がってきた。テナーは、Htさん、Thさん、Tuさん、Skさん、Frさん、Ksさん、Nzさん。Kkさんのみ他のテーブルに呼びこまれている。最初はIkさんが紛れ込んでいたが、何時の間にかいなくなる。
団長挨拶で始まる。
Tuさんがカメラマンで忙しい。私もやったことがあるが、ろくに食事もとれない。
Is先生が、でんごんばんの記事を持って来てくれた。昨夜、催促のメールを送ったら、すっかり忘れていたそうで、夜に書いてくれたようだ。Is先生は自分のコンサートを控えていて忙しいのに、書いてくれた。感謝感謝。
Skさんが会社を変わったので、その話を詳しく聞く。事業の話は、つい力が入って聞いてしまう。Skさんは経営的センスがありそうなので頼もしい。「島よ」で苦戦してると言ったら、テナーのセカンドを歌ったことがあるので、「島よ」だけセカンドで歌いましょうと言ってくれた。助かる。
Htさんと折半の意味についてとか、いろいろ話したが良く覚えてない。
久しぶりに、Myさんに会ったので、元気そうだねと挨拶。
Kmさん、Nzさんが来て、富士登山の話をいろいろする。考えてみたら、来週だ。この前のニュウ登山で、多分、高山病は大丈夫と思うが、頭が痛くなったら、高山病だから降りるしかないと忠告。持ち物とかいろいろな注意はリーダーのKhさんが言ってくるだろうが、ヘッドランプはいるよとアドバイス。前日は酒を飲まないこと、寝不足にならないことなど。まさか水曜会で山の話をこんなにするとは思わなかった。
Gtさんが来ていたので、傍に行っていろいろ話を聞く。いろいろ家庭の事情はあるようだが、1年前より、状況が良くなってるようなので、是非戻って来てと頼む。
Knさんが九州から駆け付けて、「島よ」は歌いたいから合宿に出ると言う。火曜なら、月一回くらいは出張できそうだと言う。是非、来てくださいと頼む。
Tkさんに(ニュウで靴底が剥がれてしまったので)新しく登山靴買ってと言ったら、まだ3年くらいしかたってない靴があるそうだ。
Ogさんが、大雪山の十勝岳を登るそうだ。昨年は、旭岳で遭難しそうになった。山の話で盛り上がったが、Msさんに連れ去られた。
Oyさんから、YY会ではお世話になりました。また明日からのこまくさでよろしくと言われる。
Hyさんに(こまくさで唯一登る)飯盛山登山のリーダーはお願いしますと言われる。
Fr夫人と体調の話をする。休んでいたが復帰できそう。
Smさんの司会で挨拶が始まる。まずは休団中の方々。
九州から来たKnさん、演奏会は素晴らしかったと。合宿は参加したいと言う。
Myさんは、子育て中だが、演奏会を聞いて、何とか参加できないかと考えたが、もうしばらくは無理。皆さんが残っていれば、いつか復活すると言う。大拍手。
Hrさんは、仕事が忙しくて、後、数年は難しいが、ぜひ戻りたいと言う。
Gtさんは、1年間家庭サービスに努め、今までのコーラス一途の罪滅ぼしをした。このまま(コーラスを)辞めようと思ったが、今は半々の気持ち。皆が帰って来てと叫ぶ。
Kyさんは、いろいろあって休団してるが戻りたい気持ちはあると言う。
皆、歌が好きなんだ。
Is先生の挨拶。心温まる挨拶で感動。やれることは今やっておこうと言う言葉が印象に残る。On先生のために歌った「風のなかのおとうさん」はOn先生に聞かせたかった。
Nkさん、HtさんがOn先生を送る言葉。自分の言葉で話してるので心がこもっている。二人ともでんごんばんに記事をくれた。
TsさんがOn先生用に用意してきた指揮棒を、不在のOn先生が椅子に腰かけていると見立てて、贈呈式を行う。この会の発案者。場所も予約してくれた。
男性が前に出て、歌う。「いざたて戦人よ」。演奏会で歌った「サバンナの風」を全員で歌う。あんなに暗譜したのに、もう忘れかかっていた。
時間が来て、会も終了。
帰りは、二次会も行かずに、まっすぐ帰る。明日、こまくさの旅行がなければ久しぶりに二次会も行きたかった。Fjさんとこの頃、一緒になりませんねと話す。Tzさんと話せてよかった。

朝顔。

バンマツリ。

ヤブラン。

宿根サルビア。

サフランモドキ、別名 ゼフィランサス。

明日からのこまくさ旅行の準備をする。
「On先生ありがとう!」の会に出かける。
東京ガーデンプレス。少し遅れた。
テーブルにテナーが集まっていたので、そこに行こうとしたら、Hyさんがそっちは男ばかりだからこっちに来たらと言ってくれたが、テナーのテーブルに取りあえず行く。
今日は、全員参加。主役のOn先生が残念ながら、やむを得ない用事で、欠席。主役を欠くが、随分盛り上がってきた。テナーは、Htさん、Thさん、Tuさん、Skさん、Frさん、Ksさん、Nzさん。Kkさんのみ他のテーブルに呼びこまれている。最初はIkさんが紛れ込んでいたが、何時の間にかいなくなる。
団長挨拶で始まる。
Tuさんがカメラマンで忙しい。私もやったことがあるが、ろくに食事もとれない。
Is先生が、でんごんばんの記事を持って来てくれた。昨夜、催促のメールを送ったら、すっかり忘れていたそうで、夜に書いてくれたようだ。Is先生は自分のコンサートを控えていて忙しいのに、書いてくれた。感謝感謝。
Skさんが会社を変わったので、その話を詳しく聞く。事業の話は、つい力が入って聞いてしまう。Skさんは経営的センスがありそうなので頼もしい。「島よ」で苦戦してると言ったら、テナーのセカンドを歌ったことがあるので、「島よ」だけセカンドで歌いましょうと言ってくれた。助かる。
Htさんと折半の意味についてとか、いろいろ話したが良く覚えてない。
久しぶりに、Myさんに会ったので、元気そうだねと挨拶。
Kmさん、Nzさんが来て、富士登山の話をいろいろする。考えてみたら、来週だ。この前のニュウ登山で、多分、高山病は大丈夫と思うが、頭が痛くなったら、高山病だから降りるしかないと忠告。持ち物とかいろいろな注意はリーダーのKhさんが言ってくるだろうが、ヘッドランプはいるよとアドバイス。前日は酒を飲まないこと、寝不足にならないことなど。まさか水曜会で山の話をこんなにするとは思わなかった。
Gtさんが来ていたので、傍に行っていろいろ話を聞く。いろいろ家庭の事情はあるようだが、1年前より、状況が良くなってるようなので、是非戻って来てと頼む。
Knさんが九州から駆け付けて、「島よ」は歌いたいから合宿に出ると言う。火曜なら、月一回くらいは出張できそうだと言う。是非、来てくださいと頼む。
Tkさんに(ニュウで靴底が剥がれてしまったので)新しく登山靴買ってと言ったら、まだ3年くらいしかたってない靴があるそうだ。
Ogさんが、大雪山の十勝岳を登るそうだ。昨年は、旭岳で遭難しそうになった。山の話で盛り上がったが、Msさんに連れ去られた。
Oyさんから、YY会ではお世話になりました。また明日からのこまくさでよろしくと言われる。
Hyさんに(こまくさで唯一登る)飯盛山登山のリーダーはお願いしますと言われる。
Fr夫人と体調の話をする。休んでいたが復帰できそう。
Smさんの司会で挨拶が始まる。まずは休団中の方々。
九州から来たKnさん、演奏会は素晴らしかったと。合宿は参加したいと言う。
Myさんは、子育て中だが、演奏会を聞いて、何とか参加できないかと考えたが、もうしばらくは無理。皆さんが残っていれば、いつか復活すると言う。大拍手。
Hrさんは、仕事が忙しくて、後、数年は難しいが、ぜひ戻りたいと言う。
Gtさんは、1年間家庭サービスに努め、今までのコーラス一途の罪滅ぼしをした。このまま(コーラスを)辞めようと思ったが、今は半々の気持ち。皆が帰って来てと叫ぶ。
Kyさんは、いろいろあって休団してるが戻りたい気持ちはあると言う。
皆、歌が好きなんだ。
Is先生の挨拶。心温まる挨拶で感動。やれることは今やっておこうと言う言葉が印象に残る。On先生のために歌った「風のなかのおとうさん」はOn先生に聞かせたかった。
Nkさん、HtさんがOn先生を送る言葉。自分の言葉で話してるので心がこもっている。二人ともでんごんばんに記事をくれた。
TsさんがOn先生用に用意してきた指揮棒を、不在のOn先生が椅子に腰かけていると見立てて、贈呈式を行う。この会の発案者。場所も予約してくれた。
男性が前に出て、歌う。「いざたて戦人よ」。演奏会で歌った「サバンナの風」を全員で歌う。あんなに暗譜したのに、もう忘れかかっていた。
時間が来て、会も終了。
帰りは、二次会も行かずに、まっすぐ帰る。明日、こまくさの旅行がなければ久しぶりに二次会も行きたかった。Fjさんとこの頃、一緒になりませんねと話す。Tzさんと話せてよかった。
しまはーさだめられた
庭のポンテテリア。(クリックすると拡大)

