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2013-03

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偕楽園

ホテルルートインでSさんに朝日が綺麗と言われて目覚める。(クリックすると拡大)
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朝食を取って、迎えに来てくれたIcさんの車に乗る。Ikさん、Tzさん、Fkさん、Sさん。
Ic邸は偕楽園の側にあり、車が満杯の中、通行証が必要。
門のところに咲いてる珍しいピンク色のネコヤナギ。
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通行してるおばさんが珍しがって眺めてたら、Icさんが挿し木できますよと言って折って手渡す。(後で私も手折って貰う。)
常盤神社を通過。
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東門から入る。
梅はまだほとんど咲いてない。(後で一か月遅れと聞く)
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Icさんの先導で偕楽園散策。
咲いてる梅はびっしり。
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「偕楽園の梅は天保4年、梅の種子を江戸から運び、約1万本の苗木を栽培し梅林を造成したもので、明治の初めまでは現在の常磐神社境内や園西の大杉森も梅林であった。(偕楽園の開園は天保13年) 現在は、100種約3000本の梅が1月から4月初めにかけて梅香を園内に漂わせています。」
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好文亭表門。「表門は、昭和20年8月の戦災にも焼け残り開園当時の面影をそのままにしています。 茅葺き切妻造りで、角柱2本と副柱2本で支えられ、両側には瓦葺きの袖塀がつけられ、黒塗りであることから「黒門」とも呼ばれています。」
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石匠の見世蔵。「真壁町は古くから、石材業で栄えた町です。町の歴史(真壁城址や旧家など)を資源として蔵を生かした商家のスタイルである「見世蔵」をテーマにまちづくりに取り組み、多くの観光客が訪れるようになりました。石材業者の有志もこの取り組みに参画することにし、「石匠の見世蔵」が結成されたのです。」
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可愛い子供梅大使の説明を聞く。
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孟宗竹林。「 弓の材料として最適であることから、偕楽園開園1年後の天保14(1843)年に京都嵯峨、八幡の竹を土のついたまま運び植えたものが現在に至っています。」
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吐玉泉。「ここは昔から湧き水の多かった所で眼病に効く水と言われいました。偕楽園造成にあたりその湧き水を茶室何陋庵の茶の湯に用いると共に造園上の景観を考慮し白色の井筒を据えた。 夏なお冷たく、玉のような澄んだ水をたゆまなく吐くので吐玉泉と名づけられました。 水利に詳しい斉昭公の考案とされる吐玉泉は、数メートル離れたところに集水マスを埋め、そこからパイプで導き吐出させている。 井筒は茨城県常陸太田市真弓山から採掘した大理石(寒水石)です。 水戸藩領の特産物であった寒水石は、白く硬い大理石の間に柔らかい黒い部分が縞模様になっており、水の浸食により縞の部分が溝になり時の経過とともに変化していきます。ある時期になれば取り替えられ、現在のものは4代目とされています。」
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庭園が美しい。
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向学立志の像。「旧制水戸高等学校の生徒の立像。」
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暁鐘。「暁鐘は、旧制水戸高等学校のシンボルで寄宿舎「暁鐘寮」に設置され寮生が毎朝交代で鐘をついたという。 1920年(大正9年)創立の同校は、戦後の学制改革で30年間で歴史を閉じた。」
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梅が咲いてるとカメラを向けてしまう。
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陶器の売店を冷やかした後、梅桜橋を渡る。「アメリカのセントラルパークに次いで世界第2位(都市公園として)の広さを有する偕楽園公園の中をJR常磐線の列車が走ります。梅桜橋は桜山駐車場と偕楽園本園とを結びます。」渡った先の梅も美しい。
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梅桜橋の上から見た偕楽園。
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七曲を通って子規の句碑を見る。「子規は、現在の東京大学の予備門在学中の明治22年の4月、春休みで帰省しているはずの学友・菊池謙二郎の水戸の実家を訪ねた際、友人と二人でこの地を訪れました。あいにく菊池とは行き違いで会えなかったのですが、子規が好文亭に上り崖に懸命に咲く梅を見た際の句、「崖(がけ)急に 梅ことごとく 斜めなり」 が刻まれています。この碑は、昭和28年(1953)に常磐神社境内の東湖神社裏に建てられたものを、昭和40年(1965)に現在地の南崖斜面に移設されたものです。 また、野球をこよなく愛し名キャッチャーとしても活躍した子規は、偕楽園見晴らし広場で野球に興じる子供たちの姿を「水戸紀行」に残しています。」
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好文亭を臨む。