歌の練習をしてから、出かける。
この前見つからなかった箕輪洞谷横穴墓群が気になって、何かモニュメントでも残ってないかと出かける。
近所のイソトマ。

日吉の丘公園入り口。この前はこの周辺を探したが、反対側にあるのではと公園を突っ切る。

クサギ(臭木)の花。木が大きい。

公園の広場。誰もいなかった。蝉しぐれが凄い。蜩も鳴いてる。

長い階段を下りて反対側に出る。

あった。箕輪洞谷横穴墓群のあったところの壁面の表示。「現在は、横穴墓内部を見学することはできません。これまでに、横浜市は横穴墓の主なものの位置を壁面に表示する工事を行いました。」とある。

これは気が付く人は誰もいないだろう。
調査資料によれば「死者の安住の場所であるはずの玄室内は、閉じてしまえば闇の世界です。しかし、壁画が描かれている例や天幕てんまくのようなものが張られていたことを想像させる壁面に突き刺さった鉤状の金具が残されている例などから、内部を飾る行為(むずかしい言葉ですが、「神聖化」あるいは「荘厳化」といえましょうか)がなされていたと考えられます。 床面に敷き詰められる河原石(敷石)も、そのような行為の一つではないでしょうか。石が敷き詰められていた例は、4つで確かめられました。いずれも一部が失われていましたが、・・・いずれも本来は500kgほどの河原石が運びこまれていたと推定されます。これらの河原石はどこから、どのように運ばれて来たのでしょうか。これは想像ですが、おそらく多摩川のどこかから、馬などを使って運んだのではないかと思われます。近くを流れる鶴見川には、河原石がありません。ゴロゴロ転がっている河原石でも、この地域の人はムラ境を越え、相当の労力・費用をつぎ込んで手に入れたのです。
◆お墓が作られたのはいつか
副葬品は、装身具(耳飾り・ガラス玉など)、鉄製武器および武器に付属する金具(刀・鏃・両頭金具)工具(刀子)が発見されました。耳飾りは、銅に金メッキしたものです。・・・このほか、葬送のまつりの際などにお神酒などを入れて供えたと想像される器が出土しています。この器は、「須恵器」と呼ばれる焼き物で、古墳時代の中頃に朝鮮半島の陶工によってその技術がもたらされました。今回出土した須恵器は、いずれも東海地方で生産されたものと推定されます。 箕輪洞谷横穴墓群がつくられた年代は、横穴墓の形や発見された遺物の特徴などから、7世紀(西暦600年代)中頃から終わり頃を中心とする時期と考えられ、50年間ほどにわたって営まれたとみられます。・・・」
永い眠りの後発掘され、再び永い眠りについたのだろう。
道祖神。

長い階段を上がって帰路に着く。

?

シャワーを浴びて一休みしてから水曜会に出かける。
Tkさんが、YY会で靴が剥がれて迷惑をかけたことを謝る。面倒を見てくれたMzさんに感謝。仲間を褒められることは嬉しい。Ydさんから、Rnさんが道に迷って迷惑かけたようだと言われる。ばらばらに登るんですかと聞かれたが、普通は何人かまとまって登ってる。
体操はTuさん。
発声練習は団長がお休みなので、Yk先生。ピアノはOnさん。
「ノスタルジア」信長貴富編曲。
「花」滝廉太郎作曲、武島羽衣作詩。
男声の軽快さ。
最初から、休符、強弱、リズムをつけること。
「赤とんぼ」山田耕作作曲、三木露風作詩。
「ゆうやけこやけのあかとんぼーー」はノーブレス。
「たえはてた」4パート「た」を揃える。
M-M-M-は赤とんぼが飛んでいく様。
休憩。
Hmさんより、でんごんばん記事用に「おしまずき抒抄」作詩者のKjさんの御礼文を借りる。
テナーの欠席は、Frさん。遅れてNzさん。Htさん、Thさん、Tuさん、Ksさん、Kkさん、Skさん参加。
明日のOn先生ありがとうの会は、急にOn先生が来れなくなったとHmさんから報告あり。皆、がっかりしたが、止むを得ない内容。ホテルの関係で延期は出来ない。Is先生はお見えになるので、主役抜きで行う。
9月からの練習は、7時~9時半。7時から声出しで、9時半には部屋を開ける。
演奏会の日にち、時間は従来通り。
「でんごんばん」の発行をHmさんより催促された。直ぐには出来ない。15日位と答えたら、記事を早く出してくれたHtさんが、あれ催促されてる日程と違うとクレーム?Yk先生の記事を待っていたと弁明?したら、Yk先生が今日、出したと裏付けてくれた。Md先生は夜中の2時に送って来てくれた。Is先生からまだ来ていないので帰ったら、催促して明日の会に持って来てもらおう。忙しい中、書いて貰ってるので感謝感謝。
アルトのMsさんが見学。人生の最後に混声しても良いかなと挨拶。入ってくれそうだ。
引き続いて「ノスタルジア」の「朧月夜」岡野貞一作曲、高野辰之作詩。
「かわずのなくねーも」はソプラノとのユニゾン。仲良くしてと言われる。仲悪いのと聞かれて、本当は仲悪いと誰かがつぶやく。
「島よ」大中恩作曲、伊藤海彦作詩。
「しまーさだめられた」のテナーがトップとセカンドに分かれるところで、音がずれる。最初から、上手く歌えてないところ。
「そらに」「そらに」「きぎの」ソプラノ、アルト、テナー揃える。
「しろくあわだつ」「だつ」は下がりきってない。
飲み会はパス。明日はOn先生ありがとうの会がある。その後、「こまくさ」で旅行があるので自重。

歌の練習をしてから、出かける。
この前見つからなかった箕輪洞谷横穴墓群が気になって、何かモニュメントでも残ってないかと出かける。
近所のイソトマ。

日吉の丘公園入り口。この前はこの周辺を探したが、反対側にあるのではと公園を突っ切る。

クサギ(臭木)の花。木が大きい。

公園の広場。誰もいなかった。蝉しぐれが凄い。蜩も鳴いてる。

長い階段を下りて反対側に出る。

あった。箕輪洞谷横穴墓群のあったところの壁面の表示。「現在は、横穴墓内部を見学することはできません。これまでに、横浜市は横穴墓の主なものの位置を壁面に表示する工事を行いました。」とある。

これは気が付く人は誰もいないだろう。
調査資料によれば「死者の安住の場所であるはずの玄室内は、閉じてしまえば闇の世界です。しかし、壁画が描かれている例や天幕てんまくのようなものが張られていたことを想像させる壁面に突き刺さった鉤状の金具が残されている例などから、内部を飾る行為(むずかしい言葉ですが、「神聖化」あるいは「荘厳化」といえましょうか)がなされていたと考えられます。 床面に敷き詰められる河原石(敷石)も、そのような行為の一つではないでしょうか。石が敷き詰められていた例は、4つで確かめられました。いずれも一部が失われていましたが、・・・いずれも本来は500kgほどの河原石が運びこまれていたと推定されます。これらの河原石はどこから、どのように運ばれて来たのでしょうか。これは想像ですが、おそらく多摩川のどこかから、馬などを使って運んだのではないかと思われます。近くを流れる鶴見川には、河原石がありません。ゴロゴロ転がっている河原石でも、この地域の人はムラ境を越え、相当の労力・費用をつぎ込んで手に入れたのです。
◆お墓が作られたのはいつか
副葬品は、装身具(耳飾り・ガラス玉など)、鉄製武器および武器に付属する金具(刀・鏃・両頭金具)工具(刀子)が発見されました。耳飾りは、銅に金メッキしたものです。・・・このほか、葬送のまつりの際などにお神酒などを入れて供えたと想像される器が出土しています。この器は、「須恵器」と呼ばれる焼き物で、古墳時代の中頃に朝鮮半島の陶工によってその技術がもたらされました。今回出土した須恵器は、いずれも東海地方で生産されたものと推定されます。 箕輪洞谷横穴墓群がつくられた年代は、横穴墓の形や発見された遺物の特徴などから、7世紀(西暦600年代)中頃から終わり頃を中心とする時期と考えられ、50年間ほどにわたって営まれたとみられます。・・・」
永い眠りの後発掘され、再び永い眠りについたのだろう。
道祖神。

長い階段を上がって帰路に着く。

?

シャワーを浴びて一休みしてから水曜会に出かける。
Tkさんが、YY会で靴が剥がれて迷惑をかけたことを謝る。面倒を見てくれたMzさんに感謝。仲間を褒められることは嬉しい。Ydさんから、Rnさんが道に迷って迷惑かけたようだと言われる。ばらばらに登るんですかと聞かれたが、普通は何人かまとまって登ってる。
体操はTuさん。
発声練習は団長がお休みなので、Yk先生。ピアノはOnさん。
「ノスタルジア」信長貴富編曲。
「花」滝廉太郎作曲、武島羽衣作詩。
男声の軽快さ。
最初から、休符、強弱、リズムをつけること。
「赤とんぼ」山田耕作作曲、三木露風作詩。
「ゆうやけこやけのあかとんぼーー」はノーブレス。
「たえはてた」4パート「た」を揃える。
M-M-M-は赤とんぼが飛んでいく様。
休憩。
Hmさんより、でんごんばん記事用に「おしまずき抒抄」作詩者のKjさんの御礼文を借りる。
テナーの欠席は、Frさん。遅れてNzさん。Htさん、Thさん、Tuさん、Ksさん、Kkさん、Skさん参加。
明日のOn先生ありがとうの会は、急にOn先生が来れなくなったとHmさんから報告あり。皆、がっかりしたが、止むを得ない内容。ホテルの関係で延期は出来ない。Is先生はお見えになるので、主役抜きで行う。
9月からの練習は、7時~9時半。7時から声出しで、9時半には部屋を開ける。
演奏会の日にち、時間は従来通り。
「でんごんばん」の発行をHmさんより催促された。直ぐには出来ない。15日位と答えたら、記事を早く出してくれたHtさんが、あれ催促されてる日程と違うとクレーム?Yk先生の記事を待っていたと弁明?したら、Yk先生が今日、出したと裏付けてくれた。Md先生は夜中の2時に送って来てくれた。Is先生からまだ来ていないので帰ったら、催促して明日の会に持って来てもらおう。忙しい中、書いて貰ってるので感謝感謝。
アルトのMsさんが見学。人生の最後に混声しても良いかなと挨拶。入ってくれそうだ。
引き続いて「ノスタルジア」の「朧月夜」岡野貞一作曲、高野辰之作詩。
「かわずのなくねーも」はソプラノとのユニゾン。仲良くしてと言われる。仲悪いのと聞かれて、本当は仲悪いと誰かがつぶやく。
「島よ」大中恩作曲、伊藤海彦作詩。
「しまーさだめられた」のテナーがトップとセカンドに分かれるところで、音がずれる。最初から、上手く歌えてないところ。
「そらに」「そらに」「きぎの」ソプラノ、アルト、テナー揃える。
「しろくあわだつ」「だつ」は下がりきってない。
飲み会はパス。明日はOn先生ありがとうの会がある。その後、「こまくさ」で旅行があるので自重。
飲み会3時間半
暑い暑い。時々雨が来て変な天気。
Sさんが物産展で豚足と鱒鮨を買ってきたわよと帰ってくる。今日は飲み会があるので、あまり食べないほうが良いと思ったが、見たら実に美味そう。Sさんもはしゃいでるので食べる食べると答える。
豚足は柔らかくて実に美味い。半ぶっこして食べる。鱒鮨も実に美味い。お腹一杯になってしまった。4時半から飲み会なのに、お腹一杯。少し柔軟体操してお腹を減らそうとしたがあまり効果なし。
飲み会に出かける。
近所のカンナ。