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水戸の梅大使。
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Tzさん、Ikさん、Fkさんは梅大使と一緒に写真を撮って貰う。
芝前門をくぐって好文亭に入る。
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「好文亭の名前の由来は、晋の武帝の故事「文を好めば則ち梅開き、学を廃すれば則ち梅開かず」により、梅の異名を「好文木」といったことから命名されたといわれています。」
菊の間。
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桃の間。
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紅葉の間。
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梅の間。
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桜の間。
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3階から見た偕楽園、千波湖。
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野点茶会や水戸黄門一行との写真撮影サービスがある。
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千波湖を臨む紅白梅。
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Icさんの熱心な偕楽園巡りも終わる。疲れた。
ぼんやり琴の演奏を聴く。
Icさんの友人が現れて、ボランティアで練習中だが、義烈館の案内を申し出る。
「水戸藩第2代藩主徳川光圀、同第9代藩主徳川斉昭両公の遺徳の景仰を目的として、常陽銀行が建設し常盤神社に献納。昭和32年開館、翌年博物館相当施設に指定された。館の名称は両公のおくり名である「義公」「烈公」より。徳川光圀、斉昭両公の遺品・遺墨をはじめ水戸史学、水戸学関係の資料と、両者の功績を助けた家臣の書画・関係品、常盤神社史を示す資料を展示。『大日本史』(草稿)397巻・目録5巻の計402巻、光圀公が侍医鈴木甫庵に命じ編集した『救民妙薬集』、斉昭公が農民の労苦をしのび製作したという農人形の他、追鳥狩絵巻、幕末三舟直筆掛け軸を展示。追鳥狩の際に使用し、日本最大といわれる陣太鼓や、大砲「太極」も見所である。展示室は「義公」「烈公」のテーマに分かれ、それぞれの功績を紹介するほか、水戸学を実践し、藩政改革を助けた藤田東湖関係資料も多数展示されている。」
詳しい説明を聞いて、幕末における水戸の学問の水準の高さと役割の大きさを改めて認識した。残念なことに水戸藩士同士の殺戮がかなり激しくあり、維新後に役立ったであろう人々を失ったのは大きな損失であったと思われる。
Icさんの車で移動して蕎麦屋で昼食。量はそれほど多くなくてすべて平らげる。
その後、Tzさんの風邪の具合が悪くなり、きつそうなので車の中で待ってもらう。
弘道館に向かう。途中に助さんのバスがある。何故格さんがないのと誰かが言う。
弘道館はあいにく震災の復旧作業中で建物の中は見えなかった。
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「水戸藩の藩校として第9代藩主 徳川斉昭により天保12年(1841年)8月に創設されました。藩士に文武両道の修練をつませようと武芸一般はもとより、医学・薬学・天文学・蘭学など幅広い学問をとり入れた、いわば総合大学というべきものでした。当時の藩校としては国内最大規模のものであり、弘道館建学の方針を示す「弘道館記」の内容や学校教育の特色によって天下に有名になりました。 第15代の将軍となった慶喜も父斉昭の厳しい教育方針で5歳の時から弘道館において英才教育を受け、さらに慶応3年(1867年)の大政奉還の後、謹慎した至善堂が今も残っています。」
ここでも梅が綺麗。
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臥龍梅。
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水戸城跡にIcさんが案内する。
大日本史編纂の地。「「大日本史」は, 中国の「史記」に匹敵するような歴史書を日本にも作ることを目的に, 水戸藩第2代藩主である徳川光圀が, 1657(明暦2)年に編纂を開始した 大事業である。完成したのは 250年後の 1906(明治39)年のことで, 水戸家第13代当主・徳川圀順 の時。編纂の作業は, 最初 江戸の水戸藩邸(駒込)で行われたが, 光圀が水戸に隠居してからは水戸市三の丸の「彰考館」で行われ, 明治維新後は 偕楽園南隅のこの地に移って完成させた。三の丸・彰考館跡には「大日本史編纂の地」という碑が建っている。 」
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水戸市立第二中学校の校庭に残る、樹齢400年以上の「水戸城跡の大シイ」。
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ICさんの母校水戸第一高校の敷地内に、水戸城本丸跡がある。
薬医門。「水戸城唯一の建築遺構。本丸から二の丸へ通じる橋詰御門と推定されている。明治の廃城によって城下の祗園時へ払い下げられたが、1981年(昭和56)に再び現在地に移された。」
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飛田穂洲の碑が立ってるので驚く。水戸一校出身者だった。
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これで全てのIcさんの案内が終了。
車の中で休んでいたTzさんと合流してIc邸におじゃまする。奥さん、娘さんからお茶や果物の接待を受けて恐縮。夏の花火は屋上から良く見えると言う。一度見学したいものだ。
駅まで送って貰いIcさんとお別れ。Icさんのお蔭で充実した一日半だった。
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