ベコニア。

待ち合わせ場所でYdさんに会う。Kgさんは急に来れなくなった。
何時ものYdさんご贔屓のお店に行く。従業員とは顔なじみのようで、つい最近も来たみたい。
今日は刺身が特別性と勧められたのでそれを頼む。確かに凄い内容。何時もなら箸を出すところだが、豚足と鱒鮨でお腹がまだふさがっており、あまり手が出ない。麦酒は美味い。その後焼。
Ydさんが山岳部時代の仲間と行っていた山小屋の話を地図を見ながら説明を聞く。どうも後輩が一杯いたようで、炊事から何から皆やってくれ、お殿様気分だったようだ。女性もいる。 郡上市の大日岳の近くらしい。大日岳は途中まで登ってYdさん上まで行きますかと聞かれたが、もう降りると言ったそうだ。山男も形無し。
俄然元気が出て、ニュウに登った話をする。TVで放送してたそうだ。どうりで人が多かった。
山はこの頃、人気で山ガールも多い。富士山に登ると言ったら、それは大変だと言う。仲間でもやめた方が良いと言うのとぜひ登ったほうが良いと言うのと別れているそうだ。ご来光は人生観が変わると言った山仲間もいるそうだ。水曜会の演奏会に来てくれたので、コーラスの仲間が登りたいと言ってるので、同行すると言ったら、それは行かなくちゃと言ってくれた。初めて富士登山に賛同してくれる人がいた。
昔話はあまり好まないが、この前会ったYH会の話をしたら、そこから発展して次々と昔の話が出てきた。Ydさんは営業だけあって面白い話を一杯知っている。ついつい興が乗って、私も昔の失敗談を一杯した。
お金は公私混同しない、社内の女性には手を出さない、嘘をつかないと教育を受けたと言う話が発展。嘘をついたことはないが結果として嘘になったことはごまんとあると言う話になる。これが出るは出るは一杯あって、止まらなくなった。ほとんどが納期遅延と事故、予算未達成、黒字が赤字になったと言うたぐいの話。時効と思うが具体的内容はとても公には出来ない。振り返ってみると正直者だと思っていたが、結果嘘は一杯ついてしまった。当時は深刻な話でストレス一杯だったが、今は笑い話で済む。幸い、今はほとんど嘘つくことはないのでストレスが溜まらない。
とうとう3時間半も話し込んでしまった。
昔話も自慢話でなければ実に愉快。
Sさんが物産展で豚足と鱒鮨を買ってきたわよと帰ってくる。今日は飲み会があるので、あまり食べないほうが良いと思ったが、見たら実に美味そう。Sさんもはしゃいでるので食べる食べると答える。
豚足は柔らかくて実に美味い。半ぶっこして食べる。鱒鮨も実に美味い。お腹一杯になってしまった。4時半から飲み会なのに、お腹一杯。少し柔軟体操してお腹を減らそうとしたがあまり効果なし。
飲み会に出かける。
近所のカンナ。

ベコニア。

待ち合わせ場所でYdさんに会う。Kgさんは急に来れなくなった。
何時ものYdさんご贔屓のお店に行く。従業員とは顔なじみのようで、つい最近も来たみたい。
今日は刺身が特別性と勧められたのでそれを頼む。確かに凄い内容。何時もなら箸を出すところだが、豚足と鱒鮨でお腹がまだふさがっており、あまり手が出ない。麦酒は美味い。その後焼。
Ydさんが山岳部時代の仲間と行っていた山小屋の話を地図を見ながら説明を聞く。どうも後輩が一杯いたようで、炊事から何から皆やってくれ、お殿様気分だったようだ。女性もいる。 郡上市の大日岳の近くらしい。大日岳は途中まで登ってYdさん上まで行きますかと聞かれたが、もう降りると言ったそうだ。山男も形無し。
俄然元気が出て、ニュウに登った話をする。TVで放送してたそうだ。どうりで人が多かった。
山はこの頃、人気で山ガールも多い。富士山に登ると言ったら、それは大変だと言う。仲間でもやめた方が良いと言うのとぜひ登ったほうが良いと言うのと別れているそうだ。ご来光は人生観が変わると言った山仲間もいるそうだ。水曜会の演奏会に来てくれたので、コーラスの仲間が登りたいと言ってるので、同行すると言ったら、それは行かなくちゃと言ってくれた。初めて富士登山に賛同してくれる人がいた。
昔話はあまり好まないが、この前会ったYH会の話をしたら、そこから発展して次々と昔の話が出てきた。Ydさんは営業だけあって面白い話を一杯知っている。ついつい興が乗って、私も昔の失敗談を一杯した。
お金は公私混同しない、社内の女性には手を出さない、嘘をつかないと教育を受けたと言う話が発展。嘘をついたことはないが結果として嘘になったことはごまんとあると言う話になる。これが出るは出るは一杯あって、止まらなくなった。ほとんどが納期遅延と事故、予算未達成、黒字が赤字になったと言うたぐいの話。時効と思うが具体的内容はとても公には出来ない。振り返ってみると正直者だと思っていたが、結果嘘は一杯ついてしまった。当時は深刻な話でストレス一杯だったが、今は笑い話で済む。幸い、今はほとんど嘘つくことはないのでストレスが溜まらない。
とうとう3時間半も話し込んでしまった。
昔話も自慢話でなければ実に愉快。
手羽先に手をべたつかせ夏の果
2階のベランダを登る朝顔。(クリックすると拡大)


ルリマツリ(瑠璃茉莉)。

ポンテテリア。

夏水仙。

番茉莉(ばんまつり)。

一日休んで山登りの疲れを取る。
Sさんは毎朝、蚊対策をして水遣りをし、私を朝顔が咲いたよと叩き起こし、シャワーを浴びて、朝食後、出かけて行く。元気さはかなわない。
大門句会勉強会の句評を見る。
⇒は三四郎さんの句評。→はその他の方の選句。:は私のコメント。
兼題は勝山さん出題の「夏の果」。
◇光
手羽先に手をべたつかせ夏の果
蜩や墓石の文字も新しく
⇒作者にとっては手羽先にかぶりつくことが夏の終りと結びついているのでしょう。ただ、やっぱりひとりよがり。共感力が弱い。 新しいお墓ですから墓の主が逝ってからまだそんなに経っていない墓参です。新盆でしょうか。ひぐらしの鳴き声がせつない。
→遊介さん選句。かぶりつく動作ではなく、油まみれの手を見ていると思いました。手についた油から夏の暑かった日々思いだし、そしてそれは終わったんだなぁと作者の一息ついた心境を感じます。
:手羽先の句は、まさに遊介さんの句評の通り。手羽先大好き人間の私は、何時も手をべたべたにして食べている。べたべたの手と暑さももう終わりに近づいたと言う感慨を詠んだ。 お墓参りの時に、蜩が鳴いていた。蜩の声は1年前の悲しみを呼び覚ます。
私の選句。
◇はな
二筋の折り目の地図や夏の果
:夏山シーズンの終わりが近づいた様を良く詠んでる。
→遊介さん選句。くっきり折り目が残る地図を見て、今年歩いた夏山を思い出す。地図を見る事で行く前と行っている時と行った後とで山歩きが三度楽しめます。(否光さん談)
◇馬空
藻の下の小鮒手づかみ夏の川
⇒この川は大きな川ではなく、子供が入って遊べるような小川でしょう。鮒もいればザリガニもいる、とんぼも飛んでいる。きらきらした日が水面に輝いているなつかしい川です。
◇勝山
足湯から鉄の匂いや油照
⇒鉄の匂いと油照りはこれでもかというような炎暑を感じさせます。匂いは旧かななら匂ひ。
◇三四郎
白鳥の足踏みボート夏終る
→のり子さん選句。 ⇒行楽地の足踏みボートを横目で見ていたことがあります。ところどころにペンキが剥げた部分もある白鳥が池の中でゆらゆらと、お客さんを待っている景が見えます。


ルリマツリ(瑠璃茉莉)。

ポンテテリア。

夏水仙。

番茉莉(ばんまつり)。

一日休んで山登りの疲れを取る。
Sさんは毎朝、蚊対策をして水遣りをし、私を朝顔が咲いたよと叩き起こし、シャワーを浴びて、朝食後、出かけて行く。元気さはかなわない。
大門句会勉強会の句評を見る。
⇒は三四郎さんの句評。→はその他の方の選句。:は私のコメント。
兼題は勝山さん出題の「夏の果」。
◇光
手羽先に手をべたつかせ夏の果
蜩や墓石の文字も新しく
⇒作者にとっては手羽先にかぶりつくことが夏の終りと結びついているのでしょう。ただ、やっぱりひとりよがり。共感力が弱い。 新しいお墓ですから墓の主が逝ってからまだそんなに経っていない墓参です。新盆でしょうか。ひぐらしの鳴き声がせつない。
→遊介さん選句。かぶりつく動作ではなく、油まみれの手を見ていると思いました。手についた油から夏の暑かった日々思いだし、そしてそれは終わったんだなぁと作者の一息ついた心境を感じます。
:手羽先の句は、まさに遊介さんの句評の通り。手羽先大好き人間の私は、何時も手をべたべたにして食べている。べたべたの手と暑さももう終わりに近づいたと言う感慨を詠んだ。 お墓参りの時に、蜩が鳴いていた。蜩の声は1年前の悲しみを呼び覚ます。
私の選句。
◇はな
二筋の折り目の地図や夏の果
:夏山シーズンの終わりが近づいた様を良く詠んでる。
→遊介さん選句。くっきり折り目が残る地図を見て、今年歩いた夏山を思い出す。地図を見る事で行く前と行っている時と行った後とで山歩きが三度楽しめます。(否光さん談)
◇馬空
藻の下の小鮒手づかみ夏の川
⇒この川は大きな川ではなく、子供が入って遊べるような小川でしょう。鮒もいればザリガニもいる、とんぼも飛んでいる。きらきらした日が水面に輝いているなつかしい川です。
◇勝山
足湯から鉄の匂いや油照
⇒鉄の匂いと油照りはこれでもかというような炎暑を感じさせます。匂いは旧かななら匂ひ。
◇三四郎
白鳥の足踏みボート夏終る
→のり子さん選句。 ⇒行楽地の足踏みボートを横目で見ていたことがあります。ところどころにペンキが剥げた部分もある白鳥が池の中でゆらゆらと、お客さんを待っている景が見えます。
北八ヶ岳 ニュウ
YY会、北八ヶ岳、ニュウ、中山峠の登山。Imリーダーの元、20名参加。今回は、水曜会関係者の初参加者が多い。
天気は曇り時々晴れ。まずまずの天候。八王子駅でNzさんに会う。待ち合わせ場所がわかるかと聞いたらわからないと言うので弁当を買って一緒に行く。着いたら、Mzさん、Iwさんの車しか来ていない。Ikさん、Smさんの車は事故渋滞に巻き込まれて大幅に遅れている。二人の到着予想時間を聞いたら、Ikさんの方が早いので、Ikさんには八王子に向かって貰い、Smさんには次の待ち合わせ場所、双葉PAに向かって貰う。
Rnさんが十分遅れで到着。後は、全員揃う。水曜会Nzさんは高尾山は一緒したがYY会としては初めて参加。Imさんに紹介。水曜会Tkさん、Mrさんは初参加。水曜会Kmさんの友人のToさんは初参加。其々Imさんに紹介。
30分遅れで、Ikさんの車が到着。Kmさんが一緒。そこにTmさん、Nzさんに乗って貰う。Mz車には、Osさん、Khさん、Rnさん、Imさんが乗る。Iw車には、Mnさん、Mrさん、Oyさん、Tkさんと私が乗る。
出発。
土曜で夏休みが始まっており、渋滞に巻き込まれる。双葉PAで待ち合わせのMk車は既に到着しており、こちらは更に1時間半くらいかかりそうなので、先に現地に行って貰う。Hoさん、Hgさんが乗っている。
双葉PAにようやく到着。外に出ると暑い。Sk車が先に到着していた。Sk夫妻をImさんに紹介。
出発。
1時間半以上遅れて、白駒池(2115m)駐車場に到着。ここでMk車と合流。待ちくたびれたと言う。
12時12分に出発。(クリックすると拡大)

白駒池に向かう道は、木道なので歩きやすい。最初はSkさん、Tkさんと一緒に最後尾で歩く。

両脇の苔が美しい。林の中なので空気が美味い。
もののけの森。妖精が出てきそう。

白駒池が見えてきた。「標高2,115メートルの地点に位置する。白駒峰の噴火により大石川(信濃川水系)がせき止められて誕生した堰止湖である。池の大きさは面積0.11平方キロメートル、周囲長1.35キロメートルで、標高2,000メートル以上の高地にある湖としては日本一である。」

12時47分白駒湿原に着く。ワタスゲが風に揺れる。

湿原を過ぎると再び深い森。登山道には丸太が転がっている。ぬかるんだ道。丸太は朽ちて苔がついているため、注意しないと滑りそう。倒木を超えて進む。

13時頃、休憩。先頭は何時も通り、Iwさん。Mnさんはちょっと前まで脚が痛くて歩けないくらいだったが、回復してきて今回がためし登山。Hgさんも早い。後詰はMkさん、Khさん。Imさんは長く伸びたグループを前後してる。
ニュウの森。

Tkさんの靴底が剥がれてしまったので、ガムテープを持ってないかと声がかかる。誰も持ってなかったので、ビニール袋で縛って登る。岩場は難しいかなと思う。(後から聞いたら別の登山グループの方から靴紐とビニールの紐を貰い応急処置したようだ。)
先頭はIwさん。途中、Hgさんが後ろにきたので、先に行ってと勧める。Hoさんには、貴方には先に行って貰わなくてもいいよと言ったら、言ってくれますねとか言われる。
登り坂になり、岩ゴロゴロと木の根が張っている。注意しないと脇道に紛れ込む。Iwさんが道を間違えたと言って戻ってくる。

ニュウ(2352m)山頂到着。13時50分。ちょっとかかり過ぎ。
ニュウ山頂の三角点。

ガスがかかっていて、見晴らしは良くない。
むこうには天狗岳が見えるはず。

右側は蓼科山、北横岳。

後続がなかなかやってこない。靴底が剥がれてしまったTkさんはあきらめてMzさんと降ったようだ。Skさんも付き添って降りようとしたようだが、Tkさんから登ってと言われて走って登って来たと言う。
Rnさん達が到着。迷って、脇道をどんどん登っているところを、下からKsさんが見つけ、更に後詰のMkさんも続いて、何とか稜線に出て、登山道に戻ったようだ。一歩間違えればと危なかった。Ksさんが見つけてくれたのはさすがである。
昼食が始まる。おにぎりを三つ持ってきたが、二つでお腹が一杯になる。いろいろお菓子や果物が回ってくる。
一番の期待はKsさんの熱いコーヒー。Ksさんがつく早々、珈琲珈琲とわめいたので顰蹙をかう。
強力バーナーで珈琲を入れて貰う。美味い。なんて美味いんだろう。お替りもする。
雲が一瞬晴れて白駒池が見える。
左側は茶臼山・縞枯山・横岳と蓼科山。

Imリーダーが、時間的に中山峠は無理だから、同じ道を下山すると言う。14時50分。
下山は準備が出来た順番に降りるので、先頭グループの後位をNzさんと降りる。標準ペース位で降りたが、Nzさんにしっかりマークされた。若いだけあって軽々と降りる。
降りで何度も後ろにいるIkさんがNzさーんと声を上げ、そのたんびに答えてる。その内、迷ったと言う声がしたので、止まって待っていたが段々声が遠くなる。元来た道引き返してと大声で叫ぶ。引き返したようでOKと返事が来る。
白駒湿原のワタスゲ。

白駒池。

白駒池に着いたので、Ikさん、Oyさんと合流。一回りしようと提案したが、Ikさんが元来た道を引き返したほうが無難と言うので、同じ道を引き返す。
山小屋でニュウのピンバッジを買う。
ゴゼンタチバナ(御前橘)

コバイケイソウ(小梅蕙草)。

オダマキ。

白駒の森。

苔が美しい。

16時20分頃、駐車場に到着。
今回は、演奏会後なまった体がどれくらい回復してるか心配だったが、何とか無難に登れて自信が少し回復。
先発隊は既に到着していた。
後続部隊と、早く下山したTkさん、Mzさんと合流。Tkさんに靴底を見せて貰ったが見るも無残。
温泉に向かう。諏訪市総合福祉センター 湯小路いきいき元気館、300円と安い。
一杯入ってる。カランは混みそうなので空いた途端に使う。洗ってから、ゆったりつかる。露天風呂、内湯と。
引き揚げて、部屋でくつろぐ。まずは麦酒を頼む。Mnさんが早々と麦酒を飲んでる。傍にNzさん、Mrさん、Ikさんらがいる。Ikさんは運転手で飲めないが、ソフトドリンクで乾杯。美味。
蕎麦を頼む。枝豆やてんぷらなど分けて貰う。
Mkさんに、全員揃ったら、自己紹介の司会をしてくれと頼む。ええっそんなと言ったがやってくれた。
Ksさんに富士登山の資料を貰い説明を聞く。富士登山メンバのKmさん、Toさん、Nzさん、Ikさんに丁寧に説明してる。
Imさんにこの会のリーダーをお願いしてから、10年以上たったと思うが、3人で始めたのがこんなに長く続き、20名前後まで膨れるとは思わなかった。Imリーダーのお蔭。何時も山のコースを探すのに苦労してる。
司会のMkさんとは、30年来の付き合い。百名山挑戦中で、この7,8年で残り13までこぎつけた。最後の雲取山はYY会で登ろうと提案。
Mnさんは、スキーと山に退職後引き込んだ。一か月前に脚を痛めて歩けないくらいだったが、見事回復。今回の登山は恐る恐るだったが踏破。
Mzさんは、何時も車の運転をしてくれる。今回は、靴ぱくぱくになったTkさんを親切にサポートしてくれた。Tkさんは大いに感謝。良い男だね。
Iwさんは、スキー仲間で、山にも巻き込んだ。車は何時も出してくれて助かる。タフで何時も山は先頭を歩く。歩くのが非常に早いので、ついて行くとくたばる。
Ksさんは、山とスキーに引きずり込んだ。富士山は毎年登ってるので、今夏の富士登山のリーダーをお願いした。Rnさんが迷ったのを見つけた功労者。
Hoさんは、今回、Hoさんの前を歩いてついてくるかと監視したがしっかりつかれてしまった。演奏会を初めて聞きに来てくれて、これは山登りより大変だと思ったと言う。
Osさんも、何回か参加してくれるようになった。苦しそうな表情を全くしない。体力はある。
HgさんはMkさんの誘いで参加するようになった。健脚。彼が後ろに着いたら必ず先に行って貰う。
水曜会関係者が10名も参加したのには驚いた。今回従来のメンバが少なかったので、配車が何とかなった。Skさん、Ikさんに車をお願いした。
Ikさんは水曜会からこの会参加の先駆者。ずっと水曜会の人に山やスキーを誘ったが、ほとんど誰も参加してくれなかったが、Ikさんが常時参加してくれるようになって実に嬉しい。
Rnさん、二回目の参加。ずっとお仕事だったので体力的に発展途上。体力を二年計画で着けて迷惑かけないようにすると言う。登山が実に嬉しそう。
Nzさんは高尾山に初登山した。靴はかなり高価なのを買ってきた。いい心がけ。Ikさんに言わせると歩き方に無駄があるそうだが、若さに任せて歩く。
Skさん夫妻、山の経験はないがかなりの健脚。車も出して貰って助かった。これから参加してくれそう。
Kmさん、Toさん。富士登山したいと言うので足慣らしに参加して貰った。Kmさんは風邪をひいてたが健脚。Toさんは初登山だったが、かなり強い。
Oyさん、二回目の参加。山大好き。黙々と歩く。
Tkさん、靴剥がれて大変だった。久しぶりの登山で靴もびっくりしたんだろう。
Mrさん、冬靴で軽快に歩く。何年ぶりの登山。忙しいが時間が空けば登りたいと言う。
楽しい会もお開き。Iw車には、Tkさんに代わってToさんが乗る。TkさんはIkさんと同じ方向なのでIkさんの車に移る。
帰りは、時々、くらっとした。Iwさんご苦労様。家まで送って貰った。
Sさんに報告。
天気は曇り時々晴れ。まずまずの天候。八王子駅でNzさんに会う。待ち合わせ場所がわかるかと聞いたらわからないと言うので弁当を買って一緒に行く。着いたら、Mzさん、Iwさんの車しか来ていない。Ikさん、Smさんの車は事故渋滞に巻き込まれて大幅に遅れている。二人の到着予想時間を聞いたら、Ikさんの方が早いので、Ikさんには八王子に向かって貰い、Smさんには次の待ち合わせ場所、双葉PAに向かって貰う。
Rnさんが十分遅れで到着。後は、全員揃う。水曜会Nzさんは高尾山は一緒したがYY会としては初めて参加。Imさんに紹介。水曜会Tkさん、Mrさんは初参加。水曜会Kmさんの友人のToさんは初参加。其々Imさんに紹介。
30分遅れで、Ikさんの車が到着。Kmさんが一緒。そこにTmさん、Nzさんに乗って貰う。Mz車には、Osさん、Khさん、Rnさん、Imさんが乗る。Iw車には、Mnさん、Mrさん、Oyさん、Tkさんと私が乗る。
出発。
土曜で夏休みが始まっており、渋滞に巻き込まれる。双葉PAで待ち合わせのMk車は既に到着しており、こちらは更に1時間半くらいかかりそうなので、先に現地に行って貰う。Hoさん、Hgさんが乗っている。
双葉PAにようやく到着。外に出ると暑い。Sk車が先に到着していた。Sk夫妻をImさんに紹介。
出発。
1時間半以上遅れて、白駒池(2115m)駐車場に到着。ここでMk車と合流。待ちくたびれたと言う。
12時12分に出発。(クリックすると拡大)

白駒池に向かう道は、木道なので歩きやすい。最初はSkさん、Tkさんと一緒に最後尾で歩く。

両脇の苔が美しい。林の中なので空気が美味い。
もののけの森。妖精が出てきそう。

白駒池が見えてきた。「標高2,115メートルの地点に位置する。白駒峰の噴火により大石川(信濃川水系)がせき止められて誕生した堰止湖である。池の大きさは面積0.11平方キロメートル、周囲長1.35キロメートルで、標高2,000メートル以上の高地にある湖としては日本一である。」

12時47分白駒湿原に着く。ワタスゲが風に揺れる。

湿原を過ぎると再び深い森。登山道には丸太が転がっている。ぬかるんだ道。丸太は朽ちて苔がついているため、注意しないと滑りそう。倒木を超えて進む。

13時頃、休憩。先頭は何時も通り、Iwさん。Mnさんはちょっと前まで脚が痛くて歩けないくらいだったが、回復してきて今回がためし登山。Hgさんも早い。後詰はMkさん、Khさん。Imさんは長く伸びたグループを前後してる。
ニュウの森。

Tkさんの靴底が剥がれてしまったので、ガムテープを持ってないかと声がかかる。誰も持ってなかったので、ビニール袋で縛って登る。岩場は難しいかなと思う。(後から聞いたら別の登山グループの方から靴紐とビニールの紐を貰い応急処置したようだ。)
先頭はIwさん。途中、Hgさんが後ろにきたので、先に行ってと勧める。Hoさんには、貴方には先に行って貰わなくてもいいよと言ったら、言ってくれますねとか言われる。
登り坂になり、岩ゴロゴロと木の根が張っている。注意しないと脇道に紛れ込む。Iwさんが道を間違えたと言って戻ってくる。

ニュウ(2352m)山頂到着。13時50分。ちょっとかかり過ぎ。
ニュウ山頂の三角点。

ガスがかかっていて、見晴らしは良くない。
むこうには天狗岳が見えるはず。

右側は蓼科山、北横岳。

後続がなかなかやってこない。靴底が剥がれてしまったTkさんはあきらめてMzさんと降ったようだ。Skさんも付き添って降りようとしたようだが、Tkさんから登ってと言われて走って登って来たと言う。
Rnさん達が到着。迷って、脇道をどんどん登っているところを、下からKsさんが見つけ、更に後詰のMkさんも続いて、何とか稜線に出て、登山道に戻ったようだ。一歩間違えればと危なかった。Ksさんが見つけてくれたのはさすがである。
昼食が始まる。おにぎりを三つ持ってきたが、二つでお腹が一杯になる。いろいろお菓子や果物が回ってくる。
一番の期待はKsさんの熱いコーヒー。Ksさんがつく早々、珈琲珈琲とわめいたので顰蹙をかう。
強力バーナーで珈琲を入れて貰う。美味い。なんて美味いんだろう。お替りもする。
雲が一瞬晴れて白駒池が見える。
左側は茶臼山・縞枯山・横岳と蓼科山。

Imリーダーが、時間的に中山峠は無理だから、同じ道を下山すると言う。14時50分。
下山は準備が出来た順番に降りるので、先頭グループの後位をNzさんと降りる。標準ペース位で降りたが、Nzさんにしっかりマークされた。若いだけあって軽々と降りる。
降りで何度も後ろにいるIkさんがNzさーんと声を上げ、そのたんびに答えてる。その内、迷ったと言う声がしたので、止まって待っていたが段々声が遠くなる。元来た道引き返してと大声で叫ぶ。引き返したようでOKと返事が来る。
白駒湿原のワタスゲ。

白駒池。

白駒池に着いたので、Ikさん、Oyさんと合流。一回りしようと提案したが、Ikさんが元来た道を引き返したほうが無難と言うので、同じ道を引き返す。
山小屋でニュウのピンバッジを買う。
ゴゼンタチバナ(御前橘)

コバイケイソウ(小梅蕙草)。

オダマキ。

白駒の森。

苔が美しい。

16時20分頃、駐車場に到着。
今回は、演奏会後なまった体がどれくらい回復してるか心配だったが、何とか無難に登れて自信が少し回復。
先発隊は既に到着していた。
後続部隊と、早く下山したTkさん、Mzさんと合流。Tkさんに靴底を見せて貰ったが見るも無残。
温泉に向かう。諏訪市総合福祉センター 湯小路いきいき元気館、300円と安い。
一杯入ってる。カランは混みそうなので空いた途端に使う。洗ってから、ゆったりつかる。露天風呂、内湯と。
引き揚げて、部屋でくつろぐ。まずは麦酒を頼む。Mnさんが早々と麦酒を飲んでる。傍にNzさん、Mrさん、Ikさんらがいる。Ikさんは運転手で飲めないが、ソフトドリンクで乾杯。美味。
蕎麦を頼む。枝豆やてんぷらなど分けて貰う。
Mkさんに、全員揃ったら、自己紹介の司会をしてくれと頼む。ええっそんなと言ったがやってくれた。
Ksさんに富士登山の資料を貰い説明を聞く。富士登山メンバのKmさん、Toさん、Nzさん、Ikさんに丁寧に説明してる。
Imさんにこの会のリーダーをお願いしてから、10年以上たったと思うが、3人で始めたのがこんなに長く続き、20名前後まで膨れるとは思わなかった。Imリーダーのお蔭。何時も山のコースを探すのに苦労してる。
司会のMkさんとは、30年来の付き合い。百名山挑戦中で、この7,8年で残り13までこぎつけた。最後の雲取山はYY会で登ろうと提案。
Mnさんは、スキーと山に退職後引き込んだ。一か月前に脚を痛めて歩けないくらいだったが、見事回復。今回の登山は恐る恐るだったが踏破。
Mzさんは、何時も車の運転をしてくれる。今回は、靴ぱくぱくになったTkさんを親切にサポートしてくれた。Tkさんは大いに感謝。良い男だね。
Iwさんは、スキー仲間で、山にも巻き込んだ。車は何時も出してくれて助かる。タフで何時も山は先頭を歩く。歩くのが非常に早いので、ついて行くとくたばる。
Ksさんは、山とスキーに引きずり込んだ。富士山は毎年登ってるので、今夏の富士登山のリーダーをお願いした。Rnさんが迷ったのを見つけた功労者。
Hoさんは、今回、Hoさんの前を歩いてついてくるかと監視したがしっかりつかれてしまった。演奏会を初めて聞きに来てくれて、これは山登りより大変だと思ったと言う。
Osさんも、何回か参加してくれるようになった。苦しそうな表情を全くしない。体力はある。
HgさんはMkさんの誘いで参加するようになった。健脚。彼が後ろに着いたら必ず先に行って貰う。
水曜会関係者が10名も参加したのには驚いた。今回従来のメンバが少なかったので、配車が何とかなった。Skさん、Ikさんに車をお願いした。
Ikさんは水曜会からこの会参加の先駆者。ずっと水曜会の人に山やスキーを誘ったが、ほとんど誰も参加してくれなかったが、Ikさんが常時参加してくれるようになって実に嬉しい。
Rnさん、二回目の参加。ずっとお仕事だったので体力的に発展途上。体力を二年計画で着けて迷惑かけないようにすると言う。登山が実に嬉しそう。
Nzさんは高尾山に初登山した。靴はかなり高価なのを買ってきた。いい心がけ。Ikさんに言わせると歩き方に無駄があるそうだが、若さに任せて歩く。
Skさん夫妻、山の経験はないがかなりの健脚。車も出して貰って助かった。これから参加してくれそう。
Kmさん、Toさん。富士登山したいと言うので足慣らしに参加して貰った。Kmさんは風邪をひいてたが健脚。Toさんは初登山だったが、かなり強い。
Oyさん、二回目の参加。山大好き。黙々と歩く。
Tkさん、靴剥がれて大変だった。久しぶりの登山で靴もびっくりしたんだろう。
Mrさん、冬靴で軽快に歩く。何年ぶりの登山。忙しいが時間が空けば登りたいと言う。
楽しい会もお開き。Iw車には、Tkさんに代わってToさんが乗る。TkさんはIkさんと同じ方向なのでIkさんの車に移る。
帰りは、時々、くらっとした。Iwさんご苦労様。家まで送って貰った。
Sさんに報告。
山の準備
庭の夏水仙。(クリックすると拡大)

朝顔。毎朝、Sさんに朝顔が一杯咲いてるわよと叩き起こされる。

デュランタ。

玉すだれ。

サーモンピンクセージ。

ベコニアとチェリーセージ。

ホトトギス。

サフランモドキ、別名 ゼフィランサスが一輪咲いた。

明日、YY会で演奏会後、初の登山なので、散策はお休み。
真向法、呼吸体操、スクワット、足踏み体操を30分位して、軽く汗ばむ。
山の準備。これが何時も楽しい。
明日は日帰りで北八ヶ岳のニュウ、中山峠なので、たいしたことはないが、演奏会後になまった体がどれくらい回復してきたかのバロメーターになる。今後、富士山、爺が岳、鉢の木岳、白馬、農鳥岳と本格的夏山登山が続く。
富士山(3,776 m)はKmさんに引きずられて参加。1泊2日。Khさんリーダーで6人。皆から混んで大変だと散々言われたが、もうすっかりその気になった。
北アルプスの爺が岳(2670m)、鉢の木岳(2821m)。3泊3日。愛知のメンバと関東組の合体。Fjリーダーの元9人。毎年南アルプスに登っていたが、今年から北アルプスになった。
白馬。内容は未定。Szさん計画。5名参加。
南アルプスの農鳥岳(3,025m)。今のところSkさんと一緒。Hrさんを誘ってる。3泊4日。これは日本の3000m以上の山22の内、私が残したのが農鳥岳だけなのでSkさんにお願いして計画して貰った。
別に8月前半は、別荘に泊って八ヶ岳で足慣らしするつもり。
ザックを綺麗にして、雨具をまず入れる。着替え、タオル、ヘッドランプ、磁石、地図、スポーツドリンク3本、バンドエイド、アミノバイタル、帽子、カメラ、ストック、非常食、飴。これに明日朝食を追加。
地図を確認。何度も登ってるコースなので間違いはないと思う。
天候は曇り、時々晴れ。まずまず。
ああドキドキしてきた。
あっと気が付く。大門句会勉強会の投句をすっかり忘れていた。
勝山さん出題の「夏の果」。なかなか頭が俳句モードにならず苦労する。どうしても頭がなりきらずに時間切れ。昨日から、俳句を作らなくちゃと気にしてたが、頭が山モードになってしまってすっかり忘れてしまった。
早目に休んだら、Kmさんからメールが入り、やりとり。Ikさんよりもメール。車に乗るメンバと待ち合わせ場所の変更と、場所の確認。
最後のメールをして10時半には熟睡。

朝顔。毎朝、Sさんに朝顔が一杯咲いてるわよと叩き起こされる。

デュランタ。

玉すだれ。

サーモンピンクセージ。

ベコニアとチェリーセージ。

ホトトギス。

サフランモドキ、別名 ゼフィランサスが一輪咲いた。

明日、YY会で演奏会後、初の登山なので、散策はお休み。
真向法、呼吸体操、スクワット、足踏み体操を30分位して、軽く汗ばむ。
山の準備。これが何時も楽しい。
明日は日帰りで北八ヶ岳のニュウ、中山峠なので、たいしたことはないが、演奏会後になまった体がどれくらい回復してきたかのバロメーターになる。今後、富士山、爺が岳、鉢の木岳、白馬、農鳥岳と本格的夏山登山が続く。
富士山(3,776 m)はKmさんに引きずられて参加。1泊2日。Khさんリーダーで6人。皆から混んで大変だと散々言われたが、もうすっかりその気になった。
北アルプスの爺が岳(2670m)、鉢の木岳(2821m)。3泊3日。愛知のメンバと関東組の合体。Fjリーダーの元9人。毎年南アルプスに登っていたが、今年から北アルプスになった。
白馬。内容は未定。Szさん計画。5名参加。
南アルプスの農鳥岳(3,025m)。今のところSkさんと一緒。Hrさんを誘ってる。3泊4日。これは日本の3000m以上の山22の内、私が残したのが農鳥岳だけなのでSkさんにお願いして計画して貰った。
別に8月前半は、別荘に泊って八ヶ岳で足慣らしするつもり。
ザックを綺麗にして、雨具をまず入れる。着替え、タオル、ヘッドランプ、磁石、地図、スポーツドリンク3本、バンドエイド、アミノバイタル、帽子、カメラ、ストック、非常食、飴。これに明日朝食を追加。
地図を確認。何度も登ってるコースなので間違いはないと思う。
天候は曇り、時々晴れ。まずまず。
ああドキドキしてきた。
あっと気が付く。大門句会勉強会の投句をすっかり忘れていた。
勝山さん出題の「夏の果」。なかなか頭が俳句モードにならず苦労する。どうしても頭がなりきらずに時間切れ。昨日から、俳句を作らなくちゃと気にしてたが、頭が山モードになってしまってすっかり忘れてしまった。
早目に休んだら、Kmさんからメールが入り、やりとり。Ikさんよりもメール。車に乗るメンバと待ち合わせ場所の変更と、場所の確認。
最後のメールをして10時半には熟睡